24.受け入れるということ
「ウィリアローナ」
呼び声に、少女は満面の笑みを浮かべる。
それは大好きな声だからだ。大好きな大好きな、世界で一番優しい腕の中へ飛び込める合図だ。
身を翻す。短い手足を一生懸命のばして、大きな手をしっかりと掴んで、そして、
わたしはあの時たしかに、あの瞬間の世界で唯一を手に入れた。
「何者だったと思う?」
問い返す青い瞳を見つめて、わたしはゆるりと首を振った。
王家の人間だった、としか。思いつかない。けれどそれは間違いではないのだろう。父の年齢など知らないが、王家とつながりがあったとして、現ニルヴァニア国王と近い年齢であるなら、いったいどこから続く血縁であるというのか。
先代の隠し子か、生後間もなく廃嫡された、王様のご兄弟か。秘されていたという前提を付ければ、いくらでも予測は立つ。
けれどどれも、ハプリシア様に呼べず、わたしが呼べた春の理由にはならない。
「本当の所は、何も分からないのさ」
レヒト様がそう言った理由を、わたしは知っていた。公爵家で殻に閉じこもり外を拒絶し感覚を鈍らせ、あの頃のことなど忘れたかに思えたのに、やはり、忘れてなどいなかった。
「全てが、焼き払われた、から」
思い出した記憶はそれでも鈍く、傷みはあるが、薄い膜一枚分隔たった場所にある。遠い、感覚。
八年前のあの日、辺境伯爵家は、野党に襲われ夫妻は命を落とし、屋敷は火をつけられ、残ったものは何一つなかった。
体中に火傷を負った母親は、それでも、我が子を抱え火の手からたった一人救ったのだと。
ハプリシア様に仕えることが決まった時、『お母様』であった、シュバリエーン公爵夫人は、そうわたしに語った。
「あの出来事は、ただの辺境の痛ましい事件として扱われただけだった。再度辺境の村々で調査が行われたのは、それから二年後。お前が、この国につかの間の春をもたらした時だ」
「そんなことは、どうでもいいんですよ」
本当に、どうでもいい。辺境の伯爵領で行われた調査など、わたしには関係がない。そんなことは、どうでもいいのだ。
「これ以上何をはぐらかすつもりなのです」
確証を得られていないとしても、見当くらいはついているのでしょう。
王族で、出奔したものや、追放された者がいないとは、言わせない。
悪かった、とレヒト様は呟く。先延ばしにする意味も、隠し立てする理由もない、と。
「先代の第一子が、行方不明で現在も捜索中だ」
思いもよらない言葉に、腰が浮きかけ思わずレヒト様を凝視する。一瞬にして混乱に落とされ、たまらず隣の陛下を見た。
凪いだ菫色は、動揺の色さえも伺わせない。
「……」
見つめていたら、左手をとられた。
「へいか?」
思わず気持ち身体を離そうと身をよじる。が、びくりともしない。左肩に手が添えられているだけのはずなのに。
「陛下」
返事はない。まったくもう!
内心で悪態をついて、わたしはレヒト様へと向き直る。何楽しそうににやにやしてるんですかこの人。
「先代、といいますと」
「俺の曾祖父の、兄に当たる」
思いのほか上の世代だった。そんな世代の情報まで、わたしは把握していない。それより、わたしの父かも知れないという人は、父というより祖父と呼べる年齢だったのだろうか。
「なんでも、俺たちが生まれてすぐに行方不明になったらしい。歳は、父上と十も違わないって話だけど」
世代がずれている。らしい。貴族社会で言うならままあることで、そういうこともあるかとわたしは納得した。
「そもそも、父上が曾祖父から王位を継ぐまで、ただの分家だったんだ。それが、王位第一継承者の失踪によってがらりと変わった。実際、父上は苦労されたと思う。王家の血を引くのは祖母だったし」
もっと遠縁であれば、候補はいくらでもいたが、無用な争いを避けるために、ニルヴァニア国王は王位を受け取ったのだという。
「どちらにしろ、わたしの父が誰かというのはわからな……」
言いかけて、わたしは口を閉ざした。レヒト様の本当に言いたいことに思い至ってしまい、どう言葉を続けるべきか、悩んだ。
そんなわたしに、レヒト様は言う。
「なんだ、やっぱりよくわかってるじゃないか」
考えろ、と言うレヒト様になんだか悔しい思いがこみ上げて唇を噛む。
行方不明になった先代の第一王位継承者。ヴェニエールの春を呼べなかったハプリシア様。春を呼んでしまったわたし。
つまり、わたしが春を呼んでしまった時点で、全ては解き明かされてしまったと、考えられている。
「さて、かわいくて頑固で思い込みの激しい、愛するウィリアローナ?」
レヒト様が立ち上がり、テーブルをまわってわたしの側までくると、優雅な動作で手を差し出してきた。
「偽物だからニルヴァニアへ帰ると言ったお前は、果たして本当に偽物であっただろうか?」
受け入れるしか、なかった。
一度なら気のせいだ偶然だと思うこともできたけれど、これで二度目だというのなら。
わたしは人々の言うように、春を呼んでしまったのだ。
春を呼べたわたしは、王家の血を間違いなく継いでいると。
そう、受け入れるしか。
心からその事実を受け入れるには時間が必要だ。だから今は、困った顔を浮かべることしかできなかった。
この場でレヒト様の手を取ることはできない。その手を取れば、今度こそ本当に何も見ずに逃げ出すことになってしまう。
ちらりと陛下を盗み見て、取られたままの左手に少しだけ力を込めてみせる。
「いつまでたっても手のかかる子どもで、ごめんなさい」
とんでもない、と、レヒト様は肩をすくめた。
何があっても、みんなウィリアを愛しているのだから。
「恐れることは何もない、と、リンクも言ったはずさ」
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