23.追いかける
「は……」
今、なんとおっしゃいました?
ぽかんとするわたしに、レヒト様は軽く肩をすくめてみせる。何かおかしなことでも言ったかい? とでも言いそうな顔で。
ぱちりとひとつ、瞬きをすれば、銀色の輝きがふわりと揺れるのが目に映る。
そして、自らの肩の重みを思い出す。添えられた手。あたたかで、大きくて、その手から腕、たどるように視線を右方向へと向けていく。
菫色と目が合って、すぐに逸らして、金の輝きをぼんやりと見つめれば、肩の力がすっと抜けた気がした。
「へいか」
呼びかけるわたしに、陛下は無言で、視線で応える。呼びかけはしたものの、続ける言葉をわたしは持たなかった。
無意識に、手が伸びて、陛下の服を掴みそうになる。けれど、陛下の服に触れる前に、その手は途中で止まった。
それもまた、無意識で。
伸びかけた手をわたしは見下ろして、首を傾げ、ぱてん、とそのまま自分の膝元に落とす。
「レヒト様が、例えばもし」
思いつく言葉をそのまま口に出した。
「王子で、なかったとしたら?」
何を言い出すというのだろう。そんなことを言い出せば、そっくりな顔のリンクィン殿下はどうなる。王太子として既に立っているのに。あり得ない。バカバカしい。
……とすれば。
何かやらかしたのか、このお方。それこそそんなまさか。……まさか?
というか、よくよく考えればこのお方は王位継承権を返上したはずであるため、そう言う意味では確かに王子ではないかもしれない。
けれど、レヒト様は正しくはこう言ったのだ。
ほんとの王子でなかったと、したら。
「冗談、ですよね?」
ね。と念を押す。レヒト様はうーんとわざとらしい声付きで何やら悩んでみせてくださる。その顔は全く持って悩んでいる顔ではないけれど、一生懸命首を捻って見せつけてくださる。
全く時間の無駄であった。
「それでさ」
こちらのいらだちなど全く気にした様子もなく、気楽な調子でレヒト様は続ける。
「それで実は、『ウィリアこそが真実の王女様なんだよ』って、言ったら?」
直後、みしりとテーブルが軋んだ。音の方へと視線を向ければ、なぜか、わたしの右手が拳をつくり、テーブルに強く強く押し付けられていて、なぜか力がこれでもかと込められていて、なぜか、右腕ごと痺れていて、なぜか陛下とレヒト様がこちらを凝視している。
けれどわたしはそれら全てをおかまいなしで、ぱたぱたと右手をふった。レヒト様へと、低く低く言葉を吐き出す。
「それは、ハプリシア様に対する侮辱ととります。いくら兄君といえど、看過できませんわ」
そこまでいって、はた、とわたしは口を閉ざした。
痛む右手と、口走った言葉を振り返り。
「……すみません」
小さく、ささやく。
「あいかわらずだな。まったく」
呆れたように、感心したように、先ほどのわたしの一連の反応全てに一切触れず、レヒト様は手を叩く。すごいすごいと、無邪気に言い放つ。
「あいつに、この国の春は呼べなかったと知っても?」
「……え」
何の、はなし。
「ずっとずっと、ハプリシアは自国の王家の悲願をなそうとしていた。周りの大人が言って聞かせるのさ。大国は全てが恵まれているように見えるけれど、寒い雪に、一年の半分以上が閉ざされているのだと。春の女神に忘れられた、寂しい場所なのだと」
わたしが言って聞かされたのは、
「……大陸で、最も軍の整備が進んでいて、海に面しているから海産物豊富、貿易も盛ん」
「それがお前の聞いた話か。とにかく、ハプリシアはこういわれて育った。雪に閉ざされた大国を救う、物語のお姫様になれるのだと。
長じてこの国を訪問し、何の変化もなかった時、伝説は伝説であって現実ではあり得ないと、ハプリシアは知ったのさ」
とある七日間が訪れるまでは。
「……なのか?」
そう、とレヒト様はうなずく。
「ニルヴァニア王国のシュバリエーン公爵一家がこの国の別荘へ避暑に来た、七日間さ」
それはそれは楽しそうに、当時を思い浮かべているような目で、レヒト様はわたしを見た。
「シュバリエーン公爵一家の滞在した期間は十日間。第四子が体調不良を訴え一足先に帰った、その第四子が滞在した期間も、七日間」
「待って」
それ以上聞きたくない。レヒト様の言葉の途中で、わたしの思考は止まっていた。
ハプリシア様が、この国に春を呼ぼうとしていた? それは、果たされることはなく、わたしは昔、一度、七日間だけの春を呼んでいた?
それを、ハプリシア様は知っていたのだろうか。知っていたのだろう。だって何度もあのお方は口にされていた。
だってウィリアは、王族だもの。
だとしたら、どんな思いでわたしの側にいたのだろう。わたしを側に置いていたのだろう。
無邪気に笑う声を思い出す。月の化身ではないかと疑いたくなる容姿で、心から嬉しそうに笑うハプリシア様。
わたしは、ハプリシア様の御側で、一体何を。
「そして俺たちは、お前を知ったのさ、ウィリアローナ姫」
思いのほか真摯な声、言葉に、釘を刺されたと錯覚する。
「知らないわ、だって、わたし」
わたしは、
「本当の両親のことを何も知らないくせに?」
レヒト様の言葉に、どうしていいか分からなくなる。
「忘れてしまったのだろう。何、昔のことだ」
そう、忘れてしまった。覚えていない。だからといって。
「王女だ何だといわれて、まぁそうだったの? などと言えるわけが、ないでしょう!」
なんだなんだ、先ほどからわたしが王女で自分は王子ではないなどと思わせぶりなことばかり。
混乱する頭とはどこか別の場所で、沸々とこみ上げるものがあった。
「わたしを説得したいなら、順を追ってわかりやすく説明すればいい!」
言うだけ言って、さらに何か言おうと口を開きかけるが、言葉が何も出なかった。
ため息とともに背もたれに身体を預ける。
呼吸を落ち着けて、ずっと肩を抱いていてくれる手を思い出す。
天井を見上げたまま、ゆっくりと穏やかに、わたしはニルヴァニア王国王太子補佐役へと、問うた。
「わたしは、伯爵家の令嬢だった。間違いなく」
そう、覚えている。母の故郷。母の屋敷。母は、大きな屋敷にたった一人残された伯爵家の一人娘。
だから。
「父は、何者だったというの」
読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字などございましたらご一報いただければと思います。
12/05/08
いただいた誤字脱字修正とともに、少しだけ文章を加えました。
ありがとうございます!