21.暴かれるもの
「違います」
「違わない」
「違います!」
「違わない」
意味のない問答が繰り返される。唇を噛み締めると、やめろ、と頬に手を伸ばされる。その手を、振り払うようにして遠ざけた。
「わたしが、春をもたらすことなんて、できるはずがないでしょう!」
悲鳴のような、声が漏れた。
「しってるくせに」
こみ上げてくるものを押しとどめることもできずに、ぽろりと、頬をつたう一線が、思いのほか鬱陶しく、自らの身体をかき抱く。
「しってるくせに、何を言い出すんですか」
「ウィリア」
うるさい、と、呻いた。
もうたくさんです。春をもたらした、ニルヴァニアの姫君だなんて言われるのは、もう、たくさんです。
にせもののくせに。
ハプリシア様の、代わりのくせに。
「ウィリアローナ」
ため息とともに、名を呼ばれた。先ほどまでのかたくなな色はなく、顔を上げれば、レヒト様が深く深く長椅子の背もたれに身体を埋めている。
「なら、どうしてお前はここにいる」
返事ができなかった。頭が回らず、問いの意味を解せない。
「ハプリシアのことだ、リンクのことだ。あの二人は、べたべたにお前を甘やかしたんだろう。公爵家の人間も、みんな、お前を過保護に優しく包み込んで。ふさぎ込んだまま。真綿でくるんでお前が望むまま外界を遮断した」
ああ、まだいたか。と、レヒトは続ける。
「エヴァンも、過保護に、お前を刺激しないよう、優しく優しくしてくれただろう」
知らない。扱に困り果てているようにしか見えなかった。
「帰りたいといえば、誰もがお前の言葉を受け入れてくれたんじゃ、ないのか」
陛下は、最初は違ったわ。なぜだか手のひらを返したように、この間、好きにしろと突き放されたけれど。
「王国に戻ったとして、誰もが、お前を受け入れ抱きしめてくれるだろう。お前はきっと、許される」
なぜ、そんなことが言い切れるというの。
「リンク殿下が、わたしを、ハプリシア様の代わりとして嫁がせたのに」
そんなことをすれば、リンク殿下の顔を潰すことになるというのに。
許されるわけがないでしょう。
レヒト様は、肩をすくめるだけだった。
「言い渡されたのだろう。好きにしていいと。あれから何日経っている。なぜ、お前はここにとどまっている」
それは。
「リンク殿下が、こちらに向かっていると」
聞いたから。
「そうか。ならば俺と一緒に王国へ帰るか」
手を伸ばされた。けれど、わたしの手は伸びない。
「なぜ、手を伸ばさない」
分からない。手は伸びない。どうして、わたし、帰さないといわれれば帰りたいと嘆いて、帰ってもかまわないと言われたら帰ることに躊躇するの。
「俺は、あいつらのように優しくしない。可愛いウィリア。お前は、選べることを知るべきだ」
陛下も、そんなことを言った。選べないわたしを、そうやって追いつめる。
あぁ、けれど。
「そうですね」
その手を取ろうと、長椅子についていた手をゆっくりと動かす。
「わたしが、ここに居続けていいはずがない」
レヒト様の唇が、ぐいと弧を描いた。
「なぜ?」
問う言葉に、瞬く。
「なぜ、って」
「なぜ今更、それを言い出す」
「いいえ。いいえ。最初から、わたしは」
「動きもしなかったのに? 真実を告げて、この城から追い出されることもできただろう」
言葉を飲み込んだ。レヒト様、ひどい、なんてひどい。
「お前のことだ、関係ないと高をくくっていただろう。勘違いする相手が悪いと。間違えた向こうが悪いと。なるようになれと、傍観を決め込んだんだろう」
「やめて」
「そうして、向けられる優しさに、好意に、それらを認め受け入れたとたん、耐えきれなくなった。騙していることに良心の呵責に苛まれた」
「やめてください! レヒト様!!」
この人は、この場で暴こうというのだ。
なんだか安堵を覚えて、息を吐く。この人は、優しい人だと知っている。いつだって、わたしの周りには、そう、優しい人しかいないのだ。
分かっている。
わたしが未練なくここを去れるように、罪を突きつけるだけ突きつけて。
伸ばしかけた手を、ぐいと、のばす。レヒト様の手のひらに、触れる。
「あたたかな、場所でした。でも、前提が間違っているのです。周りの人全てを騙しながら、それを手にすることは、できません」
この国人々からもたらされる優しさを自分だけのものにしたいと、愛されたいと望むことは、なんと愚かで罪なことでしょう。
「望んだのか」
言質を得たように、レヒト様は繰り返した。そうですよと、わたしは開き直ってみせる。
「そうですよ。わたしは、愚かにも望んだのです」
ずっと、優しくされたいと。素直に、心の向くまま、与えられる優しさを受け止めたいと。
思った瞬間。思っていることを認めた瞬間、悲鳴が漏れた。
「でもこんなの、許されないじゃないですか!」
「ウィリアローナ・ヘキサ・シュバリエーン」
大きな声でレヒト様に名前を呼ばれ、その真実が突きつけられた瞬間、頭が真っ白になった。
「そうです」
静かな声で、わたしは応える。