18.触れた優しさと、そのわかりにくさに
庭園に面して大きなテラスがあるこの部屋は、サロンと呼ばれるらしい。
本来であれば、後宮の主がここに人を招いて音楽を聴いたりお話をしたりしながらお茶を飲むらしい。応接室とは違って、くつろぐための空間となっている。
わたしは今、陛下の訪れを待っている。
形式に則るのであれば、陛下がここにきて、それからわたしが呼ばれるはずなのだけれど、陛下の仕事が長引いているとのことで、わたしは一人ここで陛下を待っているのだった。
ミーリエルはいない。扉の外に、見張りの兵隊さんがいるくらいだ.
ここにきて、こんな明るいうちから一人になったのは、久しぶりである。
大きく息を吸う。
肺を満たす空気はどこかひんやりと冷たく、けれどさわやかだった。
「これが、春」
口に出して、自問自答してみる。
返事がない。人がいないので当たり前であるため、わたしは一人でうなずく。
「きっと」
日差しは温かく、気を抜くと眠ってしまいそうな心地の中、わたしは陛下の訪れを待っていた。
「すまない、おそくな……」
「……へいか」
いけない。本当に微睡んでいたようだ。入ってきたばかりの陛下の姿をみつけて、居ずまいをただす。
「お待ちしてました」
小さく頭をたれると、手を差し出された。
「約束通りに。庭へ」
陛下は、何が何でも今日、この時間に、わたしと庭を歩かなければならない理由があったのだろうか。
内心首を傾げつつ、その手を取って立ち上がる。
無心に手を取ってから、瞬いた。
どこの誰が、男性恐怖症だというのだろう。
こんどオルウィス様辺りでも捕まえて確認してみなければと一つうなずく。きっと、治ってしまったか、陛下との距離に慣れてしまったかなのだ。
そんなことを考えつつ、無理ではなく、でも頼れるリードで、わたしは庭へと連れ出された。
「綺麗」
咲き乱れる色とりどりの花々に、わたしは目を見開いて辺りを見渡した。
「こんなに、たくさん」
一度に、みれるものだったなんて。
「陛下、この花の」
なまえは、と問いながら言葉がしぼんでいった。陛下はこちらを見ていない。どことなく視線をそらして、いつもの表情に見えるが、漂う空気はどこか困っているような。
「……へいか?」
思わず心配まじりの声で呼びかけた。
「……次は、庭師と三人でまわろう」
その返事が全てだった。なんだか面白くて、追求しないままはいとうなずく。今日は、目で見て楽しむにとどめよう。
あぁ、ほだされていく。
花々に目を奪われる中でわたしの心のどこかがうずいた。ハプリシア様のかわりのくせに、こんなに楽しんでしまって良いのだろうかと。
王国で一生を終えると決めていたはずなのに。帝国でわたしは今何をしているのだろう。
「意識しないと、忘れてしまうくらいに、もう」
思わず唇からこぼれでた。前方の陛下が怪訝な顔で振り返る。
「姫。どうした?」
「いいえ」
ゆっくりと、わたしは首を振った。素早くふると慌てて見える。不審に見えるのだ。だから、わたしはゆっくりと。唇に弧を描きながら。
「いいえ」
なんでもないです。
「陛下、今日はありがとうございます」
「気に入ってもらえたか」
「はい」
それはよかった、と陛下は小さくうなずいた。
「これが春だ。ウィリアローナ姫」
「はい」
「あなたが我が国にもたらしたものだ」
亀裂が入る音がした。
花が咲き乱れ、笑みがこぼれる、幸せな空間に。
ゆるりと、首を振る。
「いいえ」
陛下の菫色が、困惑に染まる。わたしは醜い赤紫を眇めて、うたうように口ずさむ。
「わたしが春をもたらせるはず、ありませんわ」
いやな思いをさせぬまま、このときを終わりたかったのに。自然と胸がうずいた。
なのに、陛下の戸惑う顔が、柔らかな表情へと突如変わった。微笑みとはいかないが、どこまでも、穏やかな表情へ。
「かまわん」
そのうち分かると、陛下はおっしゃった。
こちらの台詞だと、思った。
「それより、こちらへ」
導かれる方向に戸惑う。後宮の外により近い場所へと導かれようとしていた。戸惑い、進む方向と陛下の顔を交互に見るが、陛下はこちらを見てくれない。
「へーか」
「ウィリアローナ姫。あそこにいる騎士が分かるか」
いつもみるより多い人数が、城の周辺警備として立っていた。その中の一人の姿に、瞬く。
「あなたの国から、この国まで付き従い唯一残った騎士だ」
わかります。とうなずいた。そこにいたのはヘイリオで。生真面目に周囲を見ながらも同僚の言葉に楽しそうに笑っていた。
入ったばかりで慣れないため、古参の騎士から仕事内容を教わっている途中なのだろう。時折、一人が喋り続けているのを真剣に聞いている光景が見えた。
「直接剣を交えてみたが、あれでなかなか筋が良い」
「小さいのに」
「あれほどの年齢で、この私にそう思わせるというのは、末恐ろしいと」
思うのだが? と、陛下はわたしへ視線を投げてくる。さぞ、彼についてはあなたの方が詳しいだろうと。言うように。
「こちらに来る馬車の中で、数日付き人をしていてくれただけなので、あまり親しいというわけではないのです」
おや、というような顔に、本当に、とうなずいてみせる。
「数年後になるかもしれないが、私は彼を姫の護衛官に任じようと思っていたのだが」
「よろこんで。いつかそうなるなら、とても嬉しいです。正しく力を付けた上でなら。とても」
わたしが無理を言えば、きっとこの皇帝陛下は今すぐにでも任じてくださるだろう。きっと、ヘイリオ自身にも、わたしを危険から守るだけの力がある。
けれどそれは、周りとの摩擦、軋轢を生む。
ここでひとつ歪みを作れば、彼の将来が、歪む。
だからそれは、いつかの話で良い。
「今日は夕方まで暇を作った。少し話をさせてほしい」
「……というと?」
「対話が必要なのではと、思ったのだが」
こちらに来てから二ヶ月近くも過ぎて、何を今更、とわたしは呆れる。苦笑しそうになったが、なんだか面白くて、そのままくすくすと笑った。
陛下の表情が、どこか穏やかな空気をはらむ。
「ウィリア姫」
「は、はい。すみませ」
「いや」
謝る必要はないのだと、陛下が手を振る。
「ただ、あなたはできればどうか、そういう風に笑っているべきだと」
そう思った。と、短く言って、陛下はわたしに背中を見せた。歩いていく姿に、庭にでるときのエスコートは何だったのだろうと揚げ足取りのように思うと、またどこかおかしかった。
ひやりと、いやな記憶がよみがえる。
『笑うな』
鋭く言われた、痛い言葉。
あれとは全く逆の言葉を言われたわたしは、どうすれば良いというのだろう。
ふと、振り返り考える。
陛下は、わたしにヘイリオの存在を伝えたくて、今回の場を用意した?
騎士団長であるガイアス様を通して、もう既に会っているのに。
あぁ、でも、騎士団長様はわざわざわたしとヘイリオを会わせるために非公式の会談の場を用意したとか。どうとか。
ということは、あの場でただの騎士とわたしを会話させることなんて、きっと陛下は知らないことで。
そんなこと本当にあり得るだろうかと思ったが、あの剛胆な団長様ならあり得そうだった。
「陛下」
早足で開いた陛下との距離を縮める。
この人は、ひどく分かりにくい。
『優しくしようと、努めてはいるんだ。これでも』
ひどく弱い言葉が頭過る。言われたあのときは即座に嘘だと思った、あの言葉が、本当だと信じられたら。
「重ねて、お礼申し上げます。ありがとうございます」
笑顔とともにそう告げれば、陛下は柔らかく微笑んだ。柔らかな日差しを受けて、金髪が輝く。その微笑みと、菫色はとても美しくて。
わたしが笑っても、きっとこんな風にこの赤紫は輝かない、と。思った。
読んでいただきありがとうございます。
書きながら、この二人はどうしたら歩み寄れるのかしらと頭を抱える日々です。ええと、今までのことを考えると、だいぶ前進いたしました。
けれど落ちがウィリアの卑屈な一言だったので、大して変わってないのかも。
オルウィスさんがこれからどう動くかが楽しみだなと、作者ながら思ってみたり。
これからもよろしくお願いします。