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16.いつかの騎士の約束

 東屋のすぐそばの、背の高い植え込みの影から飛び出してきた、少年。ガイアス様の肩に飛びついて、揺さぶろうと手をかけている。

 ガイアス様がびくともしないのはさすがといえるかもしれない。

「なんだ、もうでてきたのか」

「もうって何ですか! もう。って! ウィリアローナ様帰る寸前でしたよね? もう侍女さんが椅子引こうとしてて、姫様立ち上がろうとしてますよね!」

「このままタイミングを逃して打ちひしがれるお前もそれはそれでおもしろ」

「くないですから! 全然!」

 こんな、風に、怒鳴ることもあるのだと、思った。

「……うぅ」

 じっと見つめていると、少年は、よろりとガイアス様から一歩はなれ、顔を覆う。

「かっこわる……」

 小さなつぶやきを、わたしは拾えなかったのだけれど。だって、精一杯だった。目の前の存在が信じられなくて。疑ってしまって。けれど、確かめるのも怖くて。

「……?」

 呼びかけは声にならなかった。確かに名前を呼ぼうと思ったはずなのに、わたしの喉は、彼の名前を発さない。

 なのに、少年の表情が輝いた。慣れた動きで、貴人に対し敬意を示す礼をとる。

「自分は、ヴェニエール帝国近衛騎士団所属、騎士ヘイリオ・ナギクであります」

 わたしの足下で跪いているこの少年を、わたしは知っている。こんな場面が、いつかもあったと覚えている。

 ヴェニエール帝国近衛騎士団の深い赤の制服は、少年の黒髪と相まって美しく際立ち、いたずらっぽく輝く琥珀の瞳は、何も変わっていなかった。

 少し背が伸びているのだろうか。視線の高さは近かったように思うのに、今はとても同じ位置だとは思えなかった。

 手を差し出される。その手はどうしてもとれなかった。下から見上げてくる琥珀の瞳は、あのときと変わらず、眺めの前髪の向こうからじっと見つめてくる。

「どうして?」

 口にしてから思いついた。どうして、この子はこんな所にいるのだろう。困った風に、ヘイリオは笑った。複雑な表情など一切しない、彼らしい笑い方だった。

「どうして、そんな、ぼろぼろ……」

 袖からのぞく手の甲や、顔の分かりにくい場所に、わずかに青あざが見て取れた。あっ、とヘイリオは小さく声をあげて、照れたように「目立ちますか」と聞いてきた。いいえ、とわたしは返す。目立たない場所だからこそ、よけいに気になったのだ。

「この一ヶ月、鍛えていただきました」

 傷をいたわりたくて、手を伸ばす。けれど、触れては痛いだろうと、思わず手が止まった。引っ込めようと思った瞬間に、あたたかな手のひらに包み込まれる。

「っ!」

「男性に対し恐怖心を抱くと伺いました」

 だれから、という質問はするだけ無駄だった。一人しかいないのだから。

「私は、平気ですか」

 こくりと、うなずく。

「自分より、小さかったり、年が下だと、平気。みたいなの」

「背なんて、すぐに抜きます。それでも、平気でしょうか」

 そんな先まで、ヘイリオはわたしと会える場所にいてくれるのだろうか。

 いままでどんなに差し伸べられても、掴んでなどこなかった。ヘイリオは、初めて掴んだ手だった。温かい手。優しい手。

 なんで、こんな所まできてしまったのだろう。この、少年は。

 ただでさえわたしが騎士団内での立ち位置をあやふやにしてしまったのに、これ以上。どんなことを、わたしはわたしの知らないうちにしでかしてしまったというのだろう。

「わからない」

 だって、いままでなかったことだ。弟達はまだ小さくて、兄達はわたしより小さかったことなどなかった。


「平気であればと、願うわ」

 そういえば、彼は嬉しそうに笑ったのだ。無邪気に、心底嬉しそうに。

 なんで、彼が今ここにいるのだろう。

 考えてはいけない、と思う。うぬぼれてはいけないと。でも、だって。

「……わたしの、ため?」

 声は、かすれた。握られた手に、力がこもる。ヘイリオは笑顔を崩さない。

「どうして」

 えぇえ、とヘイリオが困ったような顔をした。

「なんとな、じゃなくて、ええと。理由ですか。ないと駄目、ですよね。ええと」

 どうしてだったっけ、と、彼は小さく呟いた。視線は次第に下に降りていき。うつむいていってしまう。

 わたしは、ただそんな様子の彼をじっと見ていた。期待と、期待を抱く自分に対する恐怖とを抱えて。

 手を引こうとしたとたん、強く引き返され、ヘイリオの顔があがった。

「あなたのこの手です。ウィリアローナ姫様」

 きょとんと瞬く。なに。何のこと。

 わたしが分かっていないことが伝わったのか、ヘイリオはええと、とまた考えを巡らし始めた。

「自分は騎士になると決めた時、父にいわれた言葉があります。父は話が長いので、だいたいは忘れてしまうのですが」

 言って、彼は視線を落として小さく笑う。

「一つだけ。信じたことは貫けと、その言葉だけが残っていて」

 また、握られた手にわずかな力が込められた。

「自分は、ひと月前、この手を引かせていただいた時に思ったのです。冷たい手だと」

 それが、ここに残った理由です。

「リンクィン殿下に無理を言って、残らせていただきました」

 そういって、ヘイリオは立ち上がった。結局どういうことかさっぱり分からない。だって、わたしの手が冷たかったからと言ってなんなのだ。

「本当は、すぐにでも騎士隊長になって、あなた付きになれたら良かったんですけど」

 黙って聞いていれば、とんでもないことを言い出した。後ろでガイアス様も「生意気言いやがる」と苦笑している。

 十代半ばで騎士隊長など、あり得ない。本来であれば。でも、わたしは知っている。

「自分は物語の主人公ではないので、これから、頑張ります。いつか、おそばに」

 真摯な色を含んだ琥珀の瞳を見つめながら、わたしはやっと微笑めた。

 わたしは、知っている。

 この子は物語の主人公になれると。

 だって、リンクィン殿下が目をかけているのだ。そして、騎士団長のガイアス様にも目をかけられた。

 そもそも、よっぽどの実力の持ち主でなければ、大国に嫁ぐ姫君の付き人など、臨時といえどもつとめさせられるわけがない。

 わたしは、ヘイリオの実力など知らない。

 それでも、この少年は素晴らしい力を持っているのだと確信する。

 沢山の人から注目を集め、きっと、神様にも愛されているのだ。


 だからきっと、ヘイリオは望んだ場所ならどこにだっていけるだろう。

 武官は実力社会だ。実力を正しく認められ、そして、その屈託のなさから味方を作れば、きっと、彼は、とんでもない力を持つことになる。

 どこにだって、きっといける。


 それなら、わたしの隣でなくとも、良いのに。


 思わず苦笑した。何かが視界の端でこぼれた。

 握り返して、ずるずると椅子から離れ、床に座り込んで。

「ありがとう」

 小さな声でも、確かに、わたしはこの少年に言葉を伝えたのだ。



読んでいただきありがとうございます。

誤字脱字などありましたらご一報いただければと思います。


なんとか更新できました。毎日でなくとも週に何話か更新できればと思います。


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