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14.婚約式典


 ウィリア。ウィリア。

 わたしの一人娘。世界で一番幸せになる女の子。

 愛しい、ウィリアローナ。大好きよ。

 いっぱい。いっぱい。

 愛してあげるからね。



 悪い夢を見ている気分だった。ずっと。いつからだろうか。

 音も、景色も、感覚をなでるだけで、深く入ってくることなんてなくて。


 なんて。



 嘘です。


 いつからか、なんて分かりきってました。わたしはいつからわたしがこうなったか、知ってる。


 公爵家にいたときからずっと。一人書庫にこもって拒絶して。愛してもらってたくせに、そのお返しの仕方も知らない。季節の移ろいなんて知らない。人との繋がり方なんて知らない。









 わずかな人間だけで、神への誓いは執り行われた。どこかのだれかさんのせいで、いくつかの段階が省略されてしまったのだということを聞いたのは、何ヶ月もあとのこととなる。……、ごめんなさい。

 ヴェニエールが信仰する神を祀る神殿で、司祭の言葉と、巫女の唄で、お祈りをして。

 陛下から指輪を贈られて。所有物という証のような指輪をその手ではめてくださった。

 そうして、最後に、神様の前で誓うのだ。

 誓いのキスをもってして。


 皇帝陛下は、わたしにキスをしなかった。したけれど、唇を塞ぐことはしなかった。わずかにずれた、唇の端。うっかり間違えるようなことではないと、それくらいわかる。


 薄いベールに覆われた視界で顔を上げた。ぼんやりと菫色の瞳を探し、見つける。

(この人は)

 感情の読めない表情で、ただ、わたしをじっと見つめるその双眸。

(誓わなかった)

 ハプリシア様の代わりとしてやってきたわたしを、この人は、きっと受け入れない。

 わたしは、ふさわしくはないのだ。


 体全体を拘束するかのような重たい衣裳をそのままに、神殿からお城へのわずかな距離を馬車で進む。天井のない、二人並んで座るつくりのものだ。わずかな距離を、ゆっくりとした速度で進む。沿道に人の群れ。お祝いの言葉。降る花。

 肩に添えられた手は、わたしがくらりと人並みに目眩を起こすたび、引き上げてくれるかのように力が込められた。

 ハプリシア様はきっと、民に無様な姿を見せはしない。

 思い直して、持ち直す。

 時折感じた視線を無視して、わたしは軽く手を振ることさえやってみせたのだ。


 中庭に面したバルコニーは、カーテンの向こうであるはずなのに、とんでもない人の気配を感じるのはなぜだろう。

 なにかしら式典があるたびに、王族が顔を出すためのバルコニーがある。

 婚約式典である本日もまた、そこから陛下は顔を出し、手を振るのだ。小脇に皇妃をかかえて。

 そこでようやく、久しぶりにリンクィン殿下の姿を見た。仏頂面で、わたしのことをただじっと見つめている。やっと、笑えた気がした。ほっとして、笑みを見せる。

 笑ってみせたのに、リンクィン殿下は傷ついたような顔をなさった。失礼してしまう。

 わたしが与えられた役割に、なんの難しいことはない。

 着飾られて、隣にただ立って、手を振るだけで良かった。

 笑わなくても、薄いベールがわたしの顔を覆い隠す。バルコニーの下では、特別に開かれた城内の中庭が、人で埋め尽くされていた。

 誰も彼もが浮かべる喜色。わき上がる熱気。歓声。笑顔。熱気。

 あてられる。

 のまれる。

「姫」

 短く声をかけられ、意識が引き戻される。肩に手があるのは馬車でも同様。力を込めるだけでは足りなかったようだった。

「すみませ……」

 形ばかりの謝罪を口にする。顔を見なければと思った瞬間、視界がはれた。

 仏頂面の、皇帝陛下。

 その手によって暴かれたベール。

 思わずそちらに視線がそれ、近づくかんばせに対応が遅れた。

 押し付けられる唇は、それでもやはり、唇の端へとそれる。

 民衆が沸き立った。

 目を丸くして、わたしは口元を抑える。鳴り響くファンファーレは、終わりの合図で、わたしは陛下と、カーテンの向こうへと民衆から姿を隠した。

「……不意打ちの、意味、あったんですか」

 ぽつりと聞いた。

 控えていたのはあの優男と、リンクィン殿下。数人の騎士。バルコニーで護衛をしなかった騎士や、優男とリンクィン殿下は、わたしの言っている言葉は分からないだろう。カーテンの向こうで何があったか、知る由もないだろうから。

 それなのに、皇帝陛下は何も教えてくださらなかった。


「……」

 ため息をついて、歩き出す。時間は止まってくれない。これから国内の要人を招いたパーティーが行われるのだ。

 皇帝陛下の背中を眺めながら、段取りを思い返す。

 衣裳も髪も全部別のものにやり変えて、今度ばかりは愛想良く、愛嬌を振りまかなければならないはずだった。

 食事はとれないはずだから、軽食だけでもおなかに入れておくべきだろう。ミーリエルに頼んである。

 ミュウランは、今日はいない。忙しい人なのだ。一番信頼の置けるお針子さんが、指揮を執っていて、不安なところはない。

 大丈夫。心配することひとつもない。

 大丈夫、大丈夫。


 まるで呪文のように唱えたときだった。

 がくんと、膝から力が抜けて、視界が落ちる。


 あっと思ったときは、床に手と膝をついていた。


 民衆の前で、この醜態を演じなくて、良かった。

 優男は良い、鼻からわたしに期待していなさそうだった。

 リンクィン殿下も大丈夫。わたしを知っている。

 申し訳ないことをしたのは騎士達だ。皇帝陛下は完璧に陛下としての民の理想を体現していらっしゃるだろう。その隣に立つ妃がこんな風では、さぞかし幻滅させてしまったのではないだろうか。


 民のおさめる税を持ってして、王族は生きている。生かされている。

 それは、その税を持って民を生かすため。それは、彼らの理想を守ることにも繋がる。彼らを幻滅させてはならない。彼らの血と汗が、こんな人間のために使われているなど、我慢ができることではないだろう。

 なのにわたしはこんな。

 くろくぬりつぶしたく。


 引き上げられる。

 飛び込んできた菫色は、何の感情ものぞかせぬ表情と声音で、わたしを抱き上げたまま指示を出した。

「姫は重なる心労で寝込んだ」

 寝込んだって。わたし今ここにいますが。

「皇帝もその様子を見舞うため席を外す」

「は」

 わたしの心の声と重なったのは、優男だった。

「えー。まじですかへいかー。へいかーあのー。あーもー」

 ほんの少しだけですよーといって、優雅な足取りで優男は部屋から出て行く。出て行った瞬間走り出していた。見えないのだけれど、足音がそう告げていた。

 あの優男を取り繕えさせないほどのことを、この人は言ったのだ。

「エヴァンシーク殿」

 リンクィン殿下の呼びかけに、陛下は視線だけで応えた。

 にっこりと、殿下が笑う。

「うちのウィリアローナを、どうぞよろしくお願いします」

 それだけ聞いて、陛下も部屋をあとにした。頭上から、わずかなため息が、聞こえた気がした。


 そして陛下はわたしをわたしが与えられた客間へと放り投げ、さっさとどこかへ行ってしまう。

 ああいわれた以上、わたしはパーティー欠席ということとなり、ミーリエルやお針子さんたちと顔を見合わせ、困った風に笑い合うしかなかった。


 そうして布団に入ったところまでは、良かったのですが。



 十日以上も寝込むことになってしまったのは、何とも、情けない話だった。


お久しぶりです。また、更新続けられたらと思います。

よろしくお願いします。

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