13.意図せぬ密会
「何をしている」
婚約式典当日の朝早く、思いもよらない人物、というか一番会いたくなかった人とばったり出くわして、わたしは瞬きするだけで精一杯だった。
「何をしてる、と言われましても」
じりじりと後ずさって、本棚の陰に隠れる。つい先日もこんなことしなかったか、侍女に対して。
ここは、閉架図書室。皇帝陛下が頻繁にいらっしゃるということで、城で働いている者たちの間では『陛下図書室』ともかけて呼ばれているそうだ。
ミーリエルが教えてくれないことを、髪いじりの好きな侍女は時折口走る。その度に慌ててミーリエルには内緒だというのだから、分かりやすくて助かる。
そんな現実逃避をしている場合じゃなかった。間近に迫ってきた皇帝陛下に対し、背中はすでに本棚にくっついており、左右も誰かさんの腕のおかげで逃げ場はない。っていうか近い。パニックになる。悲鳴を、あげそうに、なる前に、そう、日常会話を。
「へ、陛下こそ、なぜこんなところに? し、式典の準備では……」
「数時間単位で、開始時刻が延期になった。……花嫁がいないとなればたしかに準備を一時中断し、探すしかないな」
やたら饒舌ですね陛下。そんなに頭にきてますかそうですか。怖いです。
「式典は」
「おとなしく参加するにはちょっと抵抗がありましたので」
くるりと陛下に背を向けて、本棚を見上げる。ざっと背表紙の題字を眺め、適当な一冊を手に取った。
「本を一冊読み終わったら、戻ろうと思っていたところです」
抱え込み、陛下の腕をつんつんとつつく。「そこ、通していただけますか?」
ただし陛下は甘くなかった。のりと流れで腕をどけてくれれば良かったものの、その様子が一切ない。
「……」
眉を寄せる。やはり皇帝陛下は、手強い。
「陛下は是が非でもわたしと結婚したい訳ではないでしょう。良いではないですか。式典がつぶれるくらい」
「是が非でも、といったらどうする」
まさかそんな……。まぁ、冗談なのでしょうけれど。
「驚きます」
私もとりあえず、率直な意見を述べておいた。
「……」
陛下は何も言ってくれない。わたしも何を言えば良いというのだろう。
一つ息を吐いて、「陛下」と呼びかけた。
「古いお話を持ち出してもよろしいでしょうか」
「かまわんが」
「……、今、季節はなんなのです」
「……」
また、陛下は沈黙した。なぜだか眉をひそめたあのときの皇帝陛下を思い出す。疎まれていると感じた、あの表情を思い出す。
「季節は、春だ」
「春」
暖かな季節だ。日差しが柔らかく、小鳥がさえずり、花が咲き誇る季節。
わたしは知ってる。ちゃんと、どんな季節か。
「今が、そうなの」
ぽつりと呟く。疑問符は付けない。
「貴方がもたらしたものだ。失えば、たちまち冬となる」
首肯とともに、皇帝陛下は付け加えた。そんな、詩人のように持ち上げずとも良いではないか。なんだか気に入らない。
でも、かといってそれにお似合いの反論も思いつかない。
「おだてれば、空を飛ぶとでも」
「地に足がついていなければ、少なくともどこかに行く心配はない」
陛下が言うと同時に、わたしの足は地面からはなれていた。また、横抱きにされている。何度目だ! 慣れたのかパニックになることはなかったが、呆れてものも言えなかった。
「同盟のため、ですか。いいえ、嘘です。ニルヴァニアがなくとも、ヴェニエールは十分強国で居続けられるのに」
「姫が欲しかった」
「な」
「そうであれば満足か」
目の前の胸板を拳で叩いた。びくともしないその壁に、奥歯を噛み締める。
「欲しかったのは、歴史ある、血筋でしょう」
皇帝陛下は答えない。
元の与えられている客室に戻された。ミーリエルと、ミュウランはいないがその部下であるお針子達がほっとした表情を浮かべる。
「優しくしようと、努めてはいるんだ。これでも」
別れ際にはなたれた最後の一言だけ、これまでのどんな言葉よりも言い訳がましく、弱く、ずるい、そんな声音だった。
扱いをはかりかねて途方に暮れて、今にも投げ出しそうな、そんな、声を出させているほど、わたしは。
あの人を、困らせることができているのか。
それこそ、嘘だと思った。
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拍手設置とかした方が良いんだろうなぁと思いつつ。重い腰があがりません。