11.再会と優しさ
「な、なぜ、あなたが……」
「おやまぁ。ハプリシア様が嫁ぐという噂は何だったんだい」
姿を現した人物を前にして、わたしはピシリと固まった。
陛下との会話ですっかり朝食をとる気を失ったわたしは、軽くつついただけで下げさせた。ミーリエルが始終心配そうにわたしの顔色をうかがっていたことには気づいていたが、特に何も言葉は交わさず、空いた時間を刺繍に費やす。
一度読んだ本を読み返しても良かったのだが、本を読みながら考え込む癖があるため、刺繍を選んだ。よけいなことを考えそうだったからだ。
それに、得意とは言えないが、細かい手作業は好きなのだ。
軽い昼食をとり、応接間へ移動する。ミーリエルが、何か言いたそうにしているが、発言を促す気分にはなれなかった。
だって、婚約を白紙に戻したいだなんて。我ながらひどいことを言ったと思う。
式典の衣裳を手がけてくれるというデザイナーは遅れているようだった。
「忙しい方ですから」
ミーリエルが、取りなすようにわたしに伝える。
そんなことで気を悪くしたりはしないが、まぁ、立場上わたしは待たせることはあっても待つ機会はなかなかないはずであるため、デザイナーの態度に先が思いやられる気分ではあった。
まず、城の女中が先触れとしてもうすぐこちらに来ることを伝えにきた。しばらくして、ノックの音が響く。
ミーリエルがわたしへ一度目配せをして、扉を開いた。
さらりと揺れる、切りそろえられた、束ねられていない黒髪。
いたずらに光る碧眼。
その笑みは、その唇が発する言葉と全く逆の表情を形作っていた。
「ウィリアローナ姫じゃないか」
あでやかに、美丈夫が微笑む。
「ミュウ、ラン……」
さん、と心の中で付け加える。呼び捨てにしないと、なぜかこのお方は拗ねるのだ。くるくると思考を巡らせ、それでもわたしは全く無駄な問いを口走った。
「な、なぜ、あなたが……」
「おやまぁ。ハプリシア様が嫁ぐという噂は何だったんだい」
問いに答えてくれないし、わたし自身もその問いかけに答えることができず、わたしは長椅子の上に座ったまま動けなかった。後ろでミーリエルがあわわわわとわたわたしている。
「座っても?」
聞かれて、あわてて席につくよう勧める。無作法に気を悪くした様子など一切見せず、ミュウランは深く腰を下ろし足を組んだ。身を包んでいるのは異国の衣服で、見ただけで分かる軽い素材。きっちりと着込んでおり肌が見えてる訳でもないのに、なぜだか色っぽい雰囲気が漂う。
「お久しぶりだねぇ、ウィリア様。ふむ、それなら、寸法は測らなくてもかまわぬかえ? 相変わらず不要な物のつかない、つましい生活をしているのだろう」
ミーリエルが一度憤慨したような顔をして、ふと、首を傾げる。
「お知り合いなんです? 姫様」
「古い古い、ね。公爵家にいた時からだから十年に少し届かないくらいになるかねぇ」
わたしに聞いたはずなのに、ミュウランに答えられ、ミーリエルはむっとした顔を隠さない。しかし、かけられた言葉に、ひ、え。とミーリエルが目を丸くする。
「ミュ、ミュウラン様って、神聖王国公爵家のお抱えだったんですか!?」
「そういう訳じゃないけども」
超人気デザイナーの活動初期情報得たり! とその目は爛々と輝いている。
くつり、とミュウランは笑んだ。
「それより、時間がなかったと聞き及んでいるが?」
「あぁ! そうでした! さ、姫様」
促されても……。困った顔をしてみせると、ミュウランは肩眉を上げてみせた。
「あいかわらずだねぇ。前にも教えたこと、なかったかえ」
ぽつりと呟くミュウランに、わたしはおもわず顔をそらした。
「身にまとう衣裳はウィリア様自身の鎧。難敵に挑むときは一流の素材で一流の腕によって作られた唯一の物を。……今のあなた様は、鎧をまとうことすら拒み、まるで、ただその心を蹂躙されることをよしとするかのよう」
「そんなことないわ」
とっさに口からこぼれたのは、反論だった。思わず口元を覆う。けれど、それは止まらなかった。
「わたしは、王国に帰りたいの。身代わりはいやなの」
隠した口元から、次々と本音がこぼれて行く。
「なのに、こちらに属すことを証明してしまうための式典になど、出たくない。ただ、逃げている訳じゃないわ。出ようとしないことも、一つの意思であって、べつに、立ち向かうことから逃げてなんか」
おやおや、とミュウランはことさら楽しそうに笑む。そうこなくちゃと、手を打った。
「全てあたしにまかせるこどだね。文句なんて出てこないほど、素晴らしい物を作ってあげよう」
「……ミュウラン」
おもわずじっとりとミュウランを見つめた。なんのことかえ、と艶やかに笑む。いいようにのせられた気しかしないが、まぁいいかとため息をついた。
反発心もある。でも、わがままや無茶な主張をすれば、逃れられるということでもない。
それなら、やっぱり。
「不備があったら許さないから」
立ち向かうしか、ないのかもしれない。少なくとも目の前のこの方は、立ち向かうべきだと言外に告げている。
ふふ、とミュウランは楽しそうに立ち上がり、くるりと扉の方へ足を向ける。あぁそうだ、と立ち止まった。
「そこの」
「っへ? 私ですか?」
容赦なく指をつきつけられたミーリエルはあわわと問い返す。そう、とミュウランはうなずいた。
「あとでウィリア姫の頭をなでくり回しておいてもらえるかえ」
「は」
「なんだかんだでがんばっているみたいだからねぇ。かつてと比べれば、褒められるような姿勢なのだと、自覚させてあげないと」
じゃぁ、たのんだよ、と優雅な足取りで、美丈夫は扉の向こうへ姿を消した。
ぽかんと、ミーリエルはミュウランの立ち去った方向を見つめている。
「て、いうか、打ち合わせ何もしてなくないですかっていうか、ウィリアローナ姫様の、頭……?」
お知り合いなら、自分でやって行けばよろしいのに、とミーリエルはぼやいていたので、私は一応ミュウランのために口を挟んだ。
「わたしに気を使ったのだと思う」
「はい? 気を使われたんですか? といいますと」
「男の人に近づかれるのが、苦手だから」
恐怖症ではない、断じて。ただ、身体が強ばってしまうだけで、問答無用で逃げ出したくなるだけだ。
ただ、それだけ。
ふとミーリエルの方を注視していると、ぽかんと目を見開き、口をまんまるに開けたまま固まっていた。
大きく息を吸う音が、響く。
「えええええええええええええ」
盛大な驚愕の声が、あがった。
そして響いた、くつくつという笑い声。それは扉の外からで、徐々に遠ざかって行く。
「趣味が悪い」
わたしは眉をひそめて呟き、
目を閉じて笑むのだった。