禄:血塗られた歴史
偃月、そこには古くから二つの勢力があった。…それが、つい五年前までこの偃月を二分していた下弦と上弦。
度重なる政略結婚の末、親族と呼んでよい程の深い血の繋がりを持ち、しかしそれと同時、血味泥の歴史を築き上げ、何故か決して一つとなることはなかった。
「私は上弦から下弦の統率に嫁いだのです。
その頃私の一つ違いの弟が上弦の家督を継いでいました。
私はここにきてやっと二つの家は一つになると思いました。しかし結果は―――」
哀しげに目を伏せる。
「血塗られた歴史を、また一つ重ねただけ…」
そう何者も、この歯車は止められないのかもしれない。下弦と上弦、そのどちらかの歯車が動きを止めなくては。
「あの、一つ聞きたいことがあるんだけど…」
不意の問いに尼僧は顔を上げ、槹也を見た。初めてこの少年の顔をまじまじと見た気がする。
その目には自分の息子・カズラと対を為すような煌とした輝き。
そして―――
「ウルクって知りませんか?」
見れば見る程、この少年はあの男に似て―――
畏怖を帯びた眼に、槹也は言葉を失った。
「玲浄院様」
明かりの固まりが近づいてくる。それは二人の人影を率いた依世だった。
玲浄院がはっとして依世を振り仰ぐ。
「…埋葬は…済んだのですか?」
玲浄院の声は少し震えていた。
それを識ってか識らずか、俄かに依世は首を傾げる。
「はい。都に帰り、門番を借りて手伝ってもらいました」
「そう…」
突如スッと立ち上がり、背を向けて歩きだした玲浄院を依世は目で追う。
「お休みになるんですか?」
「…ええ。今日は朝から気分が優れなかったから早目に寝ようと思うの」
玲浄院の後ろ姿が遠退いた後、依世は槹也に向き直った。
その表情が強ばっている。
「お前、何か無礼をはたらいたのか?」
「スリーサイズを聞いたんだよ」
「すりーさいず?」
依世の眉が顰められる。
聞き慣れない言葉の意味を考え込んでいる青年一行を観て密かに口元を弛ませる槹也の視界が一瞬乱れた。
「どうした?」
目を覆うように顔に手を持ちあげた槹也に依世が尋ねる。だが槹也は
「いや…」
と小さく言うと立ち上がった。
「俺も寝ようかな。
依世、明日の朝都のあんたを訪ねていいか?
聞きたいことがある」
「ああ…構わない」
依世の目の前で少年はふらふらと布団まで歩いていき、ドサリと音を発てて倒れた。
その五秒後には寝息の音。
「…あいつ、ああいう病気なのかな」
答えは帰ってくるはず無いが、依世は背後の二人に向かってそう呟いた。