泗:奈瑞菜
現世界に帰った少年・槹也は一般人生活を開始する。
薄雲のかかった空は既に白んでいる。
通学路には近辺の高校の生徒達が見え始め、登校時間が重なった友達に眠そうに手を振る。
そんないつもと変わらぬ光景の最中、形容しがたい叫び声が聞こえ、人々はビクッと振り返った。場所は通学路の傍らに建つ、かつての武家屋敷靱代家二階。
「ぃ―――――ってぇ!!」
少年は部屋を訪れた者の攻撃を避ける時、勢い余って戸を蹴り上げてしまった右足を抱え、転がり回っていた。
「お前、馬鹿か」
その様子をみてさらりと言い放つ二十代程の女性の名は靱代奈瑞菜。
モデルのように綺麗な立ち姿。真っすぐな黒髪は背中に掛かり、前髪は日本人形然り切り揃えられている。
顔は見る者すべてがつい見惚れてしまうほど整っているが、彼女の手に持たれているのは鞘付きとは言え、真剣だ。
夜から開けられたままただろう窓から、涼しいとは言い難い9月の風が入ってくる。布団の枕元には学習道具が広がったままで、少年が宿題をしながら寝てしまった事実は明白。
この世界――ややこしいのでここからは現世界と呼ぶことにしよう――と対の世界の境界に存在する者だからだろうか。引き取って六年、彼は二十時を過ぎて起きていられたことは一日もない。
「槹也、八時十分を回ってるぞ」
「それを早く言えー!!」
槹也と呼ばれた少年は痛みに目に涙を湛えながら支度をしに部屋中を駆け回り始めた。
そんな光景を尻目に部屋を出、階段を下りながら奈瑞菜は槹也の高校での三者面談を思い起こす。
担任の今にも浮かび上がりそうなヅラではなく、その言葉を、だ。
――槹也君はとても落ち着いた生徒でして――
嘘をつけ。
奈瑞菜は脳内で担任の山根を切り捨てた。