拾弐:多梅
客間へ急ぐと、既にそこに通されていた少女は俯いていた顔を上げた。
後頭部に纏めあげられた黒髪は、簪で留められている。そこについた椿の花を模した飾りが少女の白い肌と対を為す。
「多梅姫、そう何度も何度も来て頂いて申し訳ないが…」
「でも…」
じわっと効果音が付きそうな勢いで多梅の目に涙が浮かび、既にできた涙の筋に沿って流れていく。
「…つづら様に会うまでは帰りません…」
座卓を挟んで向かい側に座りながら依世は内心嘆息した。
前にも述べたように、多梅はこの家の若き当主・つづらの婚約者である。
重臣が家柄と器量だけで選んだ娘だ。可愛くない訳はない。だが、
「朔間殿に言われて来たのか? 何度来られても、つづら自身が会おうとしなければ――」
「何故…つづら様はわたしに会ってくださらないんですか…?」
毎日この訪問の習慣が続く呆れるほどの根気。それだけつづらのことを思ってくれているということなのかもしれない。
――だが、つづらは…
目蓋の裏、雪の降る中に立つ二人の少年が浮かぶ。
一人はこちらに人懐っこい笑みを向け、一人は面で表情を覆い隠す。
やがて一人は消え、もう一人は背景と同じように徐々に貌に光を失っていった。
上弦と下弦、両家の諍いがあれから言葉を、人との交わりを奪ってしまった。
「…会っても悲しいだけ。きっとあなたのことも忘れている」
「…そんな」
少女が依世を見上げた。涙で熱の籠もった視線が依世を貫く。
「何があったんですか…!? この家に使えていながら、朔間家の人間は誰も正確なことを知りません。ただ…ただ――」
多梅は上ずる声を押さえるように、ぐっと奥歯を噛み締めた。
「上弦から連れてこられた人質が、つづら様が変わり始めた五年前、何者かに殺められたということだけを…!」
忌々しい過去。
依世の顔に苦渋が広がった。部屋の外に控えていた香弥が立ち上がる、布擦れの音が静かに聞こえてくる。
目の前の少女は華奢な体を震わせ、嗚咽を上げていた。
この少女も少女なりに責任を感じ、自分を追い込んでいる。偃月の国をまとめるはずの者に嫁ぐ身として、彼女もまた、一臣下でしかなかった朔間家の期待を背負っていた。
「依世様!」
不意に外から声が掛かった。香弥だ。
「靱代槹也と名乗る方が、つづら様と一緒にいらしています!」
一衣帯水のコメディー版を書きたいなぁと思う今日この頃。