拾壱:香弥
その渡り廊下に、長い黒髪を背中で緩やかに一纏めにした若い女中が一人。
香弥はおもむろにある部屋の前で止まると、片足を引き、正座になった。
「依世様、お客様がお見えです」
数秒の後、立ち上がる音が聞こえ、戸が横に滑った。
「客は槹也という少年か?」
廊下にそっと足をつきながら、依世は尋ねる。赤茶に光沢を放つ板が僅かに軋んだ。
「いえ…それが」
主人をふと見上げた香弥の顔に、困惑が浮かんでいた。
「…多梅様なのです」
多梅は下弦家の流れをくむ朔間家の当主の娘であり、下弦家の当主の婚約者。
緩慢に香弥が立ち上がる。その隣で茶色の髪を掻き上げながら、またか…とため息混じりに呟く頭一つ半背の違う青年を盗み見た。
香弥がこの家で奉公するようになったのは十の頃で、その時初めてこの一つ年上の依世と出会った。
鋭い雰囲気をもつ先代で兄の宗因と違い、謙虚でもの静かな少年。側室の子とはいえ先々代の子息でありながら、相手が女中であろうと若年者であろうと疎かな態度をとったのを見たことがない。
優しく整った顔で微笑まれると、ほとんどの女性が心奪われるだろう。
「どうした?」
黙り込んでいる香弥を、いつの間にか依世が見下ろしていた。
「…いえ」
含み笑いを洩らしながら、答える。
「呼びにきた身でなんなのですが、依世様もつづら様のことばかりでなく御自分のことも考えられた方が宜しいのでは?」
「お前はいつもそう言う」
多梅姫の話が出ると、と苦笑を零す依世。
その様子を見ながら、香弥は微笑ましく思った。
『依世様はどんな方を奥方を迎えなさるのですか?』
そう冗談半分で尋ねると、当時十一歳だった少年は珍しく取り乱し、
『だ、誰であろうと香弥には関け‥ぃ‥‥』
耳まで赤くなって走り去っていった思い出が過る。
「依世様は大人になられましたね」
「私はお前より年上なのだが…」
再び苦笑し、依世は香弥に背を向け、歩きだす。その背中が遠くならぬよう、彼女は依世を追った。
戸の隙間から部屋内に伸びる陽光が、忌まれた面を二つに割る。
久しぶりの投稿かもしれません。もし毎回読んでくださっている方がいらっしゃれば、さぼっていてすみませんでしたm(__)m鋭い方は大体青鈍が誰かわかってしまったのでは?そろそろ青鈍の登場です。