濡れ衣の配達証
翌朝、町じゅうに配られた号外には、見慣れた銀色の印が押されていた。
水路共同記録、偽造の疑いあり。
混乱を招いた責任者として、魔法郵便士リゼットを調査対象とする。
リゼットは郵便局の掲示板の前で、何度もその文字を読み返した。
「私が……混乱を招いた?」
隣に立つミナが、震える手で号外を握りしめる。
「でも、記録石は封印したままだよ。誰も勝手に書き換えていない」
「書き換えたのではなく、最初から偽物だったんだそうです」
背後から、局長の声がした。
振り向くと、局長は苦い顔で一枚の書類を差し出した。そこには、昨日まで作業室で整理していたはずの証言記録が並んでいる。だが、日付も発言者の署名も、ところどころ違っていた。
魚屋の女主人が語ったはずの証言には、グラウス家への中傷が加えられている。染物職人の記録には、水路を占拠すると脅した言葉が書かれていた。船大工の帳面には、共同修理ではなく、監督局への反抗を示す印が付けられている。
「これは、私たちが作ったものではありません」
「分かっている」
局長は目を伏せた。
「だが、町の人間は分からない。公表された記録に、郵便局の封印がある。正式な配達物として扱われている以上、局として君を守ることはできない」
「公表……?」
リゼットの胸に、冷たいものが落ちた。
作業室から出て、港へ向かう通りを歩く。すれ違う人々の視線が、昨日までとは違っていた。
「水路を売りたいのは、あの子なんだって?」
「名家と取引していたという話もあるぞ」
「母親のことも、何か隠しているらしい」
聞きたくなくても、声は耳に入ってくる。
声を記録できることは、これまでリゼットの力だった。けれど今は、誰かが作った偽りの声まで、自分に向かって投げつけられているようだった。
郵便局へ戻ると、局長が机の上の道具を一つずつ片づけていた。
「本日付で、臨時調査員の任を解く。調査が終わるまで、配達業務にも就かせられない」
「私を外すんですか」
「私の判断ではない。監督局と町議会からの要請だ」
リゼットは返事をしなかった。
机の端には、昨夜まで使っていた記録石が並んでいる。町の人々が、自分の名を明かして残した声。あれらもすべて、偽物だと決めつけられるのだろうか。
扉が開き、エドガーが入ってきた。
彼は局長から書類を受け取ると、表情を変えずに読み進めた。
「監督官として、私はこの処分に異議を申し立てる」
「エドガー、やめてください」
「なぜ」
「あなたまで疑われます」
「すでに疑われている」
彼は書類を机に置いた。
「監督局にも同じ記録が届いた。君が住民を扇動し、水路を占有するために虚偽の証言を集めた、と書かれている」
「そんなこと……」
「知っている」
短い言葉だった。だが、その声には揺らぎがなかった。
エドガーは記録石を一つ手に取った。
「この石の封印は、昨夜、私が確認した。破られていない」
「でも、同じ封印が別の記録にも使われています」
リゼットは偽造された書類を指さした。
「この封印は、郵便局のものに見える。でも、少しだけ響きが違う」
彼女は紙面に耳を近づけた。
封蝋を割る音。紙を折る音。押印する音。偽造記録には、三つの音が重なっている。そのうち押印の音だけが、妙に乾いていた。
「本物の封印は、押す前に必ず台座を水で湿らせます。紙に触れたとき、かすかな水音がする」
「この書類にはない」
「はい。しかも……」
リゼットは目を閉じた。
偽造記録の最後に、遠くで金属を削る音が混じっている。昨日の作業室にはなかった音だ。鋭い鑢を、ゆっくり引くような音。続いて、低い鐘が二度鳴る。
「この書類は、郵便局で作られていません」
「分かるのか」
「断言はできません。でも、作られた場所の音が残っています」
局長が不安そうに尋ねた。
「それを証明できるのかね」
リゼットは答えられなかった。
今の彼女には、記録石を調べる権限も、住民の証言を扱う資格もない。机を離れれば、ただの配達士だった。
やがて、局長が小さな箱を差し出した。
「私物をまとめておいた。調査が終わるまでは、局内への立ち入りも控えてくれ」
箱の中には、銀笛と数本の封印糸、それから母の形見の古い配達札が入っていた。
リゼットはそれを抱え、局を出た。
外では雨が降り始めていた。港の石畳に水が流れ、路地の排水溝へ吸い込まれていく。町を守るはずの水路が、今は彼女を追い立てるように音を立てている。
「リゼット」
エドガーが傘を差し出した。
「私は一人で調べます」
「君の処分が解かれるまで、私も監督局へ戻れない」
「それなら、なおさら離れてください」
彼女は傘を受け取らなかった。
「私のせいで、あなたまで職を失うかもしれない」
「君のせいではない」
「でも、私が声を集めたから、こうなった」
言葉が喉につかえた。
エドガーはしばらく黙っていた。それから、雨音に消えないよう、低い声で言った。
「声を集めたことが罪なら、町の記憶を残す仕事など、最初から存在しない」
リゼットは顔を上げた。
彼の目には、怒りよりも悔しさがあった。守れなかったことへの悔しさ。けれど、彼女を疑う色はなかった。
「偽造した人は、私を犯人にしたいんです」
「そうだろうな」
「なら、私が疑われたままでは終われません」
リゼットは箱の中から配達札を取り出した。母の名が刻まれた古い札は、雨に濡れても微かな振動を返した。
「この偽造記録を作った場所を探します。私の耳が、まだ使えるなら」
エドガーは傘を彼女の頭上へ移した。
「使える。だから行こう」
二人は、雨の向こうに沈む港の工房街を見た。
郵便局から外された配達士と、職を失うかもしれない水路監督官。町に背を向けられた二人の足元で、水路の流れだけが、途切れずに続いていた。




