第四話 日常の形
こんにちは。作者です!初見の方は1話からみるのをおすすめします!
付き合い始めてから、朝が少し変わった。
以前は教室に入っても誰も振り向かなかった。今は、ルミナが振り向く。それだけのことなのに、教室のドアを開く時の気持ちが、少し違った。誰かが待っていると知っている朝と、誰もいない朝は、同じようで全然違う。そんなことを、初めて知った。
「おはよう」
「おはよう、アイル」
ルミナはいつも私より少し早く来ていた。自分の席に座って、私が来るのを待っている。待っていた、というのは後から気づいたことで、最初は偶然早かっただけだと思っていた。でも一週間経っても二週間経っても、ルミナは必ず先に来ていた。
「いつも早いね」と、ある日言った。
「アイルが来る前に来たくて」とルミナは答えた。
それが当たり前のように言えるルミナのことを、私は少し不思議に思った。自分の気持ちを、そんなにすらすら言葉にできる人が、あまり周りにいなかったから。
昼休みは、相変わらず二人で食べた。
ルミナはよく喋った。クラスの誰かの話、授業の話、昨日見たテレビの話。私はほとんど聞き役で、時々相槌を打った。それでもルミナは楽しそうだった。
「アイルって、テレビ見る?」
「あまり」
「じゃあ休みの日は何してるの」
考えた。休みの日は、たいていシエルと過ごしていた。一緒に買い物に行くか、家にいるか。それくらいしかなかった。
「家にいることが多い」
「インドア派なんだ」ルミナが頷いた。「じゃあ今度の休み、一緒に出かけない? 行ってみたいカフェがあって」
「……いいよ」
「本当に?」ルミナが目を輝かせた。「やった。絶対楽しいよ、絶対」
絶対、を二回言う人だな、と思った。でも嫌ではなかった。
その夜、シエルに話した。休みにルミナと出かける、と。
「そうですか」とシエルが言った。
「うん」
「……楽しみですか」
私は少し考えた。楽しみ、という感覚が自分の中にあるのかどうか、よく分からなかった。でも、悪い気はしていなかった。
「たぶん」
シエルが小さく頷いた。それだけだった。
休日のカフェは、駅の近くにある小さな店だった。
木の温もりがある内装で、窓から午後の光が差し込んでいた。ルミナが前から来たかったと言っていただけあって、メニューを見る目が真剣だった。
「これにしよ。アイルは?」
「同じので」
「え、本当に好きなのでいいんだよ」
「これが好き」
ルミナが少し笑った。「じゃあ二つ頼む」
注文を終えて、窓の外を見ていると、ルミナが「ねえ」と言った。
「なに」
「こういうの、慣れてる?」
「こういうの?」
「誰かと出かけるとか、カフェとか」
正直に答えた。「慣れてない」
「そっか」ルミナが少し目を細めた。「もしかして私が初めて?」
「そうなる」
「嬉しい」
また、すらすら言う。私はどう返せばいいか分からなくて、窓の外を見た。
「アイルって、友達いないの?」とルミナが聞いた。責めている感じではなかった。ただ、知りたそうに。
「いない」
「寂しくなかった?」
「……慣れてたから」
「慣れてたって」ルミナが少し眉を寄せた。「寂しいのに慣れるって、なんか嫌だな」
私はその言葉を、しばらく頭の中で転がした。寂しいのに慣れる。確かに、そうだったかもしれない。寂しいという感情すら、いつの間にか薄くなっていた。
「でももう大丈夫じゃん」ルミナが笑った。「私がいるから」
飲み物が運ばれてきた。私は一口飲んで、また窓の外を見た。
私がいるから、という言葉が、胸の中に静かに落ちた。
帰り道、二人で並んで歩いた。
駅までの道は商店街を抜けていく。平日より人が多くて、ルミナが私の袖を掴んだ。「はぐれないように」と言って。
袖を掴まれたまま歩いた。ルミナの歩幅に合わせて。
商店街の途中で、ルミナが雑貨屋の前で立ち止まった。ショーウィンドウに、小さなぬいぐるみが飾られていた。白いうさぎの形をした、丸いぬいぐるみ。
「かわいい」とルミナが言った。「アイルはこういうの好き?」
私は少し考えた。嫌いではない。むしろ、ちょっと気になっていた。
「……まあ」
「買う?」
「いい」
「なんで。かわいいじゃん」
「なんとなく」
ルミナが首を傾げた。でもそれ以上は聞かなかった。「じゃあ私が買う」と言って、店に入っていった。
私は外で待った。しばらくして、ルミナが白いうさぎを持って出てきた。
「はい」と私に差し出した。
「え」
「プレゼント」
「……なんで」
「好きそうだったから」ルミナが笑った。「受け取って」
私はぬいぐるみを受け取った。思ったより軽かった。白くて、丸くて、目がボタンになっている。
「ありがとう」
「どういたしまして」
ルミナが嬉しそうに笑った。私はぬいぐるみを鞄の中に入れて、また歩き出した。
その日の帰り道は、少し長く感じた。悪い意味ではなく、ただ、長かった。
家に帰ると、シエルがリビングにいた。
私が鞄からぬいぐるみを取り出すと、シエルの視線がそちらに向いた。
「それは」
「もらった」
「ルミナさんに?」
「うん」
シエルは少し黙った。
「……かわいいですね」
「そう?」
「はい」
私はぬいぐるみを机の上に置いた。シエルがまた視線を向けて、それからすっと逸らした。
「楽しかったですか、今日」
「……まあ」
「そうですか」
シエルが立ち上がって、キッチンの方へ向かった。「夕飯にします」と言いながら。
私はぬいぐるみを眺めた。白くて、丸い。ルミナが「かわいい」と言って買ってくれた。
誰かに何かをもらったのが、いつぶりのことか、私には思い出せなかった。
その翌週のことだった。
昼休みに、クラスメイトの女子が私に話しかけてきた。席が近い子で、たまに消しゴムを貸したりする程度の関係だった。
「アイルって、最近ルミナといるよね」
「うん」
「仲いいんだね。なんか意外」女子が笑った。悪意のない、ただ驚いたような笑い方だった。「今度みんなで遊ばない? ルミナも一緒に」
みんなで。その言葉を、私はしばらく処理した。みんなで遊ぶという経験が、ほとんどなかったから。
「考えておく」
「うん、気が向いたら声かけて」
女子が自分の席に戻っていった。
昼休みの終わり、ルミナが戻ってきた。購買に行っていたらしく、コッペパンを持っている。
「さっき、誰かと話してた?」
「うん、席が近い子に声かけられて」
「何の話?」
「みんなで遊ばないかって」
ルミナが、一瞬だけ表情を止めた。ほんの少し、笑顔が固まるような。でもすぐに戻った。
「そっか」
「うん」
「……アイルは行きたい?」
「どうだろう。よく分からない」
「そっか」ルミナがパンを一口食べた。「まあ、無理に行かなくていいんじゃない。アイル、そういうの得意じゃないでしょ」
確かに、と思った。大人数で遊ぶことに、慣れていなかった。
「そうだね」
「うん。私と二人の方が楽しいよきっと」
ルミナが笑った。私も頷いた。
それだけの会話だった。
でも、その時感じたわずかな違和感を、私はすぐに忘れた。ルミナの言う通りだと思ったから。私には、大人数で遊ぶより、こうして二人でいる方が向いている。そう、思ったから。
10時ごろに5話を出すつもりなのでぜひ見てください!




