第十二話 少しずつ、遠くなる
書くことがなにもない作者です!ペンネームはふざけてますが内容はふざけてません!
翌朝、学校でルミナに会うと、顔色が戻っていた。
「もう大丈夫?」
「うん、昨日ゆっくり寝たら治った」ルミナが笑った。「心配してくれた?」
「してた」
「えへ」ルミナが少し嬉しそうに目を細めた。「じゃあ今日、うちに来て。昨日会えなかった分」
昨日会えなかった分。
昨日は家に帰った。シエルと夕飯を食べて、早く眠れた。それは悪くなかった。でもルミナにとっては、会えなかった一日だったらしい。
「……うん」と僕は答えた。
シエルに作ってもらった夕飯のことを、少し思った。でも何も言わなかった。
その日の放課後、ルミナの家に行った。
ルミナは元気だった。昨日体調を崩していたとは思えないくらい、よく喋った。昨日何をしていたか、どんなものを食べたか、どんな夢を見たか。僕はそれを聞きながら、頷いていた。
「アイルは昨日、何してたの?」
「家にいた」
「シエルってひとと?」
「うん」
「何したの」
「夕飯食べて、話して、早く寝た」
ルミナが少し黙った。ほんの少しだけ。
「楽しかった?」
「……まあ、普通に」
「そっか」ルミナが笑った。「でも今日はうちにいるから、今日の方が楽しいよ、絶対」
絶対、を二回言わなかった。一回だけだった。でも笑っていた。
僕は頷いた。
夕飯を食べて、夜になった。
帰ろうとすると、ルミナが言った。
「ねえ、今日も泊まっていけば」
「……シエルが昨日、また明日も夕飯作ってもらうって言ってくれたから」
ルミナが少し目を細めた。笑っていたが、目の奥が少し違った。
「シエルって、そんなに大事なの」
「大事というか、約束してたから」
「私との時間より、その人との約束の方が大事なんだ」
違う、と思った。大事さの問題ではなかった。ただ、言ってしまった約束があるから、と思っていた。でも、ルミナにとっては大事さの問題になるらしかった。
「そういうことじゃなくて」
「じゃあどういうこと」
また、同じやりとりだった。何度繰り返したか分からないやりとり。
ルミナが俯いた。肩が少し落ちた。
「……アイルって、私のこと、好きじゃないのかな」
「好きだけど」
「でも私より他の人を選ぶじゃない」
「選ぶとか選ばないとかじゃなくて」
「私には、そう見える」ルミナが静かに言った。「アイルが他の誰かのところに行くたびに、私、すごく不安になる。アイルがいなくなりそうで」
いなくなりそう。
その言葉を、僕は聞くたびに同じ場所が痛んだ。いなくなったりしない、と言うたびに、ルミナが少し落ち着く。それを何度も繰り返してきた。
「いなくなったりしない」
「本当に?」
「本当に」
ルミナが顔を上げた。目が潤んでいた。
「……じゃあ、今日も泊まってて」
僕は少し間を置いた。
シエルに「明日も夕飯作ってくれる」と聞いた。シエルが「毎日作れますよ」と答えた。その夜のことを思い出した。
でも、今ルミナが目の前で泣きそうにしている。
「……分かった。今日も泊まる」
ルミナの顔が、ほっとしたように緩んだ。「ありがとう」と小さく言った。
シエルにメッセージを送った。『今日も泊まります』と。
しばらくして、既読がついた。返信はなかった。
いつもは『分かりました』と返ってきた。今日は、何もなかった。
僕はスマートフォンを見つめて、それから置いた。
その翌日も、翌々日も、ルミナの家に泊まった。
三日目の夜、シエルから短いメッセージが来た。
『今週、帰ってきますか』
僕はしばらく、その文章を見ていた。
今週、帰ってきますか。帰ってこない前提で聞いている。そうなっているから、そう聞いている。
『週末には帰る』と返した。
『分かりました』
今度は返信が来た。でも、それだけだった。
週末、久しぶりに家に帰った。
玄関を開けると、いつもの匂いがした。木と、埃と、お茶の匂い。でも先週感じた「帰ってきた」という感覚は、少し薄かった。慣れてしまったのか、それとも別の何かなのか、分からなかった。
「おかえりなさい」
シエルがリビングから出てきた。顔を見た。いつも通りの顔だった。でも、少し疲れているような気がした。疲れる、という概念がシエルにあるのかどうか知らなかったが、そう見えた。
「ただいま」
「荷物、多いですね」
言われて気づいた。着替えや細々としたものを、ルミナの家に少しずつ置いてきていた。だから鞄が軽かった。
「向こうに置いてきた」
「そうですか」
シエルがまた、それだけ言った。何も言わなかった。
リビングに入って、ソファに座った。シエルがお茶を持ってきた。いつも通りだった。
「シエル」
「なんですか」
「怒ってる?」
シエルが少し首を傾げた。
「怒っていないです」
「本当に?」
「……怒るとか、そういうことじゃないので」
「じゃあ、何」
シエルがお茶のカップを両手で持って、少し下を向いた。
「……寂しい、とか、そういうことも、違うんですよね、たぶん」シエルがゆっくり言った。「ただ」
「ただ?」
「アイルさんのことが、心配です。それだけです」
それだけです、と言った声が、静かだった。責めていなかった。ただ、事実を言っているような。
僕はお茶を一口飲んだ。温かかった。
「……心配、しなくていいよ」
「できないです」シエルが静かに言った。「アイルさんのことを、心配しないでいることが」
その言葉が、胸のどこかに刺さった。刺さって、抜けなかった。
心配しないでいることができない。
シエルがそう言う理由を、僕はなんとなく分かっていた。でも分かっていて、どうすればいいのかも、よく分からなかった。
「……ごめん」と僕は言った。
「謝らなくていいです」
「でも」
「アイルさんが謝ることじゃないので」シエルが顔を上げた。「ただ、たまには帰ってきてください。夕飯、作れなくなるので」
最後だけ、少し軽い言い方だった。シエルなりの、気遣いかもしれなかった。
「……うん」と僕は言った。「たまには帰る」
「約束ですよ」
「約束」
シエルが小さく頷いた。それから、また視線を窓に向けた。
窓の外は夕方で、空が橙色になっていた。
きれいだった。
こういう景色を、ルミナの家では見なかった。いつもルミナと話しているか、向かい合っているかで、窓の外を二人で眺めることは、あまりなかった。
シエルとは、こうしてよく窓の外を見ていた。
それが、少し懐かしい感じがした。
懐かしい、というには、まだ最近のことのはずだった。でも、懐かしかった。
翌週から、また同じことが繰り返された。
月曜日にルミナの家に行って、そのまま泊まる。帰るのは週末だけになった。シエルへのメッセージも、短くなっていった。『今日も泊まります』が、『今週は帰れないかも』に変わった。
シエルからの返信は、いつも短かった。
『分かりました』か、『気をつけてください』か。
それだけだった。
両親からは、時々メッセージが来た。母からは『元気にしてる?』と。父からは、何もなかった。ただ、既読だけがついていた。
ルミナの家は、居心地がよかった。
ルミナが一緒にいて、ルミナが笑って、必要とされていた。それは変わらなかった。
でも、夜に眠れない日が、少しずつ増えていった。
理由は分からなかった。ルミナの隣で目を開けて、天井を見て、何も考えないようにして、それでも眠れなかった。
そういう夜に、シエルのことを思った。
今頃、家にいるだろう。窓際の椅子に座って、本のページを進めないまま。
連絡しようか、と思うこともあった。でも夜中にメッセージを送る理由が、うまく見つからなかった。
眠れない、では理由にならない気がした。
だから送らなかった。
ただ、天井を見ていた。
百合っていいよね…




