12話 心掴まれる
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そわそわ、そわそわ――
いつも落ち着きのある母とゆりが、妙に慌ただしい。
髪をいじったり、鼻歌を歌ってみたり、しきりに鏡を見たり。
「……ふふっ、お姉様もお母様も可愛い」
かなは一人、小さく呟いた。
これは、我が家の風物詩みたいなものだ。父が帰って来る日になると、二人はああなってしまう。
そんな賑やかな家を楽しみながら、かなはお手伝いさんと一緒にお話することに。
「ねえ、お手伝いさん。かなが前にトイレに行くとき、『さあ、ふんばろうーぜー!♪」って替え歌した時あったじゃん。あの時、お手伝いさん笑ってたでしょ?」
「……何のことでしょうか?かな様」
以前お手伝いさんは、『高校生の時に、能面みたいに表情が動かないと言われたことを、実は気にしているのです。ほんと、あの男は……』と、かなに話してくれたことがある。だから、鏡で笑顔の練習をしているらしい。
その割には、いつも笑うことを隠そうとする。
どうやらお手伝いさんの中では、仕事中は不必要に笑ってはいけないというルールがあるらしい。
「ええー!絶対笑ってたって!だって、不自然に口元を抑えてたもん!あと、私に様なんていらないよ!かなちゃんって呼んで!」
「そうは参りません。いつも申していますが――」
すると。
……ゥゥン。
ほんの僅かなモーター音。
そわそわしていた二人が、ピタッと止まった。
少し遅れて車が家の敷地に入ってくる音が、はっきり聞こえてきた。直後、我が家の電動門扉が閉まり、ガレージが開く音が僅かに響く。
ふと母とゆりを見ると、さっきまでのことはなかったかのような完璧淑女の表情で、玄関へと向かっていた。
「では、かな様もお出迎えに行きましょうか」
「うん!」
お手伝いさんと手を繋いで、二人の後に続く。
「ただいま」
「「「「おかえりなさい!」」」」
「きゅん!」
……ん?
なんか、小さな鳴き声が聞こえたような……?
「あなた……その子は?」
「ああ、いいだろ?こいつが今回のお土産だ!」
にかっ、と父は白い歯を見せて笑う。相変わらず、明るくて声の大きな人だ。
ふと、父が抱えた小動物の、くりんとまんまるな黒目と目が合う。小さい子特有の完全に開ききっていない、トロンとした目だ。
久しぶりに帰ってきた父の腕には、子犬が抱えられていた。
「ほんと、持って帰ってくるのが大変だったよ。でも、もうゆりもかなもしっかりしてるし、ペットを飼うのにちょうどいい頃だと思って、パパ……お父様は頑張ったぞ!」
一度リビングに集まり、子犬のことを聞く。
父が言うには、海外の知り合いからこの子を授かり、現地で信頼できる施設に預け、知り合いの専門業者に検疫と動物輸送を頼んだ末、このにっぽんへ来たのだそうだ。
ラフ・コリーという犬種で、男の子。名前はせっかくならゆりやかなにつけてほしいと思い、決まっていないらしい。
話を聞きながら、かなはこの子犬に夢中だった。
まだなんにも汚いものを見たことがないような、純粋な瞳。ふわっふわの茶色の体毛。トテトテ歩く4つの足。撫でるとゆらゆらと揺れる尻尾。ぴょこっと少したれた両耳。じんわりと温かい体温。
全てが愛されるために作られたかのようで、かなの心を強く揺さぶった。
それからも父とみんなは、海外での話や、現地での面白かった出来事、他のお土産についての話などをしていたが……かなはこの愛くるしい存在に夢中で、内容が全く入ってこなかった。
気づけば、数時間ほど経っていた。
「かな、かな!」
肩を揺すられる感覚で、ふわふわした場所から現実へと戻る。
「ん?お姉様、なあに?」
「この子の名付けは、かながすることに決まったよ」
「……え?いいの?」
「うん、かなはこの子が気に入ったみたいだし、この子もかなが気に入ってるしね」
「ほんとに?ほんとに名付けていいの?お姉様は後で名付けられなかったこと、後悔しない?」
「うん、大丈夫。その代わり、魅力的な名前をつけてあげてね」
かなはもう一度膝の上にいるこの子を正面から見た。今から名前が決まるというのに、呑気にあくびをしている。
「じゃあ……どんぐり!どんぐり色だし、どんぐりみたいに可愛いもん!今日から君はどんぐりだよ!」
「かな、それはちょっと……」
「まあまあ、いいじゃないか。案外そんな名前もありだと俺……お父様は思うよ」
かなのセンスは少し物議を醸したが、最終的に「どんちゃんと呼べば可愛いかしら……」と母も納得し、どんぐりに決まった。
今日からよろしくな。どんぐり。
――この日の夜。父と母の間で交わされていた会話。
「なあ、つばき、お父様の知らない間に、かなに許婚ができていたらしいじゃないか。かなはお父様と結婚するんだよな?狼牙くんとなんて結婚しないよな?」
「あなた?」
「だって!そんなのかなにはまだ早いだろ!せめてあと30年はパパと居てほしい!お父様は認めません!」
「大丈夫よ。許婚といっても口約束みたいなものだしね。それに、かなは狼牙君みたいなしっかりした子に繋いでいてもらわないと、すぐにどこかへ行ってしまうと思うのよ」
「ぐぬぬぬぬ。まあ、つばきがかなを思って決めたことっていうのは分かった。でもなあ……」
「ふふふ。大丈夫。きっと全てうまくいくわ」
「うまく行ってほしくないんだけどなあ……」
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