10話 背筋が凍る 前編
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さくらちゃんが逃走中に参加するようになって数日。
ハンター役のさくらちゃんは、驚くほど足が遅い。運動というものに慣れていないのだろう。逃げている方が気を使ってしまうくらい、走り方がたどたどしいのだ。
あまり活躍はしていないが、それでも、さくらちゃんは楽しそうだ。追いかけること自体が新鮮みたいで、常にニコニコしている。
それに、全く戦力にならないってわけでもない。
さくらちゃんは、一通り追いかけて疲れると、「お願い、捕まって?」と男の子に可愛くお願いする。すると、男の子はいかにも仕方のなさそうな様子で、自ら捕まってしまうのだ。
そんな男の子の頬は、いつも少し赤い。
そういうのを見ると、おじさんはラブコメを見た後のように微笑ましくなってしまう。
それから、前に聞けずにいたことも教えてもらった。
あの時、どうして「ありがとう」と感謝されたのか――その理由だ。
かなが狼牙君の手を引いて逃げた事件の後、三馬鹿の一人が、親にこっぴどく叱られて、それ以来すっかり大人しくなったらしい。それが、さくらちゃんは嬉しかったとのことだ。
さくらちゃんはその三馬鹿の一人と幼馴染らしく、親同士が仲が良いので、よく話す関係らしい。なんなら「さくらちゃんの王子様になりたい」と、告白まがいなことまで言われた仲なのだそうだ。
ただ、いつもその男の子は、さくらちゃんの話を聞いてくれず、一方的に話すだけだったらしい。それがさくらちゃんには苦痛だったのだが……あの一件以降、多少話を聞いてくれるようになった。
そういう話を、さくらちゃんは楽しそうに話してくれた。
その話を聞いて思い出した事がある。
確かさくらちゃんは、「ドレスよりスニーカー」では三馬鹿の一人のルートで、ライバル令嬢のような役割を持つキャラクターだ。
どちらかというと悪役のような立ち振る舞いをするが、別に悪い人ではない。男が苦手なので、ヒーローに対して言葉が強くなってしまう。金小山さくらとは、そういうキャラだった。
その恋のラストでは、ヒーローは最終的にさくらか、主人公か、どちらかを選ぶ。ただし、さくらちゃんに尻に敷かれるか、主人公ちゃんに尻に敷かれるかでしかない。どちらのルートに進もうが、ヒーロー君は妻に頭が上がらないという結末は同じだ。
妻曰く、このルートは少しコメディチックにしたかった、と話していたのを覚えている。
さくらちゃんと会って、すぐに「ドレスよりスニーカー」に出てくるキャラだと思い出せなかった理由もある。
僕もかなも、すでにストーリーのことなどあまり気にしていないからだ。あまり気にしていない分、ピンとくるのが遅れたってわけだな。
ちなみに、さくらちゃんはあの超有名な金小山家の出身だ。
先祖が音楽関連の分野で名を成した家で、今でも音楽界隈では知らない者はいないという。いわば、音楽分野での名家だ。
けれど、そんな家柄を鼻にかける様子は一切ない。彼女はとにかくマイペースに、ただ無邪気に笑っているだけだった。
そういう出来事一つ一つを過ごしてみて、かなは思う。
なんだか、さくらとはとことん馬が合う。
さくらの甘ったるい話し方も、声色も、全てが心地いい。お母様といるときや、お姉様といる時などとは違う種類のリラックスができる。
僕も、かなに親友ができたことを、とても嬉しく思っている。
さくらちゃんも、かなと居て、とても楽しそうにしている。彼女曰く、かなは気安く話しかけてくれるから、それが嬉しいらしい。どうやらさくらちゃんは、いつも家で「お嬢様」と呼ばれており、それが少し苦手みたいだ。
……まあ、僕が思うに、たとえそんな理由がなくとも、かなに好かれて嬉しくない人はいないはずだ。
だって、かなは「好き」を全く隠さないのだ。全身全霊で目をキラキラさせて、「あなたのことが好き」という態度をとる。
自分で言うのもなんだが、こんな美少女にそんなことされて、落ちない人はいないと思うんだよね。
それから。
幼稚園でさくらちゃんといっぱいお話したり、ピアノ教室に一緒に行こうと約束したり……さくらちゃんとばかり遊ぶかなを見て、狼牙君がスネて、さくらちゃんと狼牙君が軽い口喧嘩をしたり、その喧嘩をお姉様が止めてくれたり……
こんな楽しい日常を過ごす中、かなとさくらちゃんに、ある事件が襲いかかる――
その日は、約束していたピアノ教室をさくらちゃんと一緒に行く日だった。
さくらちゃんは毎日のようにレッスンがあるのに対し、かなとゆりは週に一度だけ。音楽分野の専門家と、教養のために様々な楽器を習っているうちとでは、通う頻度は違うのは当たり前だ。
でも、クラスは違うが、通う場所自体は同じなのは幸いだった。
親同士の話し合いにより、かなたちのピアノレッスンの日は、一緒に行くことになった。我が家は行きの道中の送り迎えを担当し、帰りは金小山家が送り迎えをすることに。
車内で揺られながら、お姉様とさくらとかな、三人は会話に花を咲かせる。キャッキャと騒ぐ三人に、お手伝いさんや爺やもニコニコしていて、車内には微笑ましい空気が流れていた。
かなたちが通うピアノ教室は、都内の一角、地下にひっそりと設けられている。
かなはいつも、階段を下って少し重い入口のドアを開ける瞬間、少しだけ胸が高鳴る。まるでダンジョンに入るような、特別な場所に入っていく感じがするのだ。
かなが先頭に立って真っ先にドアを開けると、いつもと変わらず、常にニコニコ笑顔な受付のお姉さんがいた。かなの顔を見ると、静かに会釈をしてくれる。
そこからは、演奏レベルごとに教室が別れる。ゆりとも、さくらちゃんともお別れだ。
一人初級クラスへ向かう道中、かなは思う。
この施設は、前世にあったカラオケ施設みたいだ、と。
僕からすれば、カラオケ施設と、ここを比べるのはおこがましい気持ちもある。だって、全体の規模も、教室一つ一つの規模もまったく違うからね。ここは、どこを見ても高級感たっぷりだし、防音設備が優秀なのか、音漏れがほとんどない。
ただ、かなのそういう子供らしい感性が、僕は大好きだ。
かなはヒーヒー言いながら、なんとかピアノ教室を終えた。さくらちゃんも同時に終わったようで、廊下で合流する。
チラリと中級クラスを覗くと、姉のゆりが一つ年齢が下の小さな女の子に妙に懐かれていた。
終わる時間は同じだが、クラスによって多少のばらつきがあるのはいつものことだ。あの様子だと、もう少し時間がかかるだろう。
「うふふ~、帰りは、さくらのお兄様が迎えに来てくれるんだって。さ、早く行こ?」
「え?お姉様は?」
「迎えの車で先に待っていましょう~」
「えっ、あっ。受付のお姉さん!お姉様が来たらそう伝えといてください!」
さくらに半ば強引に手を引かれ、ピアノ教室を後にして、階段を登ろうとした、その時――
「ヒ……ヒヒ……さくら、ちゃん?」
階段の上から聞こえてきた男の声に、どうしてか、かなは背筋が凍った。
恐る恐る顔を上げると、焦点が合っていないような目をした長身の男が、さくらの身体を上から下まで舐めるように覗いていた。
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