8話 いじける
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目の前には、ふわふわの卵焼きが湯気を立てている。
お手伝いさんが作る卵焼きは、ほんのり甘くて、出汁が効いていて、ほっぺたが落ちるくらい美味しい。かなの大好きな料理の一つだ。
他にも、ハマグリのお吸い物。二種類の浅漬け。揚げナス。ひじきの煮物。土鍋で炊いたピカピカの新米ご飯。デザートには、箱に入れられ、いかにも高級そうな梨まで控えている。
どれもこれも、かなの大好きなものばかり。
かなはお手伝いさんが作ってくれる料理が本当に大好きだ。夕食の時間がいつも楽しみで、いつもなら大興奮して食べていただろう。
ただ、今日はいつもよりも心が踊らない。心にうす雲のように残った、モヤモヤのせいだろう。
せっかく作ってくれた食事を美味しく食べるために、いただきますの前に、かなはお母様に悩みを相談してみることにした。
「かなは9で、オジサマは1なの!それなのに、あの日、私よりオジサマの方がキラキラしていたの!」
この数字は、かなが考える「かなと僕の割合」のようなものだ。かなの感覚では、僕はかなの一割も占めているらしい。
「ふふふ。そうね。あの時、頭が真っ白になったことが、そんなに悔しかったのね」
「そうなの!なんで!なんであの時、私は真っ白になっちゃったの!?」
狼牙君を助けた後、実はかなの内心は穏やかではなかった。
自分が情けなくて、あの時敵に負けそうになったのが悔しくて。とにかく、悔しかった。
「っふふふ。あはははは!」
「もう!なんでお母様は笑ってるの!笑い事じゃないのに!」
「ごめんごめん、だって、かながこんなに成長してるんだもの」
「何言ってるのか分かんない!」
「別にいいじゃない?オジサマが助けてくれたんでしょ?」
「私は自分の力でどうにかしたかったの!」
「あら?かなは『オジサマはかなの一部』って言ってたじゃない。だから、オジサマが表に出ようが、自分の力のはずよね」
「それはそうだけど……そうじゃないの!」
かなは地団駄を踏むが……かな、あのニンマリとしたお母様の顔を見てくれ。
めっちゃ楽しそうだろ?きっとあれは、かなのそういう複雑な内心を分かったうえでからかってるぞ?
「……お母様の意地悪」
「ふふふ、ごめんなさい。かながいじけてるのが珍しくて、つい楽しんじゃったわ」
母はひとしきり笑った後、こう切り出した。
「じゃあ、そろそろ真面目な話をしましょうか」
背筋を伸ばし、母は続ける。
「かな、そもそもの話だけど、ピンチの時に動ける人って、かなり少ないのよ。それでも、かなはそういうときにも動けるようになりたいのよね?」
「うん。だって、お母様もお父様もできるでしょ?」
「ええ、もちろんよ。なんなら、お母様やお父様は、ピンチの時にこそ頭が冴えるタイプよ。そして、それはオジサマもそうなのでしょうね」
「……」
「かなはあの時、助けたいって気持ちや、嫌だって気持ち、怖いって気持ちがいっぱい襲ってきて、パンクしちゃったのよね」
「うん、頭が真っ白になった」
「ほとんどの人がそうなるはずよ。でも、かなはその先へ進みたい。そしてそれは、私には解決できない問題なの」
「嘘だ!だってお母様ってなんでも知っているし、最強だもん!」
「ふふふっ、でも、お母様だって失敗したでしょ?ほら?あなた達の専属ナニーが悪い人だって、見抜けなかったじゃない」
「……むぅ」
「私の場合はね、軸があるから、ピンチの時だって動けるの。とにかく心を研ぎ澄まして、削ぎ落としていくと、不必要なことがはっきりしていく。そうやって一瞬で優先順位をつけて、正解への道を選ぶ」
ただ、軸がブレるとお母様だって弱いんだけどね。と、お茶目に笑う。
「もしそれでもダメだった時は、とにかくいっぱい考える。考えて考えて、いっぱい反省して、次こそは絶対に動けるように準備する。お母様はそういうタイプよ」
そして、ゆりもそのタイプだと補足する。
「じゃあ、かなもそうすれば動ける?」
「それが、そうとも言い切れないのよね。だってかなは、心を研ぎ澄ますタイプじゃなくて、とにかく角を削って丸みを帯びさせるタイプだもの。お母様のやり方を真似しても、きっと上手く行かないわ」
「むうぅー」
「そういじけないの。お母様ではあなたの悩みは解決できないけれど、きっとお父様なら解決策を教えてくれるはずよ」
だってあなたは、お父様にそっくりなのだから。母はそう言って、かなの頭を撫でた。
そう言うならと、僕とかなは父のことを頭に浮かべた。
父。明るくて大きくてよく笑っている、ダンディな人。海外で独学の農業ベンチャーを大成功させ、一代で資産を倍増させた超やり手。
母が言うには、昔はやんちゃだったらしいが……そういえば、僕もかなも、父のことは深くは知らないな。
そもそも、かなは重度のお母さんっ子なので、父のことを「お母様を嬉しくさせる存在」くらいにしか認識していない。
もちろん嫌いな訳ではないし、ふんわりと好きなのだが……父はほとんど海外で過ごしているので、かなの中で存在感が薄いのだ。
そんな風に思っているかなに比べ、姉のゆりはかなりのお父さんっ子だ。ゆりは父が帰ってきている間、常にくっつき虫のように引っ付いて過ごしている。
かなが無条件で母が好きなように、ゆりもあまり家にいないなど関係なく、父のことを慕っているのだろう。
「ねえ、お父様はいつ帰ってくるの?」
「それが、来週帰って来るの。その時にでも聞いてみなさい」
「分かった!」
目の前の卵焼きはすっかり冷めてしまっていた。それでもお手伝いさんが作る卵焼きは、とろけるくらい美味しかった。
食べ終わる頃にはすっかり元気を取り戻し、小ボケを言う気力まで戻っていた。
かなはデザートの梨を食べながら、大きな声でおちゃらけると、テンポよく母は小ボケを拾う。
「余裕、余裕!」
「シャクシャクってことね」
お手伝いさんの後ろ姿は、肩がちょっと揺れていた。
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