3話 学ぶ。前編
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――もしかして、僕はやっぱり必要ないのではないか?
生きることをサボらないと決めたのにもかかわらず、今の僕はそんな事を思っていた。
ただ、こう考えた理由自体は、今までと方向性がまるで違う。かなを穢してしまうなんていう心配からくるものでは決してない。
言ってみれば、これはただの情けない弱音だ。
かなと力を合わせて過ごすようになったことで、最近ではこんな泣き言を抱くようになってしまった。
理由は一つ。
(かなは天才だ)
これに他ならない。
お稽古を始めてからというもの、正直、僕はほとんどかなの役に立てていないのだ。
僕が居なくても、かなはあっという間に身体で色んなことを覚えてしまう。
だから、僕の出る幕がない。
僕のやっていることなんて、せいぜいかなの動きや考えに少しの客観性をプラスすることと、ちょっとだけかなの動きの微調整をすることと、できなかったことを「何故できなかったのか」と考えることくらいだ。
僕がかなを天才だと考える理由はそれだけではない。
若々しい精神性。かなのそれは、かけがえのない才能だ。
例えば、こういうことがあった。
かなは、寝る前に劣等感を感じたと思えば、翌日にはケロッとしている。
もちろん劣等感が完全に消えたというわけではない。いくら眠ることでスッキリしようが、心にくすぶったその感情は消えたわけではないからね。
ただ、そういう時、「むむむ」と少し悩んだ末、かなはすぐに行動する。
そして、自分の悩みをお母様や先生、その劣等感の対象であるお姉様にまで共有して、巻き込んで一緒に対処しようとするのだ。
かなは当たり前のようにこうしているが、こんなの、誰でもできるわけではない。自分の見たくないような醜い部分をさらけ出すのって、怖いからね。
なんていうのかな、感覚や精神性、感受性の瞬発力?心の勇気?それとも、みずみずしい感性っていうのかな。とにかく、かなは素晴らしいのだ。
(僕には、かなの生命力溢れる生き方が、眩しく見えるなあ……)
「(……ジサマ!オジサマ!!ほら、一緒にやるよ!)」
少しぼーっとしていた心の中の僕に、小声でかなはそう注意した。
……おっと、ごめんな。かな。おじさん、少しサボっちゃってたみたい。
僕たちの自然体は、かなの中に僕という小さな存在が別にいることだ。
かなの考えることと、僕が考えることは別。
かなと僕の二つの思考があることに関しては、かなもそれが自然ということで許してくれている。
ただし、僕の思考、感覚はかなに全て共有するし、逆も然りだ。第二の人生を楽しむと決めた日から、僕たちはそうすることに決めたのだ。
たとえかなの生きるスピードが矢のようで、置いていかれそうになっても、関係ない。僕は全力でついていく。
たとえ僕という存在がそこまで必要のない「小さなネジ」の一つであろうと、関係ない。小さなネジでも、かなの一部であることには変わりない。
僕たちは、力を合わせて生きていく。
「どうしました?かなさん?」
「“絶望的に”集中力が切れちゃっただけ!切り替えます!」
ちなみに、この「絶望的に」という言葉は、僕の妻の口癖みたいなものだ。
これは希望がないという意味ではなく、ただの誇張表現として使われることが多い。
妻はよく『このキャラ、絶望的に可愛いんだけど!』みたいに使っていたっけなあ……
「では、もう一度始めからやりましょう。はい、いち、に。いち、に」
ダンスレッスンの先生が、リズムよく手を叩く。
それに合わせて、かなやゆり、他のダンスレッスンの参加者も、指示通りに動きだした――
「はい、今日のレッスンは終了です。皆さんよく頑張りました。お疲れ様でした」
「「「お疲れ様でしたー」」」
あれからは一度も注意されることなく、無事にダンスレッスンを終えることができた。
僕もかなと感覚を共有し、ダンスに集中したことで、かなの動きは少しだけキレが増した。かなと一心同体で動いている時、かなの動きは一割程度良くなるのだ。
……でも、おじさんの僕が若々しいかなについていこうとすると、相当疲れるんだよね。それに、全力で頑張っても一割程度しかサポートできないし。それでもまだゆりには勝てないし……
そんな風にぐるぐる考えていたせいで、無力感に苛まれ、「やっぱり僕は必要ではないのではないか?」と、あの時頭によぎってしまったわけだ。
弱音を吐くこと自体は悪いことではないと僕は思っているが……あの時はぼーっとして、頑張ることをサボっていた。そこはちゃんと反省しなきゃな。
(あ、まただ。またこの感覚)
かなと共に全力で頑張った後、僕はよくこんなふうに感じる。
(なんとなくだけど、前世の僕もこうやってすごい人と一緒になって頑張って生きていた気がするなあ……)
僕の人生は全然思い出せないが……この妙な懐かしさが、僕は嫌いではない。
その日、家に帰ってからのこと。
「――って、オジサマはそういう風に弱音を吐くの!ママ……じゃなくて、お母様はどう思う?」
今日は白佐藤家流・品格のお稽古。なんとこれは、お母様が直々に時間を取って教えてくれている。
これによって、かなは僕のことをオジサマと呼ぶようになったし、ママのこともお母様と呼ぶようになった。
ただ、かなは考えて言葉を使うのが苦手なので、よくボロが出て怒られることも多い。
「そうね。オジサマが『また自分は必要ない』って考えたって話よね。それはね。きっとオジサマのほうが考えるのが得意だから起こることだと思うの。今は仕方のないことだと思うしかないわ」
「えー。オジサマはダメだなあ」
「ふふっ、そんなことないわ。まだまだかなは危なっかしいところがあるもの。引き続き、かなの中のオジサマの部分は、大事にしてあげてね」
「うん!もちろん!」
品格の授業の軸は、華道だ。
ただし、今のように、それとは全く関係のない大切なことも、お母様は教えてくれる。
こうやって悩みを共有するだけでなく、言葉遣い、考え方、美しさ、学びの姿勢、にっぽんの文化……歩き方から呼吸の仕方まで、学ぶことは本当に様々だ。
前回学んだのは、主に美しく見える動作について。
「背もたれは飾り!はい、復唱して」
「「背もたれは飾り!」」
「ソーサーは左手に添えるだけ!はい」
「「ソーサーは左手に添えるだけ!!」」
「歩き方は三拍子!はい」
「「歩き方は三拍子!!」
こんな感じで学んでいった。
このように学ぶことは様々でも、僕はこれら全て、ある一つの目的のために学んでいる気がしている。
(なんとなくだけど、“生き方”の授業って感じがする)
だって、この授業からは、お母様の愛情をありありと感じるから。
ゆりやかながどんな状況でも上手く生きられるように、お母様が培ってきた全てを、僕たちに教えてくれているのだ。
「じゃあ、次はゆり。ゆりはなにか悩みはない?」
今日のゆりは少しだけ表情が暗い。そんな様子を見て、母が優しく語りかけた。
ゆりは少しの間逡巡した後、ぽつりぽつりと、こう嘆いた。
「私、天才って言われるの、あまり好きじゃない。それに、幼稚園でかなみたいに友達をいっぱい作れないのが、悲しい。ゆり、お姉ちゃんなのに……」
僕が天才と思うかなよりも、ゆりは物覚えが速い。かなが得意な身体を動かすことで、ようやく実力は同じくらいといえば、ゆりの天才っぷりは伝わるだろう。
そんなかなから見て凄いゆりでも、悩みはあるようだ。
(お姉様……そんなこと気にしてたんだ)
かなには、お姉様が友達がいっぱい作れないことを悲しんでいるなんて、思いもしなかった。
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