閑話休題 白佐藤つばき
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母視点
茶道と華道の家元として、にっぽんの美を国内にとどまらず、世界へ発信。
各国の王侯貴族や文化機関から招かれ、儀礼の場や国際的な式典で、作法と精神性を伝えてきた。
その傍らで、名門私立大学の文学部教授という肩書きも持つ。
資産については、白佐藤ホールディングスという管理チームが一手に担っている。 文化事業、教育支援、海外拠点の維持など、それらを回すための規模がとんでもなく莫大。
白佐藤家が動けば、世界が動く。にっぽんの美しい文化といえば、白佐藤家。
それほどの影響力とブランドを持つ名門一家の一人娘。
白佐藤つばき――それが私だ。
私は今、実家の茶室で一人、黙想していた。
充分に精神統一したのち、ふわりと目を開く。
思えば、以前は毎日習慣のようにやってきた行為だが、こうやって茶室に身を置くのは久しぶりだった。
やはり、ここに来ると身が引き締まる。
私は静かに立ち上がり、用意されていた花に手を伸ばす。
花を挿す。
次に、もう一本……
できた作品は、形は整っている。破綻もない。
けれど、床の間に収まったそれを見た瞬間、私は小さく息を吐いた。
——芯がない。
華道において天才と呼ばれてきた私にしては、あまりに無難で、あまりに安全な出来だ。
作品は、心を映す鏡。
今の私が腑抜けていることを、この花は、はっきりと示していた。
昔の私はもっと研ぎ澄まされていた。昔の私ならば、近くの悪意にいち早く気づき、対処していた。
(なぜ、彼女の違和感に気づきながらも、これだけ放置した?なぜ、夫を信じられなかった?)
一度深く深呼吸。
もう一度大きく胸を膨らませ、ゆっくり息を吐く。
次は瞑想に入る。
雑念を消し、無心へ。
充分な時を無心で過ごしたのち、ふわりと目を開く。
「さあ、もう一度」
深く、鋭く。もっと研ぎ澄ませ――
「及第点、といったところかしら?」
これで、ようやく切り替えられた。
いろんなことを手広くやっていても、私の軸は華道だ。それをすっかり忘れていた。
今の私なら、不覚を取ることはないだろう。
自らの愚かな部分を削ぎ落とし終えたのち、内省に入る。もう二度と、私の愛する子に危害を加えさせないために、この失敗を未来に活かさなければならない。
ふわりと目を閉じ、まぶたの裏に思い描くのは、憎いあの女のことだ。
愛相澤こころ。
おそらく重い実刑判決ののち、海外へと飛ばす事となるだろう。
彼女を初めて見た時の印象は、大人しそうで、控えめで楚々とした女性にしか見えなかった。
ただ、その履歴書に書かれた経歴は見事なものだ。
彼女は私の二年後輩。
卒業するのが難しいとされる私と同じ高校を卒業後、学生時代に縁を繋いだ夫の元で、雑務の仕事を希望する。
そこから頭角を現し、あっという間に夫の秘書にまで至る。
それもそのはず、家柄もいいし、会話のテンポも心地良い。頭もよく、仕事もできるのなら、夫は放っておかないはずだ。
履歴書と、彼女の佇まいを見て、私はこう判断した。
仕事はできるが、意思は弱い。言ってみれば「よくいるタイプの女」だ、と。
そう、見事にそう思い込まされたのだ。
迂闊だった。
出会いも、夫の紹介というメッセージも、彼女の態度、指先の動かし方一つ一つまで、全てが演出だった。それを、腑抜けた私は見抜けなかった。
……情けない。本当に情けないわ。
確かに私は弱っていた。それを隠すように仕事に励み、さらに仕事の疲労からもっと弱るという、悪循環に陥っていたのは事実。
でも、いくら夫と上手くいかず、精神が弱っていたからとて。いくら駆け落ち同然のように家を飛び出し、今までのサポートが受けられなくなったとて。昔の私ならば、その程度の作為を見破ることなんて余裕のはずだった。
本当に彼女には上手くやられた。ほんの少し夫が助けるのが遅ければ、かなを失っていたかもしれないのだ。
口の中に鉄の嫌な味が広がる。少し感情的になりすぎている。
感情的になることは悪いことではない。けれど、今は過去を後悔する時間ではなく、未来のための時間だ。
もっと自らを律し、母として強くなるため、力んだ身体を緩め、内省を続ける。
後から警察に聞いた話によれば、彼女には私のスマホの暗証番号も、クレジットカードの番号も、ほぼすべての個人情報が筒抜けだったらしい。
悪用しようとすれば、いつだってできたとのことだ。
それに、彼女は夫ですら知らない「ハイテクな機械に極端に弱い」という私の秘密まで知っていた。
家の一部の者にしか知り得ない情報のはず。家から情報が漏れることは、決してない。
それすなわち、秘密を見抜かれるほど、あの時の私はダメだったということだ。
結局私がかなのためにできたことなんて、本来四年のはずだった専属ナニー契約を、二年半で打ち切ったことくらい。
これでは、親失格だ。ゾッとするほど、私は平和ボケしていた。
かなの危機をいち早く察知したゆり、偶然やって来た父、そしてなにより――確かに存在する、かなを守る守護霊のような存在。
誰が欠けても、あの日はダメだった。
守護霊のような謎の存在、それがなんだっていい。きっとその何かは、とても良いもののはずだもの。
みんなには、感謝してもしきれない。本当に本当に、ありがとうございます。
……あっ、そうか。今、ようやく分かった。
全ての敗因は、一人で生きようとしたことだ。
ふわりと目を開く。
「……そうね。しゅりなら、今でもこの実家にいるはずよね」
敗因を敗因のままでは、決して終わらせやしない。私の最も信頼する女性、飲田中しゅり。あの子の力が必要だ。
そもそも、彼女を最初に裏切ったのは私だ。彼女は私をずっと信頼していてくれたが、私が駆け落ち同然で何もかも捨ててしまったせいで、一度彼女との関係は切れてしまった。
そのくせ、もう一度お手伝いとして働いてもらおうなんて、虫がいいのは分かっている。
それでも、私はやる。土下座でもなんでもして、彼女の信頼を取り戻すのだ。
そう決意して歩き出した私の背筋は、しっかり伸びていた。
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