2.心当たり
マティは、北の森に棲む幻獣だ。
昔、侍女の目を盗んで家を抜け出したわたしは、果敢にも森へ冒険に繰り出した。
挙句、あっさりと迷って帰れなくなった。
そのときわたしを助けてくれたのがマティだ。
姿は狼に似ているけれどその何倍も大きく、その体は白銀の長毛に覆われ、金の瞳はには一分の隙もなく、鋭い爪と牙そして一本のまっすぐな角をもっていた。
けれど次の瞬間、ぼん、という音を立ててマティは縮んだ。
目の前に現れたのは、当時六歳のわたしよりいくつか年上に見える少年だった。
白銀色の髪は長く、くっきりとした眉と意思の強そうな瞳にすっと通った鼻筋。
目の前で何が起こったのか呑み込めず、少年を指差して首をかしげるわたしに、彼はにっこりと笑ってみせた。
「ぼくはマティ。君は?」
「わたしはサラ」
反射的に答えていた。
「サラ、こんなところで何をしているんだい?」
少年はいたって普通の少年のようにしゃべった。
縮む瞬間を目の当たりにしていなければ、これは自分と同じように森に迷い込んだ少年だと信じられたに違いなかった。
「何って……迷っているのよ」
「こんなところまでは大人だって入ってこないのに、随分と大胆に迷ったんだね」
少年は感心したように言うと、わたしを森の外まで送ってくれた。
幻獣の名前はマティといい、何百年も前からその森に棲んでおり、人間の姿にだって変身できるのだということを、その道すがら教えてもらった。
以来、わたしはマティに会うために度々森にゆくようになり、マティはわたしのにおいを嗅ぎつけると姿を現してくれるようになった。
けれど最近は、婚礼の準備のせいで、なかなか会いに行けなかった。
わたしの結婚を知って、やきもちを焼いているわけでもないだろうけれど――。
「ジャンだわっ!」
ふいに『大事なもの』に思い至ったわたしは、急いで着替えると部屋を飛び出した。
「おや、サラ。そんなに急いでどうしたんだい? 髪すら結っていないじゃないか」
階段を駆け下りたところで、お兄さまと遭遇する。
危うくぶつかりそうだったけれど、お兄さまが素早く避けてくれたおかげで助かった。
お兄さまは学問、剣術、馬術を始めなんでもそつなくこなす人なので、突然現れたわたしを避けるくらいは、なんでもないことに違いない。
明るい金の髪と深い青の瞳が整った顔によく映える。
おまけに性格も良い。
お父さまはここリディーネの領主で、お兄さまは次期領主。
お兄さまならきっと、領主の役割を完璧に果たすに違いない。
「ちょっとジャンのところに行って来るわ! わたしの大事なものっていったら、やっぱり彼よね。なんですぐに思い至らなかったのかしら!」
「気をつけて。おしとやかに、なんて今更なことは言わないけれど、ジャンに迷惑をかけて、明後日の婚礼が中止になるようなことがないようにね」
「そんな不吉なことを言わないで。大丈夫よ! ……きっと」
「そう願っているよ。いってらっしゃい」
優しく笑うお兄さまに見送られ、わたしは家を飛び出した。




