6.若い衆が増えた日 1
ドラゴン金融に殴り込み、ギルドに啖呵を切った翌日——
約束の期限まで、残り二日。
スラムの朝は、相変わらず湿っぽかった。 路地裏には、泥と酒と昨日の喧嘩の名残みたいな血の匂いが残っている。
「……噂、もう回ってるっすね。」
ピコが小声で言った。 通りすがりの連中が、俺らを見る目が昨日と少し違う。 「焼かれる予定の弱小組」から、 「ドラゴン金融とギルドに喧嘩売った、頭のおかしい極道」にランクアップしたらしい。
「“焼かれるかもしれねぇ連中”と一緒にいると、火の粉かぶるかもしれねぇっすからね……」
ガルドが苦笑する。
「でも……」
ピコはちらりと俺を見た。
「それでも目ぇ逸らさずに見てくる奴、ちょっと増えた気がするっす。」
「当たり前や。」
俺は煙草代わりに串焼きの棒を咥えながら言った。
「炎上してるところには、好き好んで近寄るバカもおる。」
「褒めてるんすかそれ……?」
「褒めてるに決まっとるやろ。」
そういうバカの中から、シマを任せられる若い衆が生まれる。
ギルドからの条件は、シンプルだ。
——スラムでの“なんちゃって冒険者ギルド”を潰せ。
期限、三日。 つまり、今日中に情報を固めて、 明日には叩きに行かにゃ間に合わん。
「まずは聞き込みっすね。」
ピコが地図代わりの紙切れを広げる。
「自称冒険者が出入りしてるって噂の酒場が、何軒かあるっす。 そこから潰していけば、自然とアジトの場所が見えてくるはずっす。」
「よし。」
俺は頷き、看板のほこりを払った。
「行くぞ。薄桜会の若い衆、出勤や。」
「おうっす!」
ガルドとピコの声が揃う。
◆
スラムの中でも、少しだけ真っ当に見える飲み屋—— “灰猫亭”。
看板の猫は煤で真っ黒だが、 中からは昼間っから酒と笑い声が漏れてくる。
ドアを開けた瞬間、空気が変わった。
酒と汗と、諦めの匂い。 場末の極道事務所と似たような匂いだが、 こっちはまだ“笑い飛ばせる余裕”が少しだけ混じっている。
「いらっしゃい……って、よう見りゃ薄桜会じゃないの。珍しいお客でありんすねぇ。」
カウンターの向こうから、よく通る声がした。
そいつは、一目で“普通じゃない”と分かった。
長い銀髪をゆるく結い、真紅の着物めいたドレスを身にまとった女。 耳は尖って、肌は透けるように白い。 目元には赤い化粧が薄く引かれていて、 笑っているのに、どこか人の懐に刃を忍ばせている感じがする。
エルフ—— しかも、ただの森ん中の清純エルフじゃねぇ。 夜の匂いを纏った、妖艶な女。
「……よくご存じで。」
俺はカウンターに腰をかけた。
「そんなに有名か?焼かれる予定の弱小組が。」
「ええ、そりゃあもう。」
女はしなやかに笑った。
「ドラゴン金融に三日で焼かれる薄桜会。 そのくせ、ギルドに乗り込んで“裏通りを返せ”なんて言ってのけた物好きの組長はんがいるって噂——」
色っぽく身を乗り出し、 俺の胸元の桜刺繍を指先で軽く撫でた。
「聞き及んでおりんすよ。神咲竜児はん。」
ピコが「ひっ」と変な声を出した。 ガルドは目のやり場に困っている。
「……誰や、お前。」
「名乗りが遅れやした。」
女は片手で裾を持ち上げ、遊女のように軽く頭を下げた。
「エルフの、朧華と申します。 森から追い出された落ちぶれのエルフでありんすが……夜の街で男を転がすくらいの芸は持ち合わせておりんして。
皆からはオボロと呼ばれているでありんす。」
「オボロ、ね。」
いい名だ。 薄桜会には、こういう“夜の匂い”が似合う。
「で、そんな夜の蝶が、昼間っから場末の酒場で何の用や。」
「噂話でやんすよ。」
オボロはグラスを磨きながら、さらりと言った。
「なんちゃって冒険者ギルド。自称冒険者連中。裏通りで好き勝手やってるチンピラ共。 そういう話は、大体こういう場所に落ちてくるものでありんす。」
「顔は?」
「何度か見たことはありんすねぇ。」
オボロは肩をすくめる。
「“ギルド登録なんて馬鹿馬鹿しい”って笑ってる腰抜けが、いい女口説きに来たりするもので。 懐具合を聞き出してやろうとしたら、だいたい中身はスカスカでやんしたけど。」
ピコがニヤリとする。
「で、その腰抜け共の“巣”は?」
「それを、タダで教えろと?」
オボロは扇子をぱちんと閉じて、俺を見た。
「情報は、女の武器でありんすよ。竜児はん。」
……なるほど。
軽く笑って、俺は懐から銀貨をひとつ取り出し、カウンターに置いた。
「前金や。話を聞いて、価値があると思ったら、もう一枚。」
「物分かりのいい男は、好物でありんす。」
オボロは銀貨を指で弾き、 音を楽しむように一度転がしてから、懐に消した。
「連中は“灰猫亭”の奥の路地を抜けた先—— 古い倉庫街の端っこに、“なんちゃってギルド”を構えておりんす。 看板まで掲げて、ね。」
「看板?」
「“自由冒険者の会”とか、そんな滑稽な名前だった気がするでありんす。」
俺は鼻で笑った。
「筋の通らん奴ほど、その場しのぎの“自由”を盾にする。」
「おっしゃる通りでありんすねぇ。」
オボロは妖しく微笑んだ。
「ギルドの依頼を掻っ攫って、失敗したら依頼主から“沈黙料”を巻き上げる。 責任取る覚悟もないくせに“冒険者”名乗って、女と酒にだけは散財する。」
ピコの顔が露骨に歪んだ。
「最低っすね……」
「そういう筋なしの腐れ男共が——」
オボロの目元から、ふっと笑みが消えた。
「正直、あっしは、大嫌いでありんす。」
扇子の骨が、ぎり、と音を立てる。
「筋を通すでもなく、義理を返すでもなく。 “あたしがかわいそう”と言えば誰かが助けてくれると、本気で思ってる顔が——一番嫌いでありんす。」
その言葉には、妙に生々しい刃が乗っていた。 こいつもこいつで、裏に色々あったんだろう。
「……ほう。」
俺はグラスを軽く傾けた。
「なら、一つ聞きたいことがある。」
「なんでありんしょう。」
「お前自身は、どうなんや。」
「……あっし自身、とは?」
「その腐れ共の巣を、潰したいと思うタイプか。 それとも、関わりたくねぇから黙って見てるタイプか。」
オボロは少しだけ目を丸くし、それからくすくすと笑った。
「男を試す問い方でありんすねぇ。」
「お前のようなべっぴんのねぇちゃんにも似たようなこと聞かれたんでな。」
俺は肩を竦めながら女神のねぇちゃんの事を思い出していた。
「薄桜会のシマを汚してる連中や。 ギルドにとっても目障りや。 わざわざ手ぇ出して潰すかどうかは、そいつの“筋”の話や。」
オボロはしばらく黙って俺を見ていたが、 やがて、気怠そうにグラスを置いた。
「……あっしは、潰したい方でありんすよ。」
低く、しかしはっきりとした声だった。
「今まで、守れなかった女達を何度も見てきたでありんす。 仕事失敗されて、泣き寝入りする依頼主も。 借金背負わされて、店と体を差し出すしかなくなった女も。」
指先が、グラスの縁をなぞる。
「あいつらは、“筋”を一度も通してないのに、 “可哀想”って言葉だけで守られてきたでありんす。 ……そろそろ、ケジメ取る頃合いでありんしょう。」
「気に入った。」
俺は銀貨をもう一枚、カウンターに置いた。
「その目ぇは、筋を見てきた目ぇや。」
「まぁ、多少は“男の背中”も見てきたでありんすよ。」
オボロは色っぽく笑いながらも、その目の奥は冷めている。
「で、竜児はん。」
「何や。」
「ひとつ、あっしからも条件を出してもよろしいでありんすか?」
「聞こう。」
「なんちゃってギルドを潰す時——」
オボロは扇子で口元を隠し、目だけで笑った。
「あっしに、後ろからついて行かせておくれでありんす。」
ピコとガルドが同時に「は?」と声を上げた。
「え、敵陣に遊女エルフ連れてくつもりっすか?」
「危ないっすよ!? 敵、普通に武器とか——」
「いいや。」
俺は笑った。
「ええやろ。」
「ええんすか!?」
「ええんや。」
俺はオボロを見た。
「筋を曲げへんって言うたんなら、その目ぇで最後まで見届けろ。 薄桜会がどうケジメつけるか。」
オボロの瞳が、ふっと揺れた。 すぐに妖艶な笑みに戻る。
「承知でありんす。……やっぱり、面白ぇ男でやんすねぇ、竜児はん。」
◆
酒場を出て、裏路地を少し歩いたところで—— 喧嘩の音が聞こえてきた。
「てめぇ、この野郎!」
「ギャッ!」
鈍い音と叫び声。 角を曲がると、そこには、 Dランクのバッジを付けた冒険者と、 そいつと殴り合ってる獣人の男がいた。
獣人の男は、狼のような耳と尻尾を持っていた。 髪はぼさぼさ、目は血走っている。 拳は血だらけで、息も荒い。 だが——殴り方は、妙に素直で重かった。
「兄貴の仇だっつってんだろうがああああ!!」
「知るかよ! しくじったのはそいつの勝手——ぎゃっ!」
Dランクの顎に、獣人の拳がめり込んだ。 男はくるりと回転して、地面に叩きつけられる。
「……おぉ。」
ガルドが素直に感心した声を出した。
「いいストレートっすね……」
「力はある。」
俺も頷いた。
「喧嘩の筋は悪くねぇ。」
獣人はぜぇぜぇ息をしながら、それでも倒れたDランクの胸ぐらを掴み、吠えた。
「テメェらなんちゃって冒険者共のせいで、依頼主が死んだんだよ!!ギルドに行けば助けてくれるって、テメェが言ったんだろうが!!」
Dランクは目を逸らす。
「お、俺は……仲介しただけで……!」
「ふざけんな!!」
獣人の拳がもう一度振り上げられた瞬間——
俺は、間に割って入って、その拳を掴んだ。
「そこまでや。」
「っ!? 離せ!!」
獣人が暴れかけ、俺を見て固まる。 黒スーツ。桜の刺繍。 ギルドでの噂が、この辺まで届いているらしい。
「……薄桜会、か。」
「覚え早くて助かるわ。」
俺はDランクを足でどかし、獣人の方を見た。
「お前、名は。」
「……ロウガ。」
獣人は歯を食いしばる。
「ロウガ・グレイファング。元冒険者だ。」
「元、ね。」
「ギルドに見捨てられてな。」
ロウガは地面に唾を吐いた。
「依頼主の護衛依頼を、“なんちゃってギルド”に持っていった。 そしたら、テメェらじゃ不安だって言われて、 俺ら兄弟だけで行くことになった。」
拳が震える。
「結果、失敗だ。 モンスターの群れに襲われて、依頼主も、弟も……死んだ。」
ピコが唇をかむ。
「なんちゃって共は、“ギルドが責任取るから”って笑ってたっすね。 依頼主の家族には、“自分たちは被害者だ”って顔して……」
「そういう話、知ってんのか。」
「何件も聞いたっす。」
ピコは悔しそうに目を伏せた。
「まともな依頼もする奴らがいる一方で、 マジで全部人任せのクズもいるっす。」
ロウガは俺を睨みつける。
「テメェら薄桜会は、なんちゃってギルド潰しに動くって噂じゃねぇか。」
「早ぇな。情報。」
「スラムの噂は大体早ぇんだよ。」
ロウガの目が、ぎらりと光る。
「テメェらが本気であいつら潰すってんなら——」
一歩、俺ににじり寄る。
「俺も連れてけ。」
ピコが慌てて前に出る。
「組長! こんな血の気が多いだけの野良獣人、一緒に連れてっても——」
「黙っとれ、ピコ。」
俺は軽く手を上げて制した。
「ロウガ。」
「なんだ。」
「お前、弟が死んだのは“なんちゃってだけのせい”やと思ってんのか。」
ロウガが目を見開く。
「……あ?」
「依頼選んだのは誰や。 護衛の人数決めたのは誰や。 “自分達だけで行ける”って判断したのは、誰や。」
ロウガの拳が、ぎゅっと握られる。
「もちろん、あいつらの責任もある。 テメェらに責任を押し付けたのもクソや。」
俺は一歩、ロウガに近づいた。
「せやけどな。 弟の墓の前で、“あいつらのせいで弟が死んだ”って吠えてるだけの兄貴なら——」
「……」
「薄桜会にはいらん。」
ロウガの顔から、血の気が引いていく。 一瞬、殴りかかりそうな殺気が走り——すぐに引っ込んだ。
「……分かってるよ、そんなこと。」
低く、絞り出すような声だった。
「弟が死んだのは、俺の判断が甘かったからだ。 力も、覚悟も、足りなかったからだ。」
視線を落とし、 歯を食いしばる。
「だからこそ、テメェらに頼んでんだよ。」
顔を上げる。 その目は、涙も怒りも全部飲み込んだ、真っ直ぐな目だった。
「俺は弱かった。 でも今度は——筋を通して、あいつらにケジメを取らせたい。」
ロウガは、深く頭を下げた。
「俺も薄桜会に入れてくれ。 盃を——くれ。」
ピコが「組長……!」と俺を見る。
「こんな奴まで抱え込んだら、マジで身動き取れねぇっすよ……!」
「いいや。」
俺は笑った。
「面白いやろ。」
「出たっす、組長の“面白い”基準……!」
ガルドが頭を抱える。
「ロウガ。」
「……あぁ。」
「今日の夜、事務所に来い。 盃は、そこでやる。」
◆
ロウガと別れ、さらに路地を進んでいると——
「や、やめろよ……! ごめんなさい、ごめんなさい……!」
今度は、情けない声がした。
角を曲がると、 ちっこいゼリーみたいなスライムが、 ガキ共とチンピラに蹴られていた。
「お、こいつ喋るスライムだぜ!」
「“ごめんなさい”じゃねぇんだよ、スライムの分際で路地の真ん中ウロウロしてんじゃねぇ!」
「魔力抜いたら高く売れるかな?」
「やめてください……!」
小さな体が、蹴られるたびにべちゃっと潰れて、また元に戻る。 それを見てガキ共はゲラゲラ笑う。
「……」
「組長。」
ピコが顔をしかめる。
「どうするっす?」
「決まっとる。」
俺はガキ共とチンピラの間に割り込んだ。
「おい、そこまでや。」
「なんだよテメ——」
言い終わる前に、チンピラの顎に蹴りが入った。 顎が跳ね上がり、男は情けない声を上げて地面に落ちる。
ガキ共は目を丸くして後ずさった。
「や、やべぇ……!」
「薄桜会だ……!」
一目散に逃げていく。 スライムだけが、プルプル震えながら取り残された。
「だ、大丈夫か。」
ガルドがそっと声をかけると、 スライムはびくっと震えた後、 おそるおそるこちらを見上げた。
「……こ、殺さない、ですか?」
「殺さねぇよ。」
ピコが呆れたように言う。
「なんで初手がそれなんすか。」
「だって、ボク、弱いから……」
スライムはしょぼくれた声で言った。
「弱い奴は、踏まれるばっかりで……
誰も助けてくれないから……
いつか、自分のことは、自分で守れるくらい強くなりたいって……そう思って……」
「ひとりでスラムうろついてたわけか。」
「……はい。」
スライムの体が、少しだけ縮んだ。
「“なんちゃって冒険者ギルド”に入れてもらえるかなって思って…… 声かけたら、“お前みたいなスライムはいらねぇよ”って笑われて…… でも、諦めきれなくて、ウロウロしてたら……」
さっきのガキ共に見つかったらしい。
ピコがため息をつく。
「筋も覚悟もねぇクズは拾わねぇけど…… この子は、まぁ……迷子って感じっすね……」
俺はスライムにしゃがんで目線を合わせる。
「名前は。」
「……ぷ、プルン、です……」
「その名前、誰が付けた。」
「自分で……」
「センスはともかく、自分で付けたんならええ。」
俺は笑った。
「プルン。」
「は、はいっ……!」
「お前、強くなりたいか。」
「……なりたいです。」
「踏まれて終わるのは、そろそろごめんか。」
「……はい。」
震えながらも、目の奥に小さな火が灯った。
「でも、ボク、スライムだし…… きっと、足引っ張るだけで……」
「足引っ張るかどうかは——」
俺は立ち上がり、薄桜会の看板が見える方角を顎で示した。
「俺が決める。」
プルンが「え」と声を漏らす。
「お前もや。今日の夜、事務所に来い。」
「え、えええ!? ボクも、ですか!?」
ピコが慌てて割って入る。
「組長!?
オボロさんにロウガに、このスライムまで!?
さすがに増やしすぎじゃ——」
「面白いやろ。」
「またそれっすかぁぁぁ!!」
ピコの悲鳴が、路地裏に響いた。




