表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

三秒の暗闇①

サラ・ペンドルトンの事務所は、魔女の仕事場にしてはあまりにも味気なかった。

壁には何も掛かっていない。棚も、瓶も、古代語の魔導書もない。

淋しい室内の主役は、あまり光沢のない木製の机と、客用の椅子がひとつだけ。

魔女の城と呼ぶには無理があり、かといって事務所と呼ぶには頼りない。

一言で表せば「生活感のない部屋」である。


そんな空間に、初対面の男は少しだけ居心地の悪そうな顔をしていた。


ルーファス・クレイン。

肩幅が広く、仕立てのいいスーツに身を包んだその男は、部屋の雰囲気と釣り合わない。

ビジネス書の著者写真として並んでいても違和感がないほど整えられた外見だが、今は珍しいものでも見るように周囲を眺めていた。


「本当に……魔女の仕事場なのかね?」


「ええ。残念ながら、これで全部よ」


サラは書類を片付けながら答えた。

声には抑揚がほとんどない。愛想がないわけでも、機嫌が悪いわけでもなく、もともとの性質だと分かる。

どこか倦んだ事務員のようで、しかし目だけは異様なほど正確さを追求している。


「てっきり、薬草やら水晶玉やらが山のように積まれてるかと思っていたんだが」


「それは観光用の魔女ね。私は観光用じゃないわ。実務専門よ」


ルーファスは軽く笑い、それから手元のブリーフケースを開いた。

中には封筒が数枚、きっちり揃えられて入っている。

彼は一枚を取り出し、机の上へ滑らせた。


「なら話が早い。依頼内容は単純だ」

「ええ、聞きましょう」


サラは椅子を引き、正対して座り直す。


ルーファスは指先で封筒を軽く叩き、言った。


「ある男に、三秒の暗闇を与えてほしい」


サラは眉ひとつ動かさない。

ただ机の上に置いていた黒いノートを開き、さらりと質問する。


「暗闇……具体的には視界の完全喪失ね? 対象は?」


「ハワード・メイスン。共同経営者だ。今夜の十時三分二十秒。場所は第三倉庫の事務室。そこにいるはずだ」


まるで時計の時刻予約でもするように言う男だった。

依頼の内容そのものより、指定の正確さのほうが目を引く。


サラはその数字をノートに書く。

まるで魔法ではなく、物流の納期管理でも記録しているかのようだった。


「視線合わせは……必要ね。あなたは倉庫の中に入れないでしょう?」


「当然だ。ああいう場所には監視が多い。私は外から状況を作るだけだ」


さらりと言ったわりには、妙に具体的だ。

サラはその“具体性”を軽く頭の隅に置きつつ、ノートに次々と小さな円や線を書き込む。


彼女の魔法は、大げさな呪文や華々しい光とは縁がない。

その代わり、計算がいる。

微小魔法ほど精度を要求されるものはない――魔女仲間たちはそう言い、そして誰もやりたがらない分野でもあった。


「成功率は?」

ルーファスが訊く。


「計算中よ。倉庫は風の精霊が多いから、視線の直線が乱れやすい。条件的には……」


ページをめくるたび、数字が増える。

サラは淡々と線を引き、また書き足す。


「七八パーセント。妨害されれば五割まで落ちるわ」


ルーファスは無表情で頷いた。


「問題ない。きみの腕は信用している」


「信用は料金に含まれてないけど。……契約を確認しておくわ」


サラは机の引き出しから契約書を取り出し、置いた。

魔女の契約書と呼ぶにはずいぶん事務的すぎるフォーマットだったが、条項は厳しい。


・依頼料は前払い

・成功・失敗問わず返金はなし

・違法行為の責任は依頼人に帰属

・依頼人は魔法の使用目的を虚偽なく申告すること


最後の条項を指で叩きながら、サラは言う。


「これを破ると、面倒よ?」


「構わない。私は虚偽を言っていない」


それが本当なら問題ない。

ただ、虚偽を言う依頼人ほど、この条項を迷いなく受け入れる――というのがサラの経験則だった。


ルーファスは署名を済ませ、ペンを置いた。


サラは契約書を確認しながら、ふと尋ねる。


「……その三秒、あなたは何に使うつもり?」


「必要なことをするだけだよ」


その答えは曖昧だが、声の調子には“確信”の色があった。

彼にとっては当たり前すぎる事実なのだろう。


サラは椅子を立ち、棚から作業用の外套を取る。

地味な灰色の外套だったが、精霊の干渉を弱める加工が施されている。


「では準備に入るわ。倉庫の下見が必要。あなたはここで待つ? それとも帰る?」


「私は戻るよ。成功を楽しみにしている」


ルーファスは再びブリーフケースを閉じ、立ち上がる。

その背中は落ち着き払っており、まるで“仕事はもう終わった”とでも言いたげだった。


ドアが閉まる。


サラは静まり返った事務所でノートを閉じ、わずかに息を吐いた。


(……あの落ち着きは、何か隠しているタイプね)


別に珍しいわけではない。

サラのところに来る依頼人の八割は、何かを隠している。

魔法を使ってまでやりたいことは、大抵ろくでもない。


だが、そのろくでもなさを暴くのも仕事のうちだ。


サラは外套を羽織り、チョークと時計とメモをポケットに滑り込ませた。


そして事務所の灯りを落とす。

倉庫街へ向けて歩きながら、彼女は何の感慨もなく、ただ次の数字の扱いを考えていた。


微小魔法は、計算と精度と胆力の仕事である。

しかも、成功しても褒められるわけではない。


それでも彼女は、今日も依頼を受ける。

報酬が良いからではない。

淡々と魔法を使うこと以上に、彼女の生活を満たすものはなかったからだ。


第三倉庫。

今夜十時三分二十秒。


数字はもう頭に入った。

あとは、仕事をするだけだった。

第三倉庫が並ぶ海沿いの一角は、夜になると風が強くなる。

昼間は運送業者で賑わうが、今の時間帯はほとんど人影がない。

街灯の明かりがまばらに照らす通路は、波の音と鉄骨の軋む音だけが響いていた。


サラは手帳を片手に、倉庫の外壁を回り込む。

いくつかの窓を調べ、位置関係を確認し、最後に海側の壁へ足を運んだ。


その途中、足元で何かがこそこそと動いた。


「……またあなたたち?」


薄暗い地面で、小さな風の渦がふたつ、かたまりになって揺れていた。

風スプライト。

この倉庫街は、なぜか彼らの住処になっている。


スプライトは人間のような形をとらない。

ただ、空気のかたまりが渦を巻き、光の粒を含んで漂っているだけだ。

しかしその動きは、好奇心旺盛な子どものように落ち着きがない。


サラが近づくと、ふたつの渦は揺れながら彼女の足元をつついた。


「悪戯はしないで。今日の仕事は面倒なの」


スプライトは理解したのかどうか、ふらりと離れ、鉄骨の影に隠れた。

おそらく理解していない。

彼らが理解するのは“面白そうかどうか”だけだ。


サラはその場から離れ、倉庫の裏手にある排気口へ向かった。

そこから微かな明かりが漏れていた。


(事務室は稼働中。ハワードはまだいるわね)


窓越しに覗くと、机に向かった男が見える。

ハワード・メイスン。

サラは彼について詳しい情報を持っていないが、ルーファスの説明が嘘でなければ、共同経営者らしい。


ハワードは鎖骨までかかる長めの髪を後ろに払いつつ、帳簿らしきものに視線を落としていた。

ページをめくる手つきは慣れているが、どこか落ち着きがない。

机の上には紙が散乱しており、電話機のランプが何度も点滅している。


(……焦っているわね)


魔法を使うサラからすれば、対象の精神状態は重要だ。

集中していると視線が安定する。

逆に焦っていると、視線は揺れ、魔法の成功率を下げる。


三秒の暗闇。

視界に魔法を仕掛けるには、正確な“視線の線”が必要だった。


サラは排気口の前でしゃがみ、紙に何本か線を引き始めた。


倉庫の位置、窓の角度、ハワードの座っている方向、今いる場所からの視線角度。

微小魔法の難しさは、この“補正計算”にある。

対象との距離が数メートル変わるだけで、魔法の入り方は大きく違ってくる。


「……これなら、誤差は許容範囲ね」


そう呟いた瞬間、背後からサラの外套を引っ張る感覚があった。


またスプライトだ。

二匹が揃って外套を揺らし、“遊んでほしい”と言わんばかりに渦をぶんぶん回していた。


「今日はダメ。仕事中」


スプライトはぶんぶんの速度を速めた。

説得は通じていない。


サラは軽い溜息をつき、ペン先を紙に押し付けたまま、手元の小瓶を開けた。

中には乾燥ローズマリーが詰まっている。


「はい、特別に。ひとかけらだけ」


ローズマリーの葉を指先でつまみ、ひょいと投げる。

二匹のスプライトはほぼ同時に飛びついた。

風の塊がローズマリーを追って地面を転がり、やがて倉庫の陰へ消えていく。


(……これで五分は静かね)


スプライトにとって、ローズマリーはおもちゃのようなものだ。

風に舞うと複雑な軌道を描くため、延々と追いかけ回すのだ。


サラは作業に戻った。


風が強くなると、魔法式を描く時間も考えなければならない。

特に“円”は精霊たちの大好物だ。

見つけると、壊すか弄るか、どちらかを始める。

その性質を知らずに魔法を使うと、成功率が一瞬で崩壊する。


微小魔法が絶滅しかけた理由はそこにある。

あまりに繊細すぎ、精霊のいたずらひとつで台無しになる。


(けど、やるしかないわね)


開いたノートを閉じ、サラは立ち上がった。

倉庫の角を曲がり、窓から見える位置を確認する。

風向き、地面の凹凸、明かりの具合――どれも彼女の魔法には影響がある。


(時計の秒針を基準にして……位置はここ。成功率七五パーセント。悪くない)


背後で、風スプライトがまた戻ってきた気配がする。

さきほどのローズマリー遊びは飽きたらしい。


サラは振り向かずに言う。


「だめよ。もうおやつはないわ」


スプライトは、言葉の意味ではなく、サラの“仕事モード”の気配を察したのだろう。

しばらくその場で揺れていたが、やがて鉄柱の影へ引っ込んだ。


倉庫の窓の向こうで、ハワードが電話を取った。

苛立った口調が外に漏れるほど強い声で話している。

紙を机に叩きつけ、不規則に立ち上がったり座ったりしている。


(焦りは増している……けど、三秒の視界奪取にはむしろ都合がいい。

 心が乱れているほど、暗闇は“素直に入る”)


サラはチョークを取り出し、ポケットにしまった時計を確認した。

魔法の発動まであと二時間弱。


“盗みに入る前の泥棒”なら、緊張したり、気合を入れたりするのかもしれない。

しかしサラの表情は淡々としていた。

魔法とは、結局のところ計算と手順の積み重ねだ。

緊張したところで成功率は上がらない。


ただし、ひとつだけ油断してはいけない要素があった。


精霊。


この倉庫街は、風だけでなく土の精霊も多い。

土スプライトは気まぐれで、地面の粉塵を集めては形を変える。

魔法陣の線が描かれると、たちまちそれを“芸術作品”の素材に使おうとする。


微小魔法を成功させるには、スプライトの動きを読まなければならない。


サラは外套のポケットから、もうひとつ小瓶を取り出して振った。

瓶の中で、茶色の小さな粒がカラリと鳴る。


土スプライトの餌――というより、おもちゃだ。

撒けば数分だけ注意をそらせる。


(準備は整った)


サラは倉庫に背を向け、事務所へ戻る道を歩きながら、今日の流れを再度計算した。


魔法式の描画に三秒。

視線の補正に一秒。

スプライトの動きを避けるための余裕を加えて――成功率七四パーセント。


十分だった。


仕事の精度は数字が保証する。

それ以上でも以下でもない。


そしてサラは、わずかに夜空を見上げた。

星は雲に隠れている。


(……風が、また強くなってきてるわね)


今夜は少し面倒になるかもしれない。

とはいえ、それもいつものことだった。


サラは事務所へ戻り、あとは時間を待つだけとなった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ