第7話「序列評価試験ー前編ー」
春から二ヶ月が経った《アカデミア・ルミア》。
蒼の毎日は、光と影のように淡々と過ぎていった。
授業、食堂、寮。繰り返される日常の中で、
彼のRank Nodeはほとんど動かない。
誰よりも静かで、誰よりも目立たない生徒。
それが天城蒼だった。
だが、その朝。
教室に漂う空気が、いつもとは違っていた。
ざわつきもなく、妙に静まり返っている。
天井のスピーカーが短い電子音を鳴らした瞬間、教室中の空気が一変した。
《全校生徒に告ぐ。序列評価試験を実施する。詳細は各端末に送信する。》
その言葉に、生徒たちは一斉に顔を上げた。
端末が光を放ち、メッセージが流れる。
《本試験は、チーム単位で実施されます。指定時間に集合し、指示に従ってください。》
ざわめきが走る。
“序列評価試験”という言葉は、誰も聞いたことがなかった。
半年ごとのクラス替えよりも、ずっと重い響きを持っていた。
端末の画面にチームの編成が表示される。
蒼の目が止まったその先に、思わず息をのむ名前があった。
・天音アリス(αクラス/序列1位)
・神崎黎(βクラス/序列23位)
・東雲リナ(γクラス/序列49位)
・久堂イサナ(δクラス/序列78位)
・天城蒼(εクラス/序列100位)
教室の空気がざわりと動く。
“序列一位のアリス”と同じチーム――
蒼は小さく息を呑んだ。誰かが冗談めかして「ハズレだな」と囁いたのが聞こえた。
だが、そんな声を気にしている余裕はなかった。
心臓が早鐘を打つ。
手の中の端末が、わずかに震えているように感じる。
試験会場は、学園中央棟の地下施設。
普段は使われることのない階層だ。
天井まで伸びる無機質な壁、金属の匂い、規則正しく点滅する光。
生徒たちはチームごとに振り分けられ、指定された部屋へと案内されていった。
蒼たちのチームが通されたのは、重厚なドアの先にある小さな部屋。
壁一面には無数のモニターと機械のパネル、そして一枚のスクリーンが設置されている。
冷たい蛍光灯の下、機械の低音が絶えず響いていた。
神崎が腕を組み、軽く笑った。
「まるで監獄だな。脱出試験か何かか?」
イサナが興味深そうに壁の装置を触りながら言う。
「ここから出るのが目的、ってオチじゃない?面白そうじゃん」
リナは端末を操作しながら首を傾げた。
「……指示がない。待てってこと?」
そのとき、スピーカーが低い音を鳴らした。
《序列評価試験を開始します。》
《課題:この部屋から脱出せよ。制限時間は60分。》
《Rank Nodeは、行動・判断・貢献度により変動します。》
蒼は息を呑んだ。
脱出試験――本当に神崎の言う通りだった。
壁の一部が光り、青白い文字列が浮かび上がる。
> “光が閉ざすとき、影が道を示す。”
イサナが苦笑した。
「なにこれ、謎解き?」
神崎は目を細め、天井を見上げる。
「照明……だな。影を作るんだろう」
アリスは何も言わず、静かに周囲を観察している。
彼女の動きは滑らかで、無駄がない。
その姿を見ているだけで、他の誰もが焦りを感じた。
リナが机の下を探り、黒い箱を見つける。
中にはカード状の端末と、複雑な鍵盤のついた装置。
「これ……パスコードを入力するタイプ?」
「順番を間違えたら、ロックが強化される仕組みかもしれないな」
神崎が推測を口にした。
蒼はその光景を黙って見つめていた。
心臓が、また早く打ち始める。
自分も動かなきゃ、と思うのに、身体が固まって動けない。
アリスがふと、蒼の方を見た。
その視線は、冷たくも優しい。
「――天城くん。見える?」
「え?」
「床。光の反射、数字みたいになってる」
蒼が視線を落とすと、照明の角度で床に微かに数字の影が浮かんでいた。
「2」「9」「1」「∞」……。
最後の記号を見た瞬間、蒼の心が一瞬だけ跳ねた。
∞。
また、あの記号だ。
更新で一瞬だけ端末に表示された、あの不気味な記号――。
「これが……答え、ですか?」
小さく問うと、アリスは短く頷いた。
「かもしれない。でも順番を間違えたら、終わり」
神崎が装置に手をかける。
「よし、打ち込むぞ。アリス、数字を」
「2、9、1……」
最後の入力の前、アリスが一瞬だけ迷う。
その指が震えるように止まった。
蒼の胸がざわついた。
――なぜだろう、彼女が迷う姿を見るのは初めてだった。
「最後は……∞?」
アリスの声がわずかに揺れる。
だが神崎は即座に入力した。
次の瞬間、警告音が鳴り響いた。
赤い光が部屋中に散る。
モニターに文字が走る。
《入力エラー。制限時間、残り45分。》
イサナが舌打ちした。
「マジかよ、罠か」
神崎は悔しそうに唇を噛む。
アリスは小さく目を伏せた。
その表情には焦りも不安もなく、ただ冷静な光が宿っていた。
蒼はその背中を見つめながら、胸の奥で何かが軋むのを感じた。
――どうして、自分は何もできないんだ。
声を出す勇気があれば、違う選択ができたかもしれない。
それでも、言葉は出てこなかった。
冷たい機械音が響く中、彼らの試験は静かに続いていった。
やがて、部屋の奥の壁にまた別の光が灯る。
“間違いは罰。だが、選択を恐れる者に未来はない。”
アリスが小さく笑った。
「……まるで、この学園そのものね。」
その言葉が、蒼の胸に深く刺さった。
光に支配されたこの学園。
選択も、失敗も、すべてが数値になる世界。
――そして今、その中で最も価値が低い自分が、
どんな選択をするかが、静かに問われている気がした。




