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SE転職。~妹よ。兄さん、しばらく、出張先(異世界)から帰れそうにない~  作者: しばたろう


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第8章 脳外科医

その日、私は兄の症状について話があると、大学病院に呼び出された。


胸の奥がざわつくのを抑えながら、指定された病院へと向かう。

夕暮れの光を反射して、白い外壁が静かに沈んでいた。


案内された診察室のドアをノックして中へ入ると、

白衣の女性医師がデスクの向こう側で立ち上がり、穏やかに会釈した。


「はじめまして。お兄さんの新しい主治医を担当しています、朝倉です。」


知的な雰囲気の中に柔らかさを感じさせる声だった。

切れ長の瞳には静かな誠実さが宿り、年齢は二十代後半ほどに見える。


「私は脳外科医でして、大学では“意識の神経基盤”についての研究も行っています。

お兄さんの症状が少し特殊だったため、前任の医師から引き継ぐ形になりました。」


私は思わず身を乗り出した。

「特殊……というのは?」


朝倉先生は机上のモニターを操作し、画面に波打つ線を映し出した。

それは兄の脳波データだった。


「お兄さんは、側頭葉の海馬に近い動脈の破裂によって、くも膜下出血を起こしました。

幸い手術後の経過は安定していて、命に別状はありません。」


私は胸をなでおろした。

だが、朝倉先生の表情はどこか曇っている。


「……ただ、ひとつだけ、説明のつかない点があります。」


朝倉先生は視線をモニターから外し、

小さく息を吸い込んだ。


「通常、意識不明の患者さんでは、脳の神経活動が低下して“徐波”と呼ばれる、低周波で振幅の大きい脳波が出ます。

けれど……お兄さんの場合は違うんです。」


画面には、複雑で小刻みな波形が映っていた。


「振幅は小さく、周波数は高めで不規則。——

これは、**覚醒時やレム睡眠(夢を見ている睡眠段階)**に近い脳波なんです。

つまり、お兄さんは今も夢を見続けている可能性があります。」


私は言葉を失った。

兄さんは今、眠りの奥で――いったい何を見ているのだろう。


「夢を、見てる……?」


朝倉先生は小さくうなずいた。

「ええ。もちろん、まだ仮説の段階です。ですが、このようなパターンは非常に稀で、私たちの分野でも確認例はほとんどありません。」


少し間を置き、慎重に言葉を選ぶように続けた。

「お願いがあります。お兄さんの状態を、もう少し詳しく調べさせていただけませんか? 通常、意識不明の患者さんには頻繁な検査は行いませんが……このケースは例外だと考えています。」


「どんな検査をするんですか?」


「MRIやCTを定期的に実施して、脳の活動領域を細かく追います。もちろん、検査でお兄さんの容体が悪化することはありません。むしろ、この異常の原因を突き止められれば、回復の手がかりになるかもしれません。」


その声は落ち着いていたが、どこかに熱があった。

研究者としての好奇心と、医師としての誠実さが交じり合うような、そんな声音だった。


私はしばらく迷った末に、静かにうなずいた。

「……お願いします。兄を、助けてください。」


朝倉先生はほっと息をつき、やわらかく微笑んだ。

「ありがとうございます。経過はすべて、あなたにも共有します。——一緒に、お兄さんの“意識の行方”を追っていきましょう。」


「それでは、定期的に検査を進めさせていただきますね。」

朝倉先生はカルテにいくつかのメモを書き込みながら、静かに言葉を締めくくった。

「はい……お願いします。」私は小さくうなずいた。


朝倉先生は、少し言葉を選ぶように視線を落とした。

数秒の静かな間を置いてから、やわらかく口を開く。


「あなたが、お兄さんのことを一人で支えていると聞きました。

学業との両立もあって、きっと無理をしている部分もあると思います。

……もし、何か行き詰まることがあれば、医療の範囲を越えることでも構いません。

私にできることがあるなら——できる限り、力になりたいと思っています。」


その声には、静けさの中にあたたかさがあった。

理性的でありながら、どこか人としての思いやりがにじんでいて、

私はその言葉に、不思議と胸の奥がやわらいでいくのを感じた。


扉が静かに閉まる音の中で、私は気づいていた。

先生に対して抱いた感情は、ただの感謝でも憧れでもない。

胸の奥に、あたたかい光がそっと灯るような——そんな感覚だった。


たぶん私は、その日、はじめて兄さん以外の大人に心を向けたのだと思う。

それがどんな気持ちなのか、まだうまく言葉にできなかったけれど……。


診察室を出たあと、私はいつものように兄さんの病室に立ち寄った。

4人部屋の中は、人工呼吸器の微かな作動音と、心電図の一定のリズムだけが響いている。

窓から差し込む夕陽が、白いカーテンを透かして淡く揺れていた。


兄さんのベッドの隣には、見知らぬ3人の患者が眠っていた。

いずれも兄さんと同じように、静かに目を閉じ、ほとんど動かない。

——似たような症状の患者を、一部屋にまとめているのかもしれない。


これまで兄さんのことで頭がいっぱいで、他の患者に目を向けたことがほとんどなかった。

けれど、ふと病室の入口に掛けられた小さなプレートが目に留まった。

そこには、この部屋の入院患者の名前が並んでいる。


「……?」


私は足を止めた。

よく見るのは、これが初めてだった。


プレートには、兄さんの名前とともに、三人の名前が刻まれていた。


「なんて読むのかな?」


神谷 獅子

久遠 莉温

橘 月

山中 真翔

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