第50章 SE、風邪をひく。
雨の中での“大ネズミ退治”は、思った以上に過酷だった。
「はっ……はっくしょん!」
春先とはいえ、ずぶ濡れで長時間のクエストは体温を容赦なく奪っていく。
雨粒が服の内側まで染み込み、靴の中はぐしゃぐしゃ。
その日の夜、俺はくしゃみを連発しながら宿へ戻った。
――そして翌朝。
目を開けた瞬間、すべて理解した。
(……これ、ダメなときのやつだ)
頭は割れるように痛い。
関節がバキバキ。
体が熱っぽく、枕に顔を押しつけるだけで世界がぐわんと揺れる。
「……無理。起きられん……」
スマホのないこの世界では、
誰かに連絡する手段は基本“直接会う”か“掲示板”か“手紙”だ。
だが今日はクエストもなく、仲間はみな自由行動。
こんな日に限って、誰一人として宿に寄る気配もない。
そこで、俺は枕元の“唯一の文明の利器”を手に取った。
《リンク》。
異世界でも動く俺の秘密兵器。
LINEを開き、ミカにメッセージを送る。
『風邪ひいて動けない。
帰りに水と食料、頼みたい……』
送信して数秒後。
『おけ!』
即レス。さすがミカである。
こういうとき、ミカは本当に頼りになる。
安心した瞬間、意識がふっと遠のいた。
――そして、夕方。
こんこん。
ノックの音で目が覚めた。
「ミカ……?」
かすれた声で返事をすると、ドアがゆっくり開いた。
「マイト、大丈夫?」
顔をのぞかせたのは――ハルカだった。
「ハルカ……?」
「ミカちゃんに聞いたの。大丈夫?」
(……気が利くのかお節介なのか……いや、ありがとうミカ)
ハルカは椅子を引いて俺の横に座り、そっとおでこに手を当てた。
「熱、あるね。食欲は?」
「ああ……少しは」
「よかった。パン粥、作ってきたの。」
そう言って、バッグから小さな容器を取り出した。
容器を開けた瞬間、
湯気と一緒に、あたたかくてやさしい香りが部屋に広がった。
(……こんなときに、手作り……?
ミカ……これは、ナイスアシスト……)
「ひとりで食べられる?」
「………むりでしゅ」
「しかたないなあ、じゃあ……」
ハルカはスプーンでパン粥をすくい、俺の口元へ。
「はい、あーん」
「あーん……」
やさしい味が口いっぱいに広がる。
「おいしい?」
「……すごく」
ハルカが柔らかく笑う。
「はい、あーん」
「あーん……」
「はい、あーん」
「あーん……」
気がつけば――
俺はスプーンを持つハルカの手を、そっと握っていた。
「……ハルカ。ありがとう」
「ううん……」
顔を赤くしながらも、手を離さないハルカ。
二人の距離がゆっくりと縮まっていく。
――刹那。
ドア、バーン!!
「ハハッ! 調子はどうだ、マイト!!」
レオが爆音と共に乱入してきた。
手を握り合ったまま固まる俺とハルカ。
「おぉ、邪魔をした!」
レオはノールックでドアを閉め――
と思いきや、
ドアがスッ……と数センチ開き、隙間から顔だけ出す。
「どうぞ、続けて?」
「うるさーーい!!」
俺は全力で叫んだ。
レオは、「ルナから聞いたんだ。」と、お見舞いに来てくれたとのこと。
「熱い甘酒を持ってきた。風邪には良く聞くぞ。これ飲んで、早く良くなれ」
そういって、帰って行った。
レオが帰っていってから、しばらくの静けさが戻った。
――と思ったのも束の間。
こんこん。
ドアがまた叩かれた。
「マイト、大丈夫かー?」
そこに立っていたのは、ルナとミカだった。
「ほら、これ。」
ルナは、小さな氷枕を差し出した。
「氷魔法でこしらえてきた。
冷却時間持続のエンチャントを付与してあるぞ。安心して眠れ。」
氷枕を額に当てると、気持ちいいほどひんやりして、一気に頭が軽くなる。
その横で、ミカがウインクしてきた。
“今度おいしいものおごってね。”とでも言いたげだった。
「……わかったよ。あとでな。」
ミカはにっこり笑った。
さらに、少しして――
「お邪魔するぞ、マイト。」
リオンとサオリまで訪ねてきた。
リオンがそっと杖を掲げ、低い声で回復魔法を唱える。
「ケガを治す魔法だから、風邪には効果は薄いが……
なに、それでも、ずいぶん楽にはなるぞ。」
柔らかな光が身体を包み込み、重かった胸がすっと軽くなる。
「無理すんなよ、マイト。」
サオリはぶっきらぼうに言いながらも、心配そうにこちらを見ていた。
そして――
「入るぞ。」
最後に姿を見せたのは、アレクスとレイナさんだった。
レイナさんは、かごいっぱいのリンゴを抱えていた。
「風邪にはリンゴがいいのよ。
はい、ハルカ。これ、マイトにむいてあげて。」
「ありがとうございます、レイナさん。」
ハルカは丁寧に頭を下げ、リンゴのかごを受け取った。
そのあと、皆は「早く良くなれよ」と言い残して帰っていった。
――静寂が戻る。
ハルカは椅子に座り、リンゴをひとつ手に取って皮をむき始めた。
「……みんな、いい人たちね。」
「ああ、そう思う。この世界で俺は本当にいい仲間に恵まれた。」
リンゴの甘い香りが、部屋にほんのり広がる。
少し間を置いて、ハルカは、そっと呟いた。
「みんな、マイトのことが大好きなのよ。」
「そうかなあ。」
「そうよ。でも……」
ハルカは手を止め、ゆっくりと俺の方を向いた。
その瞳が、まっすぐに俺を射抜く。
「マイトのことが、一番好きなのは――私だから。ね。」
月夜は、乙女を大胆にする。
「ハルカ……」
俺は、ハルカの手をそっと握った。
「マイト……」
二人の距離が、ほんの少し、また少しと縮まっていく。
――刹那。
ドア、バーン!!
「ハハッ! 言い忘れたことが!!」
レオが乱入。
「いいかげんに、しろーー!!」
俺の叫びは、夜の街に響き渡った。




