早朝カオスと朝ごはん
まだ朝の六時。
目覚まし時計のベルは鳴っていないのに、俺はすでに目を開けていた。理由は単純、静寂を打ち砕く爆音が寮中を揺らしていたからだ。
――ガンッ、ガガガガガンッ、ギギィ……ギィン!
「……え、地震?」
寝ぼけた脳が最初に出した答えは見当違いだった。二回目の金属音で、これは人災だと悟る。
ドアを指一本ぶんだけ開け、廊下を覗く。
白衣の袖を肘までまくった希崎視乗が、巨大レンチでロボットの関節を締め上げていた。レンチの柄は彼女の腕の二倍くらいある。朝っぱらからドック整備かよ。
「おはよう、桐ヶ谷。安心しなさい、爆発音がしたら起こしてあげるから」
「今まさに、その前段階で起きたんだけどな!? というか“したら”って何!?」
視乗はくいっと顎を上げ、レンチを回す角度を変える。
「今日の私は繊細なの。ミリ単位の調整よ。爆発の恐れは……十パーセント」
「十パーセントは“ある”って言うんだよ!」
その二歩先。
シャッ、と澄んだ音が走る。暁が日本刀を抜き、廊下に転がっていた空き缶を――なぜあるのかは聞くな――一閃で真っ二つにした。切るな、拾え。掃除は“除去”じゃない。
「……危険物、排除」
「空き缶は危険物じゃないし、しかも分別は“分ける”であって“斬る”じゃない!」
カラン、と缶の半身が床で跳ねる。その跳ねを見計らったみたいに、もう一つの音が背後から重なる。
――シュコー……シュコー……
低く規則的な呼吸音。振り返ると、銀色の宇宙服。
バイザーの奥は漆黒の空洞。朝日が差し込み、スーツの白がやけに眩しい。
「……ホラー映画のオープニングか?」
「心肺機能の鍛錬にゃ」
宇宙服の中の声は、いつもの学園長・ここあ。胸の前でグローブをぽんぽん叩き、やる気をアピールしている(のだと思う)。
「学園長、なぜ朝から宇宙遊泳の体で……」
「深呼吸は一日の始まりにゃ。あと、宇宙服は正装にゃ」
「正装の定義を殴り書きで改定しないでくれ」
俺の朝の静けさ、返してくれ。
「おはよう〜♪」
階段から柔らかく落ちてくる歌声。水島彩音が、朝の光を背負って現れた。
ライトブラウンの髪がゆるく跳ね、スカートの裾がふんわり広がる。微笑む口元、うっすら上気した頬。なぜか、廊下の混沌の中で彼女だけが清涼剤みたいに見える。
「……この状況でお前が一番まともに見えるって、どういう世界なんだろうな」
「え、何か言った?」
「いや、なんでも」
俺が誤魔化すと、彩音は窓辺に目を向ける。歌声に惹かれたのか、小鳥が二羽、桟に止まった。
「わぁ、かわ――」
彩音が半歩近づく。二羽はバササッと揃って飛び去った。
「……やっぱり苦手」
「そこは本人の問題だったか」
「おはようございます。朝食、もうすぐ出せますよ」
凛とした声がダイニングの方から届く。桜庭咲良が、白いエプロンで姿を現した。髪は低い位置でゆるくまとめ、片手にティーポット。姿勢は教科書の挿絵みたいに美しい。
「今日のテーマは“フレンチトースト × アッサム”。バターの香りに、しっかりした紅茶のコクを合わせます」
「テーマ制の朝食って、なんだよその優雅さ」
わずかに、空気が和らぐ。ほんの数秒だけ。
「よーし! それなら私の発明でトーストの表面を“超パリッ”に――」
白衣のポケットから金属筒を取り出す視乗。
「やめろ、レンチは調理器具じゃないし、それ何!?」
「赤外線表面焼成補助装置!」
「語感が怖い!」
結局、全員でテーブルに集まった。
大皿の上には、黄金色に焼き上がったフレンチトースト。表面はカリッと、角の焦げ目はほろ苦く、中はふわふわ。バターの油膜が陽光を弾き、メープルシロップがとろりと艶めく。
列をなすティーカップには、アッサムの濃い琥珀色。立ちのぼる湯気に、甘やかな香りが乗る。
「フレンチトーストにはシナモンを軽く。香りの尾を紅茶に繋ぐと、口の中で物語が続きます」
咲良が静かに言い、ティーポットを傾ける。
「物語って軽々しく言うなよ、朝だぞ……」
「いただきます」
最初に手を合わせたのは暁だった。無表情のまま、ナイフとフォークを正確に操る。
「動きまで時代劇の侍みたいに座学完璧か」
俺がフォークを刺した瞬間――。
「では、香りの分布を均一化します!」
視乗が、例の金属筒をテーブル中央で起動した。
――シューッ!
蒸気が噴き出し、一瞬で白霧に包まれる視界。
「おい、見えない見えない見えない!!」
「大丈夫、味の分子が――熱っっ!!」
「自分で浴びてんじゃねぇ!」
隣で彩音の手が俺の手首をそっと掴む。
「葵くん、こっち。椅子、半歩後ろだよ」
「助かるけど、この状況で優しい声出されると惚れるからやめろ」
霧が晴れるころには、テーブルが軽く戦場だった。
倒れたカップ、ずれた皿、メープルの小さな湖。
「仕切り直します。科学の実験は実験室で」
咲良が微笑んだまま、きっぱり言う。声は柔らかいのに、内容は容赦がない。
「うぅ……」
視乗は白衣の袖で額の汗を拭き、ふくれっ面。
「……ここからが本当の朝ごはんにゃ」
宇宙服のここあは、カップをつまむ仕草だけして飲めない。
「学園長、それ飲めないですよね」
「カップを持つという所作で、紅茶は半分味わえるにゃ」
「哲学を盾にしないで」
ようやく一口。
熱すぎない温度。舌の上でゆっくり広がるコク。
アッサムの甘みが、バターとメープルの厚みをしっかり受け止めて、喉の奥でひとつになる。
「……うまい」
気づけば声になっていた。
「でしょう?」
咲良が微笑む。
「今日の抽出は“二分半→攪拌→三十秒”。茶葉はCTCタイプ。ミルクにも負けません」
「数字言われると、勝てない感じがするな……」
「紅茶講座、もうちょっと聞きたい!」
彩音が身を乗り出す。
「嬉しい。じゃあ、“香りの尾”の話を。今日のシナモンは、実は単体じゃなく――」
咲良が穏やかに解きほぐすように語り始める。香りの“起”“承”“転”“結”。鼻から抜ける甘い残香。温度で変わる渋みの表情。
視乗は最初「化学で説明できる!」と割り込むが、五分後には顎に手を当てて素直に聞き入っていた。
「……なるほど、官能評価には人の“記憶”が関わる。だからデータで均一化しすぎると、“物語”が死ぬ」
「そう。だから、あなたの装置は“やりすぎない”ほうが、きっと美味しくなる」
「…………」
視乗が、ほんの少しだけ恥ずかしそうに目を伏せる。
「わ、私、やりすぎた……?」
「やりすぎるのも才能の一部だよ」
彩音が笑ってフォローする。
「フォローが上手いの腹立つな……いや助かるけど」
その時、窓の外で小鳥がまたさえずった。
彩音が気づかないふりで小さく鼻歌を歌う。
「……今度は逃げないね」
「窓越しだと平気みたい」
「鳥、外。私、内。平和」
暁の要約はいつも標本みたいに無機質なのに、なぜか的確だ。
食べ終わった皿を片づけようとして、みのりが立ち上がる。
「片づけも任せて! “お片付けマイスター”起動!」
「嫌な予感しかしない!」
小型の掃除ロボが、皿を上に乗せた瞬間、ギュインと加速。
「わぁあああ!? 止まって! ストップ!」
ロボは聞いちゃいない。テーブルの端で方向転換を失敗し、皿の塔がぐらり――
すっと黒い影。暁が刀の峰で皿の重心を支え、床へ静かに下ろした。
「……危険回避」
「ちょっと待って、それ“刃物で皿を守る”って日本昔話?」
「刀は道具」
「言い切るな、危なかったろ今!」
「学園長、ロボ止めてください!」
「りょーかいにゃ!」
宇宙服のグローブが、ロボの本体スイッチをポチッ。
……反応がない。
「ここ、ダミースイッチにゃ」
「なぜそんな誰得ギミックを!?」
咲良がタオルを差し出す。
「一旦、手で片付けましょう」
「はい……」
みのりがしゅんとしながら皿を集める。
彩音は鼻歌まじりでカップを重ね、俺はテーブルのシロップを拭く。
暁は、刀を布で拭きつつ(片付けに刀を持つな)、こぼれたパンの端を器用にすくい取る。
ここあは――カップを持つ仕草だけして、やはり飲めていない。
「学園長、ほんとに飲めないんですよね」
「心の味覚で飲んでるにゃ」
「出た、ポエム」
片付けが半分終わったところで、咲良がもう一度ポットを傾ける。
「おかわり、どうぞ。今度はミルクティーで」
カップに白が差し込まれ、琥珀がまろやかなベージュへと変わる。
「……優しい」
俺は思わずそう呟いた。
「塩味や甘味が喉に残る朝は、ミルクが舌をやわらかく洗うの。日常に戻す紅茶」
「日常に戻す……ね」
たしかに、さっきまでの爆音も宇宙服も刀も、ミルクの膜の下で遠のいていく気がした。
「よし、わかった!」
みのりが突然立ち上がる。
「私、紅茶用の“やりすぎない装置”を作る!」
「“やりすぎない”を作るのが、たぶん一番難しいと思うぞ……」
「芸術は挑戦!」
「それ口癖!」
視乗はポケットからメモとペンを取り出し、白衣の袖をぶんぶん振りながら廊下へ消えかけ――
「廊下での工具使用、禁止」
暁の一言で、そっと引き返してきた。
「き、今日はダイニングで静かにスケッチするね……」
「シュコー……宇宙でも紅茶が飲めるように、ストロー、長くするにゃ」
ここあが、突然の発明家ムーブ。
「学園長、それはもう紅茶の飲み方じゃなくて点滴とかチューブの領域」
「宇宙ではなんでもチューブにゃ」
「ここは地球ですよ」
カップの底が見えていく。
窓から差す朝の光が濃くなり、寮の時計が小さく鳴る。
「そろそろ、登校の準備を」
咲良の声で、空気が“朝の終わり”に切り替わる。
彩音は髪を指先で整え、リボンの形を直す。鏡を見なくても綺麗に結び直せるの、何気にすごい。
暁は鞘を帯に差し直し、姿勢をただす。
みのりはレンチを抱えて……いや、置け。
「持っていくの、それ」
「必需品」
「“必需”の基準が違うんだよなぁ」
最後に俺は、テーブルに残った丸いミルクの膜を眺めた。
さっきまでのカオスを一枚覆うような、薄い、やわらかな膜。
「……俺の朝の静けさ、返してほしい」
口癖みたいに繰り返す。けれど、心の奥のどこかが、少しだけ笑っていた。
この寮では、静けさは長持ちしない。
でも――悪くない。
紅茶の香りと、誰かの笑い声と、どこか抜けた宇宙服の呼吸音。
そういうものが混ざり合って、今日も始まる。
「さ、行こっか」
彩音が俺の袖を小さく引く。
「……ああ」
俺は頷き、椅子を引いた。
視界の端で、咲良がポットを空にして、満足げに小さく頷くのが見えた。
そして俺たちは、いつものように――いや、普通じゃない“いつも”のように――扉を開けた。
新しい一日のカオスは、もう玄関の向こうで待っている。




