コード009 猟犬と私
「ああああああああ!!」
私はアクセルを全開にひねり、棄却区の瓦礫だらけの路地を突っ切った。
腹にはミナ、背にはラグがしがみついている。本来なら絶対に許されない無茶な乗り方だ。ハンドル操作のたびに小さな体が腕に干渉してきて、まともに操縦できやしない。だが、そんなこと言ってる余裕はなかった。
前方に横倒しになった鉄骨。咄嗟にハンドルを切り、ギリギリで車体を傾けてかわす。火花を散らしながら、バイクは壁にスレスレの角度で滑り込んだ。
「ヒャハハハハッ! 壊すッ! 壊す壊す壊す!! ギアぁッ、肉ぅッ、血ぃッ!」
「うるせぇ馬鹿くそボケッ!!」
語彙力ゼロの暴言を吐きながら、頭の中で必死に最短ルートを描く。
……ロザリオの区画に戻るにしても、問題はそこまでの道筋だ。奴はまるで先回りでもしてるみたいに、進路を塞ぐように瓦礫を落としてくる。振り切りたくても、振り切れない!
鉄パイプが目の前に転がり落ちる。瞬間、ハンドルを左に切ってブレーキを軽くかけ、リアを滑らせてスリップターンした。前でミナが悲鳴を上げ、ラグは咄嗟にその腕を掴みつつ、さらに強く私の背中にしがみついた。
「なんだよお前! なんで血の猟犬に追いかけられてんだよ!」
「ぶ、ブラ? なんて!?」
「血の猟犬!!」
風切り音で半分も聞き取れず、聞き返すと耳元でラグが叫んだ。
「お前、知ってんの? あの、なんか、あの……あれ!」
「当たり前だ! 逆になんで知らないんだよ!!」
ラグは苛立ったように続けた。
「ジャッカルのイカれた殺人鬼だよ! アイツは狙った獲物は逃さないって有名で……とにかく! 目をつけられたら最後! 死ぬまで追いかけてくるんだ!!」
「何それ怖い」
迫る鉄骨を身を伏せてくぐり抜け、アクセルを捻り続ける。
「お前アイツに何したんだよ!!」
「……まぁ、ちょっと……ディスポで色々あって……」
脳裏に浮かぶのは、涎を垂らして笑っていた奴の顔。レクスの一撃を受けて「いいぞぉ!」なんて喜んでたあの顔だ。
「でも、俺じゃなくてツレが気に入られてたし、ワンチャン違うかもしれな──」
「裸身おおおおお!!」
「お前じゃん!! 完全にお前じゃん!!」
ラグが絶叫し、私の肩をガンガン叩いてくる。
「い、いや……別に名前を呼ばれた訳じゃないし。まだ確定じゃ……!」
「ほぼ名前みたいなモンだよバカ! 呼ばれてんだよ! ピンポイントで!!」
くっそ! いいツッコミするじゃないか。グゥの音も出ねぇよ。
「……よし。ラグ、出番だ。逝ってこい」
「無理無理無理無理!!」
「そんな狂戦士みたいなギアつけといて無理はないだろ。妹にかっこいいとこ見せてやれよ、お兄ちゃん」
「ふざけんな! ギアが完全に直っててもあんなんに勝てるわけないだろ!!」
やっぱダメか。正直、ちょっと期待してたけどラグが戦えないなら仕方がない。
このままロザリオ区画まで逃げ切りたかったけど、撒けそうになかった。
あんなイカれスクラップを連れてなんていけない。奴はディスポとはいえ、別のアンダーファイブが支配する区画で暴れたんだ。最悪、住所がバレたらリゼ婆にも被害が及ぶかもしれない。
お腹にしがみつくミナは、もう限界が近い。こっちも、この二人を抱えたままじゃ思い切ったハンドル操作ができない。
……覚悟、決めるか。
「……ラグ」
「なんだよ! アイツとの戦闘は無理だからな!!」
「分かってる」
片手でハンドルを押さえたまま、私は廃品のカードで作った名刺を取り出し、強引にラグのギアの隙間に差し込んだ。
「……なんだよ、これ」
「俺の名刺だ。修理屋の住所が書いてある」
奴の狙いが私なら、このまま帰る訳にはいかない。
「このまま真っ直ぐ進めば、ロザリオの区画に入れる。ここからなら、お前のギアでも安全にミナを連れて抜けられるはずだ。そして、修理屋にいる婆さんに、レクスを呼んでくれって伝えて欲しい」
リゼ婆だけは、絶対に巻き込めない。
「お前は……どうすんだよ」
ラグが心配そうな顔でこちらを見てくる。震えていても、妹の手だけは絶対に離さなかった。
……兄妹揃って、アンダーズじゃ生きづらそうだ。会ったばかりの他人を信用するわ、その上心配までするなんてな。
「……俺は修理屋だ」
ハンドルを握る手に力を込め、口角を上げる。
「ジャンクの扱いは、得意なんだよ」
「でも──!」
「時間がない! 合図をしたら妹を抱えて降りろ!」
ラグの瞳が揺れる。それでも私は容赦なく数を刻んだ。
「……3」
奴の笑い声が背後で響く。スラスターの熱風が肌を刺す。
「2」
ラグがミナを強く抱き寄せる。小さな手が兄の服を必死に掴む。
「1、いけっ!」
四肢のギアが唸り、ラグがミナを抱えたままバイクから跳んだ。瓦礫を転がりながらも必死に妹を庇う。
予想通り、イカれスクラップの赤黒い瞳は微動だにせず、ただ私だけを追いかけていた。兄妹には目もくれない。
「来いよイカれスクラップ! 修理屋のサービスは荒療治だ!!」
私は全身でハンドルを切り、アクセルを絞り込む。バイクが悲鳴を上げながら横滑りし、瓦礫と鉄屑の隙間を擦り抜ける。背後では金属が軋むような奇声と共に、奴が地を蹴って追ってきた。
──いい。これでいい。ミナとラグを引き離せる。
私は車体が軽くなったバイクのスピードをさらに上げ、街灯の残骸がちらつく薄闇の奥へ駆け抜けた。
◇ ◇ ◇
ハンドルを握るグローブの内側が汗でじっとり濡れる。革越しの感触がやけに重く、加速するたびに背後から獣じみた咆哮とスラスターの轟音が迫り、肝が冷える。
……ガソリンも、ほとんど残ってない。このままじゃ逃げ切れない。落とされるのは時間の問題だろう。
どこかで、迎え撃たなければならない。
ならば、どんな場所が最適だ? 狭い路地は避けたい。道を完全に把握している訳じゃない。入り組んだ場所に入ったら、それこそ追い詰められるだけだ。
視界の隅に流れる廃墟を見ながら、必死に頭を回す。
あれは……熱廃棄物処理の工場跡地か! 天井は抜けているようだが、パイプラインは残っていそうだ。壁もあり、通路もかろうじて形を保っている。あそこなら、仕掛けられる。
アクセルをひねり込むと同時に、背後から狂気が響いた。
「ヒャハハハハァッ! 壊すッ!! バラすッ!!」
狙うように飛来した瓦礫が車体を直撃する。衝撃でハンドルが跳ね、後輪から焼けたゴムの匂いと白い煙が立ち昇った。
「っ、くそったれぇ!!」
燃料ラインが焼け焦げ、煤混じりの煙と熱風が一気に噴き出した。制御不能の車体が横転し、私は荷重ごと宙に投げ出される。
普通なら即死コース。だが、私はとっさに工具とスクラップの詰まったバッグを体の下に滑り込ませた。
衝撃を殺しながら、転がる方向を無理やり変え、ゴミの山に身体ごと突っ込む。
全身を擦りむきながらも、致命傷は免れた。
「……死ぬとこだっ!」
砂埃の向こう、赤黒い瞳がギラつきながら近づいてくる。装甲が焼けて軋んでも、獣のような笑みは崩れない。
「ヒャハハッ……いいなぁ、裸身……まだ動くじゃねぇかぁ! もっと壊させろッ!」
「うるっさい!」
背筋に冷たいものが走る。だが、怯んでる暇はない。
「丹精込めた愛機だったのに……っ!」
奴は私を下に見ている。その証拠に、一気にその鉤爪で切り裂かず、まるで痛みと恐怖を刻む過程そのものを愉しむかのように、ゆっくりと距離を詰めてきた。
つけ込むならそこだと、私は転がったバッグを蹴り開けながら、懐から小さな円筒を取り出した。
「……弁償しろよ、くそ野郎ッ!」
スイッチを押し、EMP手榴弾を奴の足元へ投げ込む。白い閃光と衝撃波が炸裂し、イカれスクラップのギアがビクリと痙攣した。
「っ、がッ!!」
その隙に私はバッグから改造スタンガン銃を取り出し、すぐさま牽制射撃を浴びせる。青白い電撃が奴の影を弾き飛ばし、砂埃の幕を作った。
「最初っから殴り合う気なんてねぇよ!」
そう吐き捨て、私は骨組みとパイプが入り組んだ工場跡の内部へ駆け込んだ。奴を迎え討つために。




