コード006 馴染みの薬屋で
翌朝。私は自身の愛機「スーパーライドくん1号」にまたがった。
流線形のボディに無駄のない曲線と鋭いシルエットは機能美に優れ、誰が見ても「かっこいい」と思うはずだ。ディスポで厳選して拾ったジャンクを夜な夜な組み上げ、油まみれで磨き上げた甲斐もあって、走りも音もトップス製に劣らないと自負している。
……まぁ、レクスからは「なんか全体的にダセェ」と馬鹿にされたし、リゼ婆にも苦笑されたけど。
「……いいんだよ。私が気に入ってるんだから」
風除けのゴーグルをしてからセルを回す。すると滑らかに動き出す車体。乗り心地は最高。そのうえ、ハイセンス故に誰も盗まない安心感。そう、これはセキュリティまで完備した究極で完璧なマシンなんだ。
ネオンと排気ガスが渦巻く路地を抜け、露店街の喧騒と奇妙な匂いが入り交じった空間を走る。そのまま雑踏を突っ切り、私は《メディカ・マーケット》へと向かった。
◇ ◇ ◇
「いつも通り、暇してんな」
「んあ?」
ホログラムの広告を抜け、目的の店の中に入る。カウンターの奥にいたのは、馴染みの店主であるディナだ。
油染みだらけの白衣に、頭にはかけっぱなしのゴーグル。指でカウンターをトントン叩く癖のせいで、合成木板にはもはや年輪みたいな細かい傷がびっしりとあった。
「お、ヴィクじゃねぇか。珍しいな。バンドエイドの買い溜めか?」
「いや、部分麻酔だ。なるべく効き目が強いのを三本。それと救急セットにいつもの補助材を2つずつ」
「へぇ、とうとう本格的に薬屋らしい買い物をしに来やがった。……で? お前のことだ、まさかツケじゃねぇよな?」
私は無言で腕に装着している端末に触れ、薬代の見積もりを送信する。ピッ、と電子音が鳴り、ディナの口角が吊り上がった。
「おっと、ちゃんと持ってやがんな。意外だなぁ、アンダーズの修理屋にしちゃ律儀なもんだ」
「他と一緒にすんな。クレジットもねぇのに店に来るかよ」
ディナはケラケラ笑いながら棚に手を伸ばし、薬瓶を取り出そうとした時、扉が軋んだ音を立てた。
振り返ると、まだ十歳にも満たないくらいの女の子がいた。服も体も何日も洗っていないのか薄汚れていて、手には古い端末を握りしめている。
「……あの……薬、ください」
蚊の鳴くような声。ディナは女の子を一瞥すると、冷ややかな目で見た。
「薬だぁ? ……クレジットはあるんだろうな?」
女の子の肩がびくりと震える。古びた端末を必死に操作しながら、値段を見ては顔を歪め、もう一度打ち込んでは首を振る。
そして、女の子の手が棚の薬瓶に伸びたかと思うと、すぐに引っ込んだ。逡巡が丸見えだったが、やがて意を決したように震える指が薬瓶を掴む。
「おい──ッ!」
ディナの怒声が飛ぶより早く、女の子は扉へ駆け出した。けれど、細い足はすぐに絡まり、入口の前で派手に転ぶ。薬瓶と一緒に端末も床を滑り、カランと乾いた音を立てた。
画面がこちらに向いて止まる。映っていた残高は、小銭にもならない数字だった。
「てめぇ泥棒かッ!」
ディナはカウンター下から古びた改造スタンガン銃を引き抜いた。ジャンク仕込みの出力強化品だ。下手すれば死ぬ。
私は思わず舌打ちし、カウンターを回り込んでディナの腕を押さえた。
「待て」
「あぁ!?」
ディナが苛立った目で私を睨む。当たり前だ。泥棒を庇うような真似をしてるんだ。この銃口が私の方に向いたとしても、文句は言えない。
けれど、アンダーズにしては妙に盗み慣れていない姿に違和感を覚えた。
さらに、女の子の体は薄汚れているのに、肌は傷ひとつなく綺麗だ。アンダーズで生きてきたなら、殴られた痕や擦り傷ぐらいは必ず残る。
そして、決定的だったのは皮膚下で微かな同期光が脈打つ、四肢に埋め込まれたアークギア。
見た目は生身と変わらず、素人なら気づきもしない。けれど、修理屋の目なら一目でわかる。トップス専用の高級品。こんな代物を仕込んでいる時点で、この子がただのアンダーズ育ちじゃないのは明らかだ。
……恐らく、落ちてきたばかりか、相当な大物に庇護されてきたかのどちらかである可能性が高い。
後者なら、下手に手を出せば報復の恐れがある。馴染みの薬屋がなくなれば、こっちまで大損だ。そもそも──
「ここ、ロザリオの区画だぞ。殺しはまずい」
そう。ここはアンダーズでも少し毛色が違う。ロザリオが仕切るこの区画は、クレジットさえ払えれば表通りを歩く子供でさえ比較的安全に暮らせる、秩序あるスラムだ。
露店は明るい看板を掲げ、通りには音楽や笑い声が溢れている。その裏で、口論や小競り合いは日常茶飯事。
だが、度を過ぎた盗みや暴力──特に殺しは一発で命取りになる。払う金は高くても、その分だけ住人は人間らしい顔を保っていられる。
だからこそ、他の区画からは「上層気取り」と嫌われている。
……もっとも、区画の端にあるディスポだけは例外だ。あの一帯だけは、争いも流血も見て見ぬふりをされる。
「チッ……じゃあどうするってんだ」
私は子供に近づいてしゃがみ込み、目線を合わせた。
「お前、なんで薬が必要なんだ?」
子供は唇を噛み、震えながらも声を絞り出した。
「……お兄ちゃんのギアが壊れて……ずっと、辛そうで……熱が下がらなくて……だから、薬で……」
お兄ちゃん、ね……。
「なるほどな」
私は立ち上がり、ディナの方を向いた。
「応急セットと補助材だけくれ。麻酔はまた買いに来る」
ギアの不調なら、いくら薬を飲んでも効果はない。解熱剤を買ったとしても無意味だ。
「お前、名前は?」
女の子に視線を戻すと、戸惑いながらも「……ミナ」と小さく答える。
「そうか。じゃあミナ、お兄ちゃんのとこまで案内してくれ」
私の言葉に、不思議そうに首を傾げるミナ。
「俺は修理屋だ。修理屋のヴィク。俺がお前のお兄ちゃんを直してやるよ」
ミナの瞳がぱっと輝いた。疑うことを知らないその真っ直ぐさに、思わず言葉を詰まらせる。
「本当に!? 本当にお兄ちゃんを助けてくれるの!?」
「え、あ……おう……」
そんな私達のやり取りを黙ってみていたディナが、深くため息を吐いた。
「……お前、いつから慈善屋に鞍替えしたんだ?」
「バカ言うな。ちゃんと現地で貰うモンは貰うに決まってんだろ」
ミナにいいよな? と確認を取ると、勢いよく頷き、急かすように服の裾を引っ張ってくる。
「と、いうわけだ」
「ったく、いつか痛い目みても知らねぇぞ」
私がカウンターを指で叩いて促すと、ディナは悪態をつきながらも商品を並べた。
端末からクレジットを送信し、品をひとつずつバッグへ収めていく。
「……補助材、多くないか?」
「気のせいだろ。ほら、買ったなら出てけ。商売の邪魔だ」
ディナは犬でも追い払うように手を振った。
私は素直じゃないなと肩をすくめ、必要以上に積まれた補助材を最後にしまい込み、また買いに来るとだけ告げて店を出た。
店を出ると、ミナが縋るような眼差しでこちらを見上げてきた。手に握りしめた端末は、もう電源すら点かないほど古びている。
「……乗れ。置いていかれたくなきゃな」
私はシートの後ろを軽く叩いた。ミナは待ちきれないように頷き、小さな体をずらして無理やりスペースを見つけると、ぎこちない動作でバイクにまたがった。細い腕が、恐る恐る私の腰へと回される。
「しっかり掴まってろ。落ちても責任は取らないからな」
セルを回すと、スーパーライドくん1号が低く唸り、路地裏の影を蹴った。
ネオン街の喧騒が遠ざかり、煌びやかな光が背後に沈んでいく。やがて街灯の届かない裏道に入り、積み上げられた廃材と錆びついたフェンスが視界を塞いだ。
──この先は区画の境界。誰も管理せず、あえて放置されたバリケード。
裂け目を抜けた瞬間、空気が変わる。鼻を突く腐臭。焦げた鉄と油の混じった匂い。足を踏み入れる者のない瓦礫の道。
……この子、棄却区住みか。ますますらしくないな。
金の流れも掟もない。残っているのは飢えた連中と捨てられた人間、そして染みついた死臭だけだ。ディスポなんて比べものにならないほど危険な場所だ。
正直、私1人じゃきつい場所だ。区画を移動するために棄却区を抜けたことは何度もあるが、それもバイクで一気に駆け抜けるか、レクスに護衛を頼んでいたからだ。本来ならここで引き返すべきだ。だが……。
震えながらも背中にしがみつくミナの姿が、過去の自分と重なった。アンダーズに落ちてきたばかりの自分と──
……別に、同情なんかしてない。ここじゃ、そんなもの命取りになる。ただ、この子の保護者が大物なら、大口の顧客に化ける可能性がある。ただの投資だ。用件が終わればすぐ帰る。それだけの話だ。
「……こっち、だよ」
背中越しに少女の小さな声が震えた。私は手持ちの武器を確認してからスロットルをひねり、フェンスの影を抜けていった。




