コード035 鋼殻の狼との邂逅
視界の端で灰赤の何かが動いたかと思えば、いつの間にか誰かが倒れていて、また別の誰かの体から人工繊維の筋肉がはみ出していた。
「ヒャハハハハハハッ!!」
ゼヴィの笑い声と金属がきしむ音が重なる。一人、また一人とリングの上にスクラップが量産されていった。
「は? 人の挙動じゃねぇだろあれ」
「反射応答が速すぎる……まさか神経ライン直結か? イカれてる」
「つぅか出力噛ませすぎだろ。なのに反動ゼロ? 誰が組んだギアだよ」
周囲がどんなに恐れようが、ゼヴィはただ壊すことだけに夢中だった。金属と肉片を玩具みたいに弄びながら、楽しそうに笑っている。
……ホント、とんでもない猟犬だよ。でも、今の私にとっては最高の広告塔だ。リングが沸けば沸くほど、視線も私の方へ流れる。
「おい。あの男、どこの上位戦闘員だ?」
「いや、マークがねぇ。アイツ、ウルフじゃねぇぞ」
「ってことは売り込みか。ギア屋も来てんのか?」
集まる視線に砂利を蹴る音。気づけば、スクラップの箱を椅子代わりに座っていた私の周囲に、人垣ができていた。
期待通りの展開だとマスクの下で笑う。
これで、探す必要はなくなった。獲物の方が勝手に寄ってくる。
「坊主、お前か? あの男のギア屋は?」
坊主、ね。フードにガスマスクじゃ、そう思われて当然だ。訂正してやる義理もないし、正体を伏せられるならむしろ好都合だ。
「そうだ。でも、ギア屋なんて大層なもんじゃない。しがない修理屋だ。──それも、かなり腕のいい」
「へぇ? 面白れぇ。じゃあこれ、直してみろよ」
男が見せてきたのは、自身の肘から下の腕のギアだった。
外装は叩き傷と溶接痕だらけ。補強プレートも継ぎ接ぎで雑だ。なのに内部の細工だけは戦闘用に特化されていて、その荒っぽさがいかにもウルフらしい。
「最近、ここの反応がズレてよ。握ると時々スカる」
私はツールバッグからインターフェースケーブルを引き抜き、留め具を指で弾いてジョイントをこじ開けた。
露出した内部を覗いた瞬間、思わずため息が漏れる。
「……誰だよ、これいじったの」
「北のギア工房」
「二度と行くな。次は腕ごと持っていかれるぞ」
神経同期ラインが、出力だけ無理やり盛られている。フィードバック信号が詰まっていて、このままじゃ自壊コースだ。
私は遅延しているラインを摘まみ、端子の順序を手早く組み替える。圧を少し逃がすように結線を締め直すと、ギアの指先がピクリと痙攣した。
「握って」
男が拳を握ると、さっきまでのぎこちなさが嘘みたいに消えていた。
「……おお。なんだこれ、軽っ」
「出力はそのまま。制御だけ締めた。癖は残してあるからすぐ慣れるよ」
説明した途端、周囲の視線が露骨に変わる。
「今の、何やった?」
「外装ほとんど触ってねぇのに……」
「坊主! こっちも見てくれ! 膝のサーボが空回りする!!」
分かりやすい変わりように、撒き餌の効果は絶大だなと思いながら指を一本立てた。
「別にいいけど、一本百クレジット。前払いだ」
「百!?」とどよめきが走る。本格的な修理ではなく、軽いメンテならアンダーズでは二十ぐらいが相場だ。自分でも吹っ掛けたなとは思う。だが、それでも誰も離れなかった。
当然だ。ギアの寿命は命の残量そのもの。この街じゃ、腕の立つ技術者はクレジットより重い。ましてや、ウルフの縄張りなら尚更だ。
「文句あるなら他当たれ。安物がいいならパッチ当て屋にでも並んでな」
そう告げると、むしろ人は増えた。ギアの腕、脚、腰のサーボ。次々と差し出される部位に、こちらの手は休む暇がない。
私はしれっと料金を百十、百二十と少しずつ上げながら、要点だけを素早く整えていった。
接続を確認し、同期のズレを調整し、配線を一本だけ締め直す。過剰な修理は不要。壊れずに戻れれば十分だ。
リングではゼヴィが暴れ、血と鉄屑を舞わせて客を沸かせている。私はその熱を背中で感じながら、淡々と修理と取引を繰り返してクレジットを吸い上げていた。
想定以上に繁盛している。いい流れだ。
これで、レプリカ持ちが現れれば儲けものだが……今日は成果がなくても問題はない。本命は売名だ。
この区画にアクシオンギアに繋がる何かがあるのは分かっているんだ。
名が立てばウルフ相手でも取引は通るし、仕事も寄ってくる。つまり、いずれは単独でも動けるということ。だから焦る必要はないと、一人ほくそ笑んだ。
ウォレットチップは着実に厚みを増し、懐がずっしりと重い。確認すると約二千クレジットはあり、アンダーズの平均月収をとうに超えていた。
おいおい、バカ儲けじゃないか! 懐が熱すぎて火傷しそうだな!!
そう上機嫌になっていると、約束の一時間が迫っていることに気づく。
もう、そんな時間か……せっかく乗ってきたとこだったけど、仕方ない。
個人的な目的は果たせたし、十分稼げた。アクシオンギアはレクスがいない時にじっくり探そう。
そう考えながらツールをしまい、店じまいに取り掛かろうとしたその時──私が腰掛けていたスクラップの箱が、ぐっと沈んだ。
すぐ隣に誰かが腰を下ろしたらしい。同時に、ガラリと変わる空気。
さっきまで肩越しに押し寄せていた連中が、一歩、二歩と距離を取る。背中にあった体温が潮のようにすっと引いていく。
そんな、不可解な静まりに眉を寄せながら顔を向けると、隣には巨躯の男がいた。
視線の先はリング。その肩の装甲には噛み付く狼の頭──アイアンウルフのマークだ。
ウルフの構成員なら全員がつけているマーク。けど、ギアの造りが違う。
スラム製の雑なコンバット風ギアじゃない。体の半分以上をトップス規格のコンバットギアで固めている。
……総額で数百万クレジットってところか。存在感といい佇まいといい、ただの構成員じゃない。幹部クラスか?
「坊主」
男の声は、見た目通りの野太い声をしていた。
「あの暴れ回ってる奴」
顎がリングを示す。ちょうどゼヴィが誰かの胸骨を踏み抜いたところだった。
「整備したのはテメェか?」
「……そうだけど?」
私の短い返答に、男は興味深そうに目を細めた。
「いい腕だ」
褒め言葉のはずなのに背筋に冷えが走る。リングの熱気とは別世界に、男の周囲だけ温度が低かった。
「俺の専属にならねぇか?」
「……は?」
唐突すぎて、思わず素で返した。
「欲しい素材は回す。回収品も技術も好きに触れりゃいい。報酬は月五万。腕を見せりゃ青天井だ……どうだ、悪くない話だろ?」
急な展開に頭が置いてかれそうになるが、必死に切り戻す。
どうやら男は私をウルフの技術者として迎えたいようだ。
条件だけ聞けば夢みたいな話だった。アンダーズの修理屋なら頭を下げてでも欲しがる待遇だろう。けれど──。
「悪いが……」
私は喉元を指先で叩いた。
「もう、首輪がついてる」
私は、アンダーファイブに下る気なんてさらさらない。下手に拘束されたら動きが制限されるし、アクシオンギア探しには致命的だ。
そもそもこんな好条件、絶対に裏があるに決まってる。関わらない方が吉だ。
「……首輪持ち、ね」
適当に誤魔化して断ると、男は喉の奥でくつ、と笑った。
「その腕なら当然っちゃあ当然か」
失礼な断り方をしたにもかかわらず、男は怒る気配もない。むしろ楽しんでいるような声音だった。
「じゃあ、専属はやめだ。別口の契約にしよう」
「別口?」
「俺のジャックになれ」
「…………は?」
今度こそ耳がおかしくなったのかと思った。
周囲の会話がスッと消え、リングの歓声だけがやたらと耳に刺さる。
──ジャック。この街で、恋人関係における受け入れる側を指す下品なスラングだ。
「飼い主と噛み合うのは面倒だが……」
男は視線だけこちらに向ける。
「ジャックなら首輪は関係ねぇ。だろ、坊主」
「素顔も分からねぇ相手を誘うとか、見境なしかよ」
「ハッ、俺は見てくれなんぞに興味はねぇ」
男は私の顎を指で掴み、強制的に目を合わせてくる。
「性別も美醜も関係ねぇ。俺の好みは腕がいい奴だ。技術のな」
「で、この俺にストックの一つになれってか? 笑わせんな」
「その小せぇ身体で毎晩もつってんなら、一途に使ってやるよ」
平然と何言ってんだコイツ。
私はマスクの下で眉をひそめ、顎を掴む手を払い落とす。
「断る。腕は売っても、穴は売らない主義なんだ。そういう話なら他を当たってくれ」
バッサリと切っても、男は「そうか」とだけ呟き、肩を揺らしている。気分を害した様子はない。むしろ上機嫌に見える。
……本当にウルフの幹部なら、コイツを足掛かりにアクシオンギアへ近づけるかもしれない。だが、深入りすれば面倒な未来しかないのは目に見えている。
距離は保ちつつ、繋ぎだけは残すべきだ。
「……ああ、でも」
逃げ道を確保しながら近づくにはどうすればいいか。それを考えながら口を開く。
「逆なら考えてやってもいい」
「逆?」
「俺がプラグなら、一考してやる」
ざわり、と周囲の空気が揺れた。
プラグ。恋人関係で入れる側を指す下品なスラングだ。
馬鹿なことを言ってる自覚はある。けど、ここで引けば飲まれる。だからこそ強気に出る。
「繋ぐのも抜くのもこっちの都合。主導権は俺だ。……ギアらしくな」
一拍、男の目がわずかに見開かれた。
「ハッ……」
次の瞬間、腹の底から笑いが爆ぜた。
「ハハハハハハハッ!!」
リングの歓声とは別の低い笑い声がスクラップバザールの壁を震わせる。
「この俺をジャック扱いか! いいぞ坊主、気に入った!」
肩を叩かれた衝撃で、スクラップの箱がギシリと軋む。
「坊主、名前は?」
「ヴィクだ」
「ヴィク、ね」
男はその名を噛むように繰り返し、ゆっくりと立ち上がった。すると、周囲のウルフたちがぞろぞろと道を空ける。
さっきまで押し寄せていた連中は一様に目を逸らし、見えない境界の外へと下がっていった。
……え、何この対応。
呆然としたまま見守っていると、一番近くにいた男が小声で囁いた。
「お、お前……よくあんな口きけるな……」
「え?」
「鋼殻の狼相手に言い返せる奴なんていねぇ。普通は震えて声すら出ねぇよ……」
「こうかくの……?」
その異名に、嫌な予感がした。
「お前、本気で分からなかったのか? あの人、ジャグナス・ロークだぞ」
じゃ、ジャグナス・ローク!? ジャグナス・ロークだって!? それって、アイアンウルフのボスの名前じゃあ……。
理解した途端、どんどん血の気が引いていった。
私、よりにもよってこの区画のトップにジャックになれとか言っちゃったの!? どうしよう!? やらかした! とんでもないやらかしだ!!
「……肩書きに興味はない。客は客だ」
どうにか平常心を装って言葉を絞り出すと、男は何かを言いかけては口をつぐんだ。
なんだよ。言いたいことがあんなら言えよ! 逆に怖いから言ってくれ!!
そんな何とも言えない恐怖を抱きつつも、気を取り直してリングの方を見る。すると、鋼殻の狼──ジャグナスは、ちょうどリングに足を踏み入れようとしていた。
「おい、そこの若いの」
ジャグナスの声に反応したゼヴィが、対峙するように向かい合う。
「そんな腰抜けばっか相手してねぇで、俺と遊ばねぇか?」
「なんだ、てめぇ……壊しがいがありそうだなぁ! てめぇ!」
「テメェも、そこそこやれそうだな」
ジャグナスは肩を回し、拳を握った。ギアの関節が低く唸る。
「俺を楽しませてみせろ。若造」
次の瞬間、ゼヴィの姿が消えた。ほぼ同時に、ジャグナスの影も揺らぐ。
激しい衝突音と火花が散り、視線が追いついた時には、ゼヴィの身体がリングの端まで吹き飛んでいた。
「ゼヴィ!」
思わず立ち上がる。
ゼヴィは鉄骨に叩きつけられ、床を滑りながら止まった。右腕の装甲が大きく抉れ、内部の赤黒いギアがむき出しになっている。
それでも、ゼヴィは笑って起き上がった。
「ヒャハッ……いいなぁ!」
猟犬特有の、獲物を見つけた時の笑い方。対するジャグナスも、凶悪な顔で舌なめずりをしている。
「いいギアだ……ますます欲しくなる」
二人の距離が、また詰まる。
ゼヴィは高速で懐に潜り込み、ジャグナスの装甲に拳をつき出す。ジャグナスは半歩だけ捻ってそれを躱し、逆にゼヴィの背骨を狙って膝を叩き込んだ。
一発でもまともに入れば、ゼヴィは上下に分かれるだろう。それでもゼヴィはギリギリでそれをいなし、笑いながら噛みつき返す。
「もっとだ! もっと聞かせろ! てめぇの音おおおお!」
「ハハッ! まだ噛みつくか! いい根性だ! 面白ぇ!」
観客席が沸騰する。ざわめきが膨れ、熱気がリングへ押し寄せた。
「やべぇ、ドンが楽しそうにしてる……」
「殴り合ってんじゃねぇよ、遊んでやがる……」
「どっちが壊れても、こりゃ賭けが跳ね上がるな……!」
私は手の中のEMP手榴弾を指先で転がしながら、二人の動きを目で追った。
ゼヴィのギアには微かなノイズが上がり始めている。このまま続けば限界が来てしまう。
善戦はしている。だが、実力差は明らかだ。このままではゼヴィは死ぬ。
まだ、アイツに死なれるわけにはいかないと、EMP手榴弾を構えた。
「ゼヴィ!! 伏せろ!!」
叫ぶと同時に自分でも走り出していた。EMP手榴弾をジャグナスの足元へ叩きつけ、リングの柵を蹴り越える。
青白い閃光が弾け、ジャグナスのギアが一瞬だけ止まる。ゼヴィは声に反応したのか床へ滑り込んだ。その頭上をジャグナスの拳が掠める。
衝撃とノイズでリングの床が軋み、私の足元も揺れる。その刹那、首元で硬質な破裂音が聞こえ、肌をかすめて何かが弾け飛んだ。
「うわっ──」
視界の端で黒い物体が回転しながら飛んでいく。頬に冷たい空気が触れた。ガスマスクが吹っ飛んだようだ。
反射でフードを目深に被り、顔を隠す。見られたのではと内心ヒヤリとしたが、今はそれを気にしている余裕はない。
まだ余波で痺れる足で無理やり踏み込み、二人の間へ割って入った。
「……おい」
目の前で、ジャグナスが低く言った。EMP手榴弾の効果は思ったより薄かったらしい。脚はちょっと止まっただけで、もう完全に動いていた。
……手持ちでも、高威力の奴を使ったのにな。
「リングで横槍を入れる奴がいるとはな」
ジャグナスの機嫌は急降下している。やはり、区画のルールを破るのは御法度なのようだ。
「ここじゃ、一番嫌われる行為だ」
言葉を間違えれば、物理的に首が飛ぶ。
私は緊張で喉を鳴らした。
「……悪いが、店仕舞いの時間だ。うちのボスが待ってる」
喉は渇いているのに、声だけは妙に冷静だった。
「コイツのギアも、まだ試作段階なんだよ」
こんな言い訳が通じるのかと、不安を抱えながら続ける。
「続きは次回に……その方が、きっとアンタらも楽しめる」
自信満々に言い放ったが、私の言葉に会場はブーイングの嵐だった。「続けろ」「潰せ」の罵声が飛び交う中、ジャグナスだけが無言で私を見る。
やっぱりこんな言い訳ではダメかと、他に方法はないかと、この状況を乗り切るための別の手段を考えていると、ジャグナスの目がふっと斜め上を向いた。そして、何かを確認したように笑う。
「……なるほど。嘘じゃねぇようだ」
ジャグナスの纏っていた殺気が完全に消えた。突然の、あまりにもアッサリとした引き具合に拍子抜けする。
「テメェの完成品。期待してるぜ」
そう言って拳を下ろした。本当に、戦う気はないようだった。
なぜ急に引いたのかは分からないが、下手に深入りするのは避けた方がいい。気が変わらぬうちに退くべきだ。
ボスが引いたからか、リングの外側では誰も口を挟まない。ただ数十の視線だけが、ここに突き刺さる。
「ゼヴィ、帰るよ」
「……もっと壊してぇ」
「ダメだ。スクラップにされたくなきゃ言うことを聞け」
ゼヴィは残念そうに唸っているが、命令には逆らわない。
血まみれの足跡を残しながら、名残惜しそうに私の後ろをついてくる。
「ヴィク、だったな」
背後から名を呼ばれ、思わず振り返る。
ジャグナスは出口へ向かって歩いていたが、通りすがりにふと身を寄せ、呼吸が触れるほどの距離で低く囁いた。
「……便利屋に、次はねぇと伝えとけよ」
心臓が跳ねた。
「──あぁ、それと」
どうしてその事を、と聞くより早く言葉が被さる。
「プラグの話はまた今度な。嬢ちゃん」
……見られてたのかよ。
「最悪だ」
漏れた愚痴は、スクラップバザールの喧噪に溶けた。
掌にはEMPの痺れが残り、心臓だけがまだ跳ねている。
私は無意識にフードを深く引き、顔を隠すようにして去っていく巨躯の背中を見送った。




