コード033 鋼鉄の狼の住処
ローガンさんが去った後、私はすぐに机の上に置かれた写真へと手を伸ばした。けれど、その前にレクスの横手が伸びてきて、写真を隠すように懐へ仕舞い込んだ。
「レクス」
「俺への依頼だ」
「でも断ってた」
「お前が関わるのをな」
レクスは、私との言い合いを避けるように背中を向けた。
「レクっ……!」
「この話は終わりだ。ガキは歯ぁ磨いて寝ろ」
「……なんだよそれ」
あの様子なら、依頼に行きたいと食い下がっても、一蹴されて終わりだろう。
無駄に時間を浪費するくらいなら……。
「……分かったよ」
ここは引き下がった方がいい。ウルフの区画に何かあることは分かったんだ。なら、依頼として行く必要はない。個人的に調査すればいいだけだ。
「あぁ、それと……」
けれど、レクスは私の考えを見透かしたように顔だけ振り返る。
「お前は、しばらく家から出るな」
「はぁ!?」
そして続いた言葉に、思わず声が上がる。
「修理依頼はどうすんだよ!」
「ウルフの区画行く気だろ。絶対にダメだ」
「っ、そんなの私の勝手だろ! 私の仕事だ! レクスにあれこれ言われる筋合いはない!」
「お前な、俺は預かってる立場とし──」
「別に頼んでない!!」
レクスの勝手な言い分に、抑えていた何かが突き抜けた。
「そういう条件なら出ていく!」
「ヴィク!!」
「触んな!」
「ローガンはお前を囮に使う気なんだよ!」
……囮、ね。
その言葉で、薄々感じていたことが確信に変わった。
「アイツは昔からそうだ。必要なら気心知れた知人すら利用する」
やっぱり、ローガンさんは知っているんだ。
私がアクシオンギアを探していることだけじゃない。私がアクシオンギアに関わっていることも。
「今回の情報も、お前が欲しがるの知ってて投げた餌だ」
つまりこれは、嗅ぎ回っている連中に私を晒すための罠ってことだ。
「そもそも、ウルフの区画はお前には危険すぎる。頼むから今回は引いてくれ」
……一体、どこまで知られているのだろうか?
「情報なら俺が持ってきてやる。だから、お前はここで大人しくしていろ」
名前か、経歴か、目的か。それとも……このギアのことまで?
「……それがなんだってんだ」
今は考えても分からない。でも、確かな事はひとつ。
ローガンさんが知っているなら、すでに、アンダーズのどこかに私の存在を把握している奴らがいるってことだ。
「ローガンさんが善意だけで話す人じゃないことくらい、分かってる」
私を知っている奴らが今すぐ襲ってこない理由は分からない。でも、情報がないうちから考えても仕方がない。
「危険上等だよ。安全圏にいたまま、アクシオンギアが見つかるなんて思ってない」
アクシオンギアを壊すと決めた時点で、狙われる覚悟はしていた。
「むしろ、私を狙う敵が炙り出せるなら万々歳だ。喜んで囮でもなんでもやってやるよ」
私には選べる手段が少ない。動くことで勝手に情報が降ってくるなら、願ってもない話だ。
そもそも、アンダーズにオリジナルがあるとも限らないんだ。両親はトップスの人間だった。ならば、トップスにある可能性だって十分にある。
だったら、まずは引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、根こそぎ情報を奪う。もし何もなければ、その時は上に上がればいい。
ミドルズでもトップスでも。上に行けば、私がどれだけ暴れようと、アンダーズの連中は簡単には触れられなくなる。……まさに一石二鳥だ。
時間なんていくらあっても足りない。動くなら、迅速に、確実に。ついでに上に行くためのクレジットも稼ぐんだ。
「ゼヴィ」
私はゼヴィへ視線を送ると、ゼヴィは無言で頷き、整備部屋へ入った。そのまま荷物をまとめ始める。
私も続いて入り、バッグに必要なものを詰めていると、レクスが勢いよく部屋へ飛び込んできた。
「待て待て待て! ヴィク、とりあえず落ち着けって!」
「うるさい!! レクスには関係ない!!」
「あー! もう……!!」
レクスは髪をぐしゃぐしゃとかき乱し、観念したように息を吐いた。
「……悪かった。俺の負けだ。降参」
そう言って、逃げ道を塞ぐように肩を掴み、目線を合わせてくる。
「依頼にはついてきていい。ギアについて調べたいなら調べればいい。けどな、俺の目の届く範囲にいろ。いいな?」
「…………」
「返事」
「……わかった」
渋々答えると、レクスはようやく少しだけ肩の力を抜いた。
「明日の朝出る。今日は動くな。……絶対、勝手に先走るなよ」
念を押すように頭に左手を置かれ、私はまとめ終えたバッグをそっと握りしめた。
レクスの手がゆっくりと肩から離れる。……そこに残った温度だけは、しばらく消えなかった。
◇ ◇ ◇
あまり眠れないまま朝になった。空気は重たいままだ。
レクスはいつものように装備やギアを確認しているけど、その音が妙に静かだった。いつもならもっと雑に扱っているのに、今日はやけに丁寧だ。
私も平然を装いながらバッグの中身を確認する。
改造スタンガン銃、携帯ツール、EMP手榴弾、応急パッチ……よし。忘れ物はないな。
「ヴィク、俺は? 俺は?」
ゼヴィだけは相変わらずで、自分のギアを見せつけるように両腕をこちらへ差し出してくる。
「……そこに座れ」
ため息をつきながら顎で示すと、ゼヴィは嬉しそうに椅子へ座った。
……この空気で笑っていられるの、コイツくらいだろ。
そのまま、私はいつも通りにゼヴィのギアを調整した。
動作も、信号も問題ない。神経同期もズレてない。
「行くぞ」
タイミングを見計らったように、レクスが短く告げた。そのまま背を向け、扉を開けて外に出ていく。
私はバッグのストラップを握りしめ、小さく息を吐いてから後に続いた。
棄却区を抜けて区画に入ると、空気が変わった。
鉄臭さと油の匂いが濃くなり、路肩には溶接したまま放置されたギアの死骸。建物の壁には、噛み付く狼のマークがスプレーで荒々しく刻まれている。
通りを歩く奴らも他とは違う。目に入る全員が当然のようにコンバットギアを装備していた。腕や脚に溶接跡を残したまま、あえてむき出しで見せつけるように歩いている。
武器も同じだ。仕舞う気なんてさらさらない。むしろ「見るなら見ろ」と言わんばかりに腰から下げ、歩くたびに金属音を響かせていた。
ここでは、力は隠すものじゃない。誇示するものだ。弱者は道を譲る側。踏まれても文句は言えない。
私たちが歩くと、周囲の視線がこちらへ流れた。特に裸身の私に向けられる視線は、刺すように冷たい。
……今までは避けてきた区画だったが、もう逃げていられない。
腹を括って、レクスから渡された写真を取り出す。そして、近くでギアを調整していた男に見せた。
「この男を探してる。見たことないか?」
男は写真を一瞥し、すぐに私じゃなくレクスを見た。
「ガキを使って嗅ぎ回るのが今のやり方か?」
レクスが肩をひとつ鳴らす。それだけで男は黙った。「知らない」と呟きながら視線を逸らし、作業に戻る。
……笑えるくらいあからさまだな。私じゃ話す価値もないってわけだ。
それでも気持ちを切り替え、次の相手に声をかけた。
腕にスチール鋲を打ち込み、剥き出しのギアを誇示するように歩く女だ。腰のホルスターには大型のハンドガン。銃身には乾いた血がこびりついている。
話しかける相手としては最悪だ。けど、選り好みしている余裕はない。
「この男、どこかで見なかった?」
女は写真にだけ視線を落とす。そのあとわずかに顎を動かし、私ではなく、後ろにいるレクスとゼヴィの方を見る。
「知らねぇな」
吐き捨てるような声だった。けど、怒っているわけじゃない。自分より下を扱う時の声だ。同時に、女の指がホルスターに触れる。
カチ、という金具の小さな音。安全装置が外された音だ。
身の程を弁えろという警告だ。……正しさなんて関係ない。ここでは死んだ奴が悪い。それがこの区画のルール。
「……そう」
返す声が自分でも驚くほど小さかった。喉が乾いて、舌がうまく動かない。
その瞬間、レクスが何も言わず私の肘を引いた。引くというより、射線から押し出すための動き。
歩幅まで合わせられる。まるで、迷子になった子供でも扱うみたいに。
「……だから言ったろうが」
レクスは呆れたように言う。責めているというより、最初から結果を知っていた人間の声だった。
「うるさい」
反射的に言葉が出た。悔しさなのか、意地なのか、自分でも分からない。
ただ、自分の無力さが突きつけられたようで、やるせなかった。
それからしばらく、何人にも声をかけたが収穫はない。返ってくるのは無視か、脅しか、嘲笑だけ。
今度こそはと周囲を見渡し、露店でギア油を指に伸ばしながら暇を潰していた男が目に入った。
職人でも傭兵でもない。ただの通りの人間。けれど、腰のホルスターには当然のように銃が差さっている。
「この男を探してる。見たことは?」
男は写真を見た後に私の顔を見て、口元を歪ませた。
「……情報が欲しいなら、分かってるよな?」
笑っている。けれど、笑っていない。まるで、棚に並んだ商品を値踏みするような目だった。
「……クレジットならある」
「嬢ちゃんが払えるとは思えないねぇ……けど」
男はゆっくりと、わざとらしく私を上から下まで舐め回すように見た。
「その面なら別だ。裸身の嬢ちゃんが手っ取り早く稼げる場所なら知ってる。ちょうど在庫も切れそうだったしな。そこなら──がっ!」
言い終わる前に、銃口が男の口の中を塞いだ。
「……口には気ぃつけろ。今日の俺は、冗談が通じる気分じゃねぇ」
やったのはレクスだった。
銃口は押し込まれたまま、引き金には最初から指が掛かっている。
「ひっ……! ひらない! ひらない!!」
男は情けない声を漏らしながら両手を上げた。
レクスは冷めた目のまま銃を離し、男は尻を引きずるように後退りする。
「壊すのか! コイツ、壊していいのか!?」
「ゼヴィ、やめろ」
ゼヴィが嬉々として飛びかかろうとしたので、袖を掴んで制止する。すると、名残惜しそうに男が逃げていく姿を眺めていた。
……あの男がどうなろうと知ったことじゃないが、ここで無計画に暴れたら敵は一人じゃ済まない。
まだ聞き込みに時間がかかりそうだなと諦めにも似た息が漏れた時、近くの露店の奥で古いギアの腱に油を刺していた老人が、ぽつりと声を落とした。
「……ソイツは、回収屋か?」
驚いて老人の方を向くと、老人は顔を上げないまま続ける。
「ウルフの回収屋は、落とす場所が決まってる。情報も、脅しも、腕も、全部そこで取引される」
「……それは、どこ?」
老人は、くぐもった息とともに顎で北側の路地を示す。
「スクラップバザールだ。……まあ、運が良けりゃ、生きたまま着けるだろうよ」
その声には脅しの色がなかった。ただ、そこにある現実を淡々と告げる声だった。
「……どうして、教えてくれたんだ?」
すんなりと教えてくれた老人に、思わず疑問が飛び出る。
すると老人は、初めてこちらを見た。その目に情なんて欠片もない。
「決まってんだろ。──家の前で死体転がされんのは、御免だからだ」
老人はそれ以上言わず、また油差しに視線を戻した。金属が擦れる微かな音だけが、周囲のざわめきから浮いて聞こえる。
私は写真をしまい、短く礼を落とした。
レクスがゆっくり歩き出し、私とゼヴィはその背中を追う。
歩幅を合わせるつもりはないのに、自然とそうなっていた。まるで、この区画の空気に飲まれまいと、三人で壁を作るみたいに。
背中に刺さる視線の数だけ、息が重くなる。空気は硬く、冷たく、喉に金属の味が残った。




