コード030 ツケと猟犬とスパナと
「いいか? ゼヴィ。この匂いを覚えるんだ」
便利屋の一室。私は自分の髪をかき上げ、頭部をゼヴィの顔に近づける。
「覚えたか? どんな匂いだ?」
「うまそうだ! うまそうな匂いがする!」
「よしよし。それじゃあこの匂いがするとこを探して──って! ひっつくな! 違う! 私じゃない!!」
「お嬢さん。絵面絵面」
「なんだよ!!」
私が真剣に、ゼヴィにアクシオンギアの匂いを覚えさせようとしてると、後ろから呆れたような声が飛んできた。
視線をやると、ロープで縛られて転がっているレクスが半眼でこっちを見ている。
「お前な、一応は年頃の男女だろ? そんな密着してんの見せられたら気まずいんだけど」
「うるさい! 元はと言えば、こうなったのはお前のせいだろ!」
私は頭の匂いを執拗に嗅いでくる猟犬を押しのけながら、レクスを指差した。
「お前が……お前がバカみたいな事で散財しなければ!」
こんな屈辱的な方法を取らずにすんだのに!!
◆ ◆ ◆
ことの発端は、ほんの数時間前に遡る。
猟犬も完全に目を覚まし、私の言うことも危なげながらも聞くようになった。これで、ようやくアクシオンギアを探せると、本格的に動こうと思ったのだ。
けれど、私はまだ外に出られない。
白衣の男がばら撒いた探知機のせいで、いつ私の頭の中のギアを狙った連中が襲ってくるか分からないからだ。
一応、その探知機の性能は把握している。レクスが、私が以前に渡していた探知機を処分せずに持っていてくれたおかげで解析することができたから。
その結果、正確な探知範囲は半径およそ一キロだと分かったが、範囲外においても、三〜五キロ圏内なら大雑把な位置と方向を感知できるようで、同じ区画にいれば存在がバレるには十分だった。
だから、探知信号をジャミングできる装置を完成させるまでは下手に外へ出るわけにはいかず、便利屋に篭らせてもらっているのが現状だった。
幸い、ラッドスパンは空気中に鉄粉と排気ノイズが充満しており、電波の通りも悪い。探知機の感度が鈍るおかげで、ここはほとんど「天然のジャミング地帯」みたいなものだった。
この煙と鉄くずに囲まれたこの場所が、今の私にとっては一番安全な隠れ蓑となっている。
とはいえ、ただ待っているわけにもいかない。動けないならせめて、ニックさんを通じてナイトコブラの情報屋を紹介してもらい、アクシオンギアのレプリカを扱う流通経路の情報を買おうと考えた。
レプリカはオリジナルがなければ作れないから、その流れを追えば、いずれ本物に辿り着けるはずだと踏んだのだ。
でも、情報を買うにはクレジットがいる。そのため、資金の管理を任せているレクスに、クレジットの残高を確認しようと声をかけた。
「レクス、ちょっといいか?」
「んあ?」
日用品や食料の買い出しも、全部レクスがやってくれている。それで、住まわせてもらっている家賃代もかねて、ウォレットチップごと彼に預けてあるのだ。当然、今の残高を知っているのもレクスだけだ。
「私が預けてたクレジット、今どのくらい残ってる?」
「……ど、どうしたんだよ急に」
しかし、なぜか私の問いに焦り出したレクスに、片眉をひそめる。
「ゼヴィもだいぶ安定してきたし、そろそろオリジナルを探そうと思って。ニックさんに情報屋を紹介してもらいたくてさ」
「へ、へぇー。いやぁ、でもぉ……まだゼヴィも暴走する時あるしぃ、そんなに急がなくてもいいんじゃねぇのぉ?」
大量の冷や汗をかきながら視線を泳がせるレクス。
「……レクス?」
なんだか嫌な予感がした私は、レクスの名前を強めに呼んだ。すると、レクスは大袈裟に肩を揺らしながら立ち上がり、必死に話題を逸らそうとする。
「ほら! まだジャミング装置もできてねぇんだろ? だったら無理して探さなくても──」
その時、レクスの懐から一枚のカードがひらりと落ちた。
床に小さな音が響く。私は無言でそれを拾い上げた。
艶のある紙質。角には金のラメの装飾。中央には、ピンク色のルージュで書かれたような文字が踊っていた。
「あっ! ちょっ、バカ! それはっ!」
「ナイトラウンジ《エンジェルハート》。ご新規様割引実施中」
……一瞬、時が止まった。
レクスの顔から血の気が引く音が聞こえた気がする。私は黙ってカードを裏返した。
そこには、淡いキスマークがひとつ。そのすぐ下に丸みのある文字でこう書かれていた。
──またきてね♡ シンディより。
「レクス。これは、なんだ?」
「いや、その、あのっ……違うんだって!! 誤解だ! 本当に誤解だ!!」
「誤解?」
「依頼人がさ! そ、そう! お礼にくれたんだよ! チップの代わりに! な? 偶然!」
「……へぇ? 依頼人が、ねぇ?」
視線を上げる。レクスは必死に笑顔を作ろうとしていたが、頬の筋肉が完全に引きつっていた。
「あっ! いっけね! 依頼があったんだ! ちょっと俺出かけて──」
「ゼヴィ」
逃すわけねぇだろ。
「そのスクラップを捕まえろ」
「ヒャッハァ!」
「おい! 猟犬は卑怯だイダダダダダダダ! ヴィクさん! ストップ! 一旦ストップで!! ああ!」
ゼヴィに押さえつけられたレクスの懐を問答無用で漁る。すると出てくるわ出てくるわ……ピンクの店の名刺に違法カジノのカード。挙げ句の果てにツケの領収書までこんもりだ。
嘘だろと思いつつも、レクスの財布であるデバイスをぶんどる。そのまま残高を確かめると……まさかの0。何度見返しても0である。
「ヴィ、ヴィクちゃぁん。話だけでも聞いて欲しいなぁ、なぁんて……これにはホント、本当にふかぁい訳があってさぁ……一旦落ち着いて話そうぜ? な?」
「……遺言はそれで良いのか?」
「へ?」
「ゼヴィ」
あっけに取られるレクスを、冷めた目で見下ろす。
「やれ」
「ヒャハハハハハ! ぶっこわあああす!!」
「ぎゃああああああああああ!!」
その日、ラッドスパンで野太い悲鳴が響いた。
◆ ◆ ◆
そうして冒頭に至るわけである。
私は、床に転がってボロ雑巾みたいになっているレクスに向かって盛大にため息をついた。
「私もさ、お世話になってる身だし、ここはレクスの家だ。だから色々入り用になることもあるし、お前を信頼してクレジットを預けてたんだ」
「はい」
「私だって鬼じゃない。レクスにも息抜きは必要だし、酒とか娯楽に使ってくれても構わないと思ってた。それも込みで、全部任せてたんだ」
「はい。その節は感謝しております」
「レクスも男だし、……そういう店に行ったとしても、口を出したりしない。そもそも、お前がどこぞの女と乳くり合おうが興味ねぇよ。でもな──」
私はスパナを握りしめ、レクスに近づく。
「生活できなくなるまでクレジットを使い込むのは話が違うだろ! この脳みそスクラップ野郎が!!」
「はいっ! おっしゃる通りですっ!! すんませんでしたあ!!」
レクスの顔面スレスレにスパナを振り下ろすと、レクスは青ざめた顔で謝罪した。
その後も情けない声で「ヴィクちゃぁん」とか「もうしないから許してくれよぉ」とか宣うレクスを見ていると、本気で頭をカチ割りたくなってしまうため、とりあえず後ろを向いて視界から消した。
ちくしょう……たった十日ぐらいで私が苦労して貯めた6万クレジットを……前世で言うなら600万円相当の大金を使い切るなんて思いもしなかった!
なんで! コイツは! こんなにもクレジット使いが……っ!! いや、落ち着くんだ、私。コイツが金銭管理のできないロクデナシってのは分かっていた事だろ。
修理屋の時も、膨大なツケに悩まされていたのに……それなのに、全てのクレジットを任せてしまった私の判断が間違っていたんだ。
最近は色々あって見直したと思って油断していた。そうだよ、コイツは元々こんな奴だよ。コイツに財布の紐を握らせた私が悪い!
今後は私が管理しなきゃという頑なな決意を抱いていると、ふと最悪な事実に気づいてしまった。
「……レクス」
「はい! なんでありますかヴィク様!」
私は暫くこの便利屋から出られない。少なくとも、探知機が完成するまではここを拠点とする為、これからも買い出しをレクスに任せなければならない。
「お前、ツケはどれぐらい溜め込んでるんだ?」
「!? え、えーとぉ……」
アンダーズじゃ、ツケを抱えた奴は信用を失う。この街は、クレジットこそが正義だからだ。
支払いを滞らせれば、あっという間に噂が広まり、まともな商品を扱ってる店も、安全な仕入れ先も手のひらを返す。望むの物が手に入りづらくなるのだ。
裏の連中もそれを嗅ぎつけて利用してくる。闇金融の打診だったり、格安で違法物の購入を勧めてきたり……最悪の場合、取り立てでこの家に押しかけてくるかもしれない。
そして、もしそいつらがアクシオンギアの探知機を持っていたら、私のギアの存在も露見しかねない。
こちとらアクシオンギアで手一杯だというのに、コイツのツケのせいで、余計な面倒ごとまで背負う羽目になったら……なんて考えたくもない。
早急にコイツのツケの総額と相手の筋を把握して対策しておかないと、私の目的に支障をきたしてしまう。
そう思って問いただしたのだが、レクスは必死に言葉を濁している。
これじゃ時間の無駄になりそうだと、備え付けてある有線電話の受話器を取った。そのまま三回鳴らして切り、間をおいて二回、さらに一度だけ鳴らした。
「……夜の荷台…………。あ、ニックさん? 私、そうヴィク。今度あったときギアのメンテするからさ、レクスがツケしてる総額を調べてくれる? え? もう把握してるって? しかも相手からの苦情も届いてる?」
「ああああああああああああ! ちょっ、まっ!」
「……へぇ、そんなに……ありがとうございます」
私は無表情のままニックさんからの情報をメモしつつ、そっと受話器を置いた。
「ふ、ふは……ははははは!」
「ヴィ、……ヴィク、さん?」
あぁ、知らなかった。人って、怒りを通り越したら笑うんだ。
まさかの総額に、もはや笑うしかなかった。
こんなとんでもな金額、放置してたら支障しかない。ジャミング装置を作ってる場合じゃなさそうだ。
「レクス」
「はいぃぃぃ!」
……いいよ。乗りかかった船だ。ここまできたらやってやるよ。
私はスパナを強く握りながら、レクスを縛っていたロープをゼヴィに切らせる。
「なんでもいいから修理の仕事を取ってこい」
「……はい?」
私みたいな技術者は、ヘイローシティでも重宝される。この技術があるからこそ、アンダーズでも場所代がバカ高いロザリオの区画に住めたんだ。
私の力があればこれぐらいの金額──
「テメェのツケの総額100万クレジット! 全額返済してやるから仕事持ってこいっつってんだよ!! そのどうしようもねぇ脳みそで理解できたらなら一つでも多く仕事を持ってこいやぁ! このバイオスクラップ野郎ぉ!!」
「はいいいいいいい!」




