コード026 激情と理性の狭間で
白衣の男が、私たちをキャットウォークの上から憎々しげに睨んでいる。
「……まさか、下等なドブネズミどもに使うことになろうとはな」
白衣の男はそう呟くと、懐から小さなデータチップを取り出した。銀色の表面を光が這い、刻まれたコードが青く光っている。
「泣いて喜べ、下層のスクラップども! お前たちの死で、私の偉大な研究が証明される!!」
男は、焦点の合わない目で笑う。
「──あれは、まさかっ!」
レクスが何かに気づいた様に駆け出す。けれど、男の方が早かった。
指先でこめかみのパネルを弾き上げ、金属が鈍く鳴る。そのまま、露わになったギアポートに躊躇いなくチップを突き立てた。
「アドリアンの設計をなぞるだけの人生など、まっぴらだ! 奴らが切り捨てたこの頭脳で、俺は頂点に君臨する!!」
ギアの神経配線が波打ち、皮膚の下で光の網が広がる。筋肉が弾けるように膨らみ、男の身体そのものが異様に膨張していく。
「……クソッ! 間に合わなかったか!」
レクスはそう言いつつも距離を詰め、右腕のギアを構えた。
プラズマ射出装置を起動させたのか、空気が歪み、光の粒が集束していく。
「はは……ははははははっ! アドリアンの設計は俺のものだあああ!!」
……アイツ、どうしてさっきからアドリアンアドリアンってお父さんの名前を連呼して──っ!
私はそこまで考え、はっと目を見開きながら自身の頭に触れた。
もしかしてあのギア、アクシオンギアのレプリカなのか!?
「ははははは! 俺が一番だ! 俺が頂点だ! お前らの栄光も! 虚飾も! 遺物も! 全部、粉にしてやる! 踏みにじって、撒き散らして、この俺が消してやるよおおお!」
床が震え、壁面の端末が一斉に明滅する。男の背中から無数のケーブルが伸び、制御盤へと突き刺さった。
その瞬間、青白い電磁の波が男を包んだ。その余波で髪が逆立ち、熱で皮膚が焼けそうになる。
「ヴィク、下がってろ!」
レクスはブーストを噴かし、射線を取っている。右腕のギアから、蒼光を纏った最大出力のプラズマ弾が放たれた。
空間が震え、光が一直線に走る。だが男の周囲で立ち上がった光の膜に触れた途端、弾は歪み、音もなく霧散した。
「効かねぇ……!?」
「当然だ!」
男の瞳孔が光を失い、電子ノイズが走る。肉と機械の境界が、じわじわと溶けていくように見えた。
あの症状は──|神経同期演算の臨界超過の前兆だ!
今でも既にまずい状態なのに、これがさらに進めば、理性の抑止を失い、手のつけられない暴走体になってしまう!
「俺は超えたんだよおお! オリジナルなど要らん! 神に許されなかった力を、この手で掴んだんだ!!」
ホールの照明が弾け飛び、闇が押し寄せた。
残ったのは、炭化した配線のスパークと、端末の明滅だけ。薄い光がちらつき、その一瞬ごとに、男の輪郭が浮かんでは消える。
ノイズ混じりの電子音が、心臓の鼓動みたいに空間を震わせた。
レクスが再び踏み込み、軽いプラズマ弾を連射する。だが、すべて膜に呑み込まれ、奴に傷一つつかない。
「レクス! 多分、そのバリアっ!」
「分かってる!!」
男の背中から伸びたケーブルが瞬時に光を帯び、天井の自動砲台が作動を始めた。照準群が一斉にこちらへ向き、レーザーが床を引き裂いていく。
レクスは盾で受け流しながら後退し、私を庇うように片膝をついた。腕のギアは火を噴き、過熱で白い煙を吐いている。
……レクスのギアは、オーバーヒート寸前だ……。
さっき最大出力のプラズマ弾を撃った直後で、クールダウンを待たずに再出力した代償が出ている。しばらくは、ブレードと盾以外の選択肢はないだろう。
「……なるほどな。あのバリア、ギアの出力そのものを吸ってやがる……さらに死角もねぇときたか。……面倒だな」
レクスが毒づく横で、私は腰のツールポーチに手を伸ばし、パルスボルトを引き抜いた。
狙いをつける暇もなく投げ放つ。けれど、放たれた閃光は男の周囲で歪み、白いノイズの中にすうっと吸い込まれて消えた。
……くそっ、これもダメなのか!
「無駄だああああああ! スクラップの抵抗など俺には無意味いいいいいい!!」
男の声がホールに反響し、金属の壁面が振動する。もはや人間の声ではなかった。
周囲では防衛ドローンが群れを成して迫る。レクスはそれを薙ぎ払うが、ギアはまだまともに動けていない。ここで無理をすれば、本当に壊れて戦闘不能になる。そうなれば終わりだ。
「ハハハハハハ!! お前らの死に最上の舞台を用意してやるよおおおお!」
あのバリアにはプラズマもパルスも通じない。波も電磁ノイズも弾かれるだけだ。じゃあ効くのは何か──恐らく、物体そのものによる干渉、つまり純粋な物理的衝撃しかない。
レクスのブレードなら突破の可能性はある。でも、あの高密度の電磁干渉と熱の渦へ飛び込むのは自殺行為に等しい。せめて渦が弱まるまで、遠距離から質量を伴う攻撃を叩き込みたい。
レクスも同じ結論に達したのか、左手に銃を構え撃ち続けている。けれど、男の挙動は衰えない。
もっと、もっと強力な物理的打撃がいる──!
足元には、倒れた兵器とギアの残骸が散らばっている。まだ使えそうな部品が眠っているかもしれない。
「レクス、少しだけ時間をくれ!」
「オーケー。待つのは男の甲斐性だ」
レクスの軽口が終わる前に、私は膝をつき、周囲の残骸へ手を伸ばした。薄明かりの中、服や手にも赤黒い液体がこびりつき、臭気が鼻を突くが、構わず集める。
コンバットギアのコアユニット、ブレードの駆動基盤、短く折れた冷却管。どれも損傷はひどいが、用途によっては再利用できる。
震える手で部品を掴み、頭の中で再接続の手順を組み立てる。どの配線を優先してつなぎ、どの冷却ラインを直結すれば、一時的な射出装置になるか──イメージは瞬時に描けた。
大容量の電源部をコンデンサ代わりに使い、駆動コイルの巻線を流用して加速器を組めば、金属塊を実体として射出できる。要するに、即席のコイルガンだ。これなら、あのバリアを突破できるかもしれない!
ここから作るんだ。武器を……この局面を覆す道具を!
そう意気込んだ瞬間、わずかな呼吸音が聞こえた。
反射的に体が止まる。視線だけを、その呼吸音のした方へ向けた。
そして、視線の先にいたのは──猟犬だった。
焦げた装甲の隙間から、まだ息が漏れている。周囲の音に反応して、体がピクリと動いていた。
……アイツ、死んでなかったのかよ。
スッと表情が抜け落ちる。私は無言のまま、手にしていた短い冷却管の断片を強く握り直した。先端は鋭く、金属片は刃物のように尖っている。
これで奴の首のど真ん中を刺せば、確実に仕留められる。それに、あの異常な火力を持つギアを奪えれば、コイルガンよりももっと有効な武器が作れるはずだ。
足を一歩前へ出し、猟犬に近づく。手にした冷却管をぎゅっと握り締め、振りかぶった。
死ね! イカれスクラップ!!
けれど、刺そうとした直前、思い出してしまった。
コイツのギアは、自身を犠牲にして出力を引き出すように設計されていることを。
……もし、レクスがあのギアを使えば、同じように体を削られることになるだろう。
私は猟犬の首元で、刃を握りしめたまま動けなくなる。
それは、ダメだ。レクスが傷つくのは絶対にダメだ!
ならば、どうするのが最善かと必死に頭を回す。
……コイツ自身に使わせるのはどうだろうか? コイツはあの白衣の男に操られていた。ということは、制御装置が組み込まれているはずだ。
そして、私の頭の中にあるギアは、機械に干渉することができる。つまり、コイツを制御できるかもしれない。
そうすれば、レクスは危険なギアを使わずに済む。無駄に傷つく必要もない。
周囲にはギアの部品が山ほど転がっている。私が修理すれば──
修理? リゼ婆を殺した、コイツを?
湧き上がる憎悪。
どんな理由を並べても、コイツを修理する。その行為に嫌悪感を抱く。
苦しませるならまだしも、直す? リゼ婆の仇を?
白衣の男がコイツを操っていた。なら、リゼ婆を殺したのも男の命令だったのかもしれない。けれど……。
頭に浮かぶのは、嬉々として私たちを殺しにきた猟犬の姿と、笑いながら味方を踏み潰し、蹂躙したあの狂気。
……きっと、リゼ婆を殺した時も、あんな風にやったに違いない。リゼ婆の、体の原型が残らないほど、ぐちゃぐちゃになるまで……っ!
殺意がぶり返す。冷却管を握る手に力が込もる。今度こそ殺そうとした瞬間──
「ぐっ……あああっ!」
「レクス!?」
レクスの苦痛の声。見れば、ギアは限界を越えて赤熱している。動きも鈍い。ドローンに囲まれ、避けるのがやっとだ。
レクスが……レクスが危ない! もう時間がない!
また、視線を猟犬の方へと戻す。
許せない。時間がない。殺したい。傷つけたくない。直したくない。失いたくない。死んでしまえ。死なせたくない。
頭の中で感情がぐちゃぐちゃに混ざって、自分がどうしたいか分からなくなる。
「ぐっ!」
「レクス!!」
クソったれが!!
私は感情をぶつけるように、冷却管を地面に叩きつけた。
近くの兵器の死骸へ飛びつき、まだ使えそうなギア部品を片っ端から剥ぎ取る。使えるものは全部引っこ抜き、猟犬の横へ放り出した。
気持ち悪い。吐き気がする。なのに手を止められない。
溶接の火花が散り、蒸気の酸臭が鼻を刺す。何百、何千回と繰り返してきた修理の動作が、無意識に手を動かしている。
──なんで、私はこんな奴を直してるんだ。リゼ婆は直せなかったくせに……直してないくせに……こんな、イカれスクラップをなんで!!
「……っ、ちくしょう」
なんで私は、……直すことしかできないんだよ!!
悔しかった。無力な自分が。
敵の力を頼るしかない弱い自分が、情けなくて仕方がなかった。
「……ごめん、なさい」
ごめん……リゼ婆……ごめんなさい。
涙が勝手に流れる。
止めたくても止められない。レクスのギアはもう限界だ。最善を考えれば、コイツを使うしかない……そう思うと、手はますます速く動いた。
感情を押し込めながら、私は最後の配線を噛み合わせた。
細い導線を、猟犬の頭部に露出したギアポートの赤い端子に差し込む。電力ラインは太めの銅線へ、制御信号は細い同軸に分けて──思考はまとまらなくても、指先は正確に動いた。
そして、最後に素手でコイツの頭を掴む。
「……あ……ヴィ、あ……」
意識を取り戻したのか、猟犬の目がうっすらと開き、意味のない言葉を漏らした。
「……よく聞け、イカれスクラップ」
それでも構わず、自分の頭の中にあるギアに意識を集中させた。
「今から……お前の主人は、私だ」
また、脳みそが沸騰するような痛みが走る。でも止めない。
「私の、指示に従え!」
こいつの意識と、私の意識が混ざり合う感覚がした。頭の奥で、微かなノイズが走る。
──見つけた。
「んがっ」
猟犬の体がビクンと痙攣する。
こいつの脳に埋め込まれたギアと、私の頭の中のギアがリンクしたのだ。
思考の奥に、こいつの息遣いが混ざる感覚。汚れたものを流し込まれたようで、気色悪い。……でも、コイツの扱い方はわかった。
「……ゼヴィ、命令だ」
……なるほど、こうすればいいのか。
「あの白衣の男を殺せ」
「…………あはぁ!!」
猟犬は狂気の笑みを浮かべて立ち上がる。
応急処置程度の修理では、ギアはまだ悲鳴を上げている。だが、それでも猟犬は、まるでなんともないように白衣の男へ向かって行った。
「ヒャハハハハハハ! 壊す! 壊す壊す壊す壊す壊すううううう!」
「! なんでお前が!?」
猟犬の存在に驚いたレクスが警戒するように下がる。けれど、猟犬はレクスを完全に無視し、一直線に突進した。
光の膜をものともせず、装甲の拳でバリアを貫く。
「聞かせろよぉ! てめぇの壊れる音ぉお!!」
「駄犬ッ! きさまああああああ!!」
バリアが軋み、青白い光が散る。プラズマの渦の中で金属が焼ける臭いが広がった。
あの異常なギアの威力は確かで、白衣の男の体が大きく弾き飛ぶ。
レクスが短く息を呑み、こちらを振り返った。
その目に、責める色はなかった。ただ、何かを悟ったように静かだった。
私は、その視線から逃げるように俯いた。
そんな私に対し、レクスは何も言わず戦場へと戻っていった。ホールに響くのは、金属の衝突音と、猟犬の笑い声だけ。
虚無感に支配されたまま、ただ立ち尽くしていると、狂気の声が最高潮に達した。
眩い閃光が走る。猟犬が白衣の男のバリアへ突っ込み、衝撃音とともに光の膜が砕け散る。
「壊れろおおおおおおお!!!」
絶叫と爆音が重なり、世界が白く塗りつぶされ、咄嗟に目を瞑る。
訪れる静寂。
ゆっくりと目を開くと、煙の向こうで猟犬が膝をついていた。
「ひ……ヒャハハ、は……」
装甲は割れ、悲鳴みたいな蒸気が漏れている。それでも奴は、満足げに笑っていた。壊れかけの機械みたいに震えながら。
そしてそのまま、力が抜けたように前のめりに沈んでいった。
レクスが歩み出る。
猟犬のすぐ脇を通り過ぎても、一度もそちらを見ない。ただ真っ直ぐ、白衣の男のほうへ向かう。
「……じゃあな、クソ野郎」
その言葉とともに、ブレードが閃き、白衣の男の胸を貫いた。
男の体が弧を描き、ゆっくりと倒れ込む。
また、全ての音が消えた。
レーザーも、ドローンも、ホールを覆っていた防衛システムも、すべてが静止したのだ。
私は、ただその光景を見ていた。
白衣の男が崩れ落ちるまでの一瞬を、目を逸らさずに。




