コード025 臨界の檻
レクスに背負われ、通路を進む。
退避路は人ひとりがやっと通れる幅だった。剥き出しのケーブルが頭上を這い、足元には薄い水膜。レクスの脚部ブースターの微かな振動が、背中越しに骨へ伝わってくる。
「……ヴィク、大丈夫か?」
「…………うん」
時折、レクスが首だけ振り返って私の様子を確認する。
私は小さく返しながら、肩口に置いた手をぎゅっと掴み直した。無意識に醜い注射痕に視線がいき、唇を噛む。
……レクスには、見られたくなかったのに。
無数に残った痕。さっき、それを見たときのレクスの表情が頭から離れない。どう思われたかなんて分からない。でも、いい感情じゃないのだけは確かだった。
もうラグもミナもいない。リゼ婆も、いない。……レクスまでいなくなってしまったら、私は──っ!
胸がきゅっと縮まって、息が苦しくなる。
「息、乱すな」
「……」
「ゆっくり吸って……そう。そのまま、ゆっくりと吐け」
まるで、私の不安を見透かしているような、落ち着いた声だった。
それは、離れていかないと、そう言ってくれてるみたいで。
じわりと緩くなる涙腺。けれど、泣いてる場合じゃないと、必死に呼吸を整えることに集中した。
息を整えるうちに、周囲の空気が変わっていくのに気づく。通路の先が淡く明るい。出口が近いのだろう。
レクスが最後の角を曲がる。ひと息で開口部を抜けると、音の反響が広がり、冷たい風が頬を撫でた。
通路を抜けた先に広がっていたのは、円形のホールだった。
天井に組み込まれた冷却ユニットが低く唸り、床には薄い水膜が広がっている。青白い灯りが斑に落ち、巨大なカプセル群が環状に並んでいた。
ガラス越しに見えるのは、ヒトの形をした何か。半ばは装甲、半ばは肉。接合部が赤く脈打ち、関節から白い蒸気が漏れていた。
……きっと、あの人たちも|神経同期演算の臨界超過しているのだろう。あの白衣の男のせいで……。
「……ここに隠れてろ」
レクスは短く告げると、私をゆっくりと背中から降ろし、壁際の陰に座らせた。
「お前は見なくていい」
そう言って、レクスは自分の上着を私の頭に被せた。冷えた空気と、あまりに残酷なものから私を隠すように。
でも、私はその布をずらし、しっかりとレクスの目を見ながら口を開いた。
「大丈夫。私は平気だから」
「……そうか」
レクスは一言だけ返すと、私の意思を汲んでくれたのか、それ以上は何も言わなかった。
レクスの視線はそのまま、ホールの中心……円卓のように組まれた制御台へ向いている。
「……お出ましか」
囁きが終わるより早く、頭上の照明が一段明るくなった。鉄骨のキャットウォークに白衣の影が浮かぶ。
天井から垂れる長いコードの束のようなケーブルを片手で弄び、もう片方の手で小型の制御器を操作している。
隣には、鎖のようなものを纏った猟犬の姿があった。金属の線が背中から垂れ、節の間が微かに光っている。動くたびに鎖が軋み、高所の影から笑い声が落ちてきた。
……なんだあの鎖は? 前に見たとき、アイツにあんなものはなかった。でも、拘束にしては緩いし……何かしらの装置か?
まるで繋がれた獣みたいに、動くたび金属が鳴る。そして、猟犬が首をぎこちなく動かし、ゆっくりとこちらを向いた。
その瞬間、背筋が凍った。あの目──あの時、焼き付いた光だ。
ベタつく床。酸化した金属の臭気。リゼ婆の無惨な姿がフラッシュバックする。
「はぁ……ヴィクだ、ヴィクだヴィクだヴィクだヴィクぅッ!」
獣声が弾け、鎖がびきりと鳴る。鋼が悲鳴を上げるように張り詰め、今にも切れそうだ。
猟犬が一歩、こちらへ踏み出そうとした。その時、白衣の男の声が冷たく降る。
「やめろ、ゼヴィ。貨物は試料だ。壊すな」
命令が空気を切ると、猟犬の身体が痙攣し、鎖に沿って青い電流が走った。歯ぎしりが響き、拳が止まる。首だけがわずかに震え、暴走しそうな衝動が残っているのが見て取れる。
「やれやれ……唯一の機能さえなければ、破棄しているのに」
ぼそりと吐かれた声に、冷たい軽蔑が滲む。男はちらと猟犬を見やり、鼻で笑った。
「……まったく、実に厄介な本能だ。それに──」
言葉が途切れる。面倒そうな視線がこちらへ向けられた。空気がわずかに重くなる。
「ロザリオの連中かと思えば」
白衣の男は肩を竦めて薄く笑う。
「ただのドブネズミか。なら、逃げる手間も省ける」
「口が達者だな。逃げ損ねた言い訳には向かねぇが」
「勘違いするな。私は臆病ではない。合理的なだけだ」
男の視線が私に移る。すると、レクスは直ぐに立ち位置をずらし、その不愉快な視線を遮ってくれた。
「貨物の状態確認も必要だ。試料は壊したくない」
男の手首が返ると、制御器のLEDが三度瞬いた。
「存分に暴れろ。ただし、標的は指定どおりにな」
「! あはぁっ!!」
猟犬の目がレクスを捉え、狂気じみた笑みを浮かべる。対照的に、白衣の男は淡々としていた。
次の瞬間、環状のカプセルが一斉に解錠され、圧縮蒸気が地を這った。液体が溢れ、歪んだ人影がひとつ、またひとつと床を踏み始める。
カプセルから現れたモノたちがこちらを向く。目は光っているが焦点が合わず、皮膚の下で赤い繊維が脈打っていた。
明らかに子供であろうモノもいて、胸糞悪くなりすぎで吐き気がした。
『プロトコルB‐02、対処ユニット解放。優先ターゲット:侵入者──』
機械音が切れ、男の声が低く笑う。
「さあ、駆除の時間だ。ゼヴィ、お前も行け」
白衣の合図とともに、鎖が強く軋んだ。抑えられていた狂気が解き放たれ、猟犬が飛び出した。
背中のスラスターが唸り、残光が尾を引く。両足のギアの爪が金属床を舐めるように接地し、音が消えた。
「覚えてる! 覚えてる獲物覚えてる! 会いたかったぜええええ! 最高の獲物おおおおおお!!」
「……そりゃ嬉しいね」
レクスの声は冷たかった。
右腕の装甲を半展開し、脚部ブースターが瞬間噴射の構えに変わる。左目のスコープが光り、銃を抜いた。
「俺もだよ!!」
乾いた銃声が響く。レクスは射線を冷静に定め、要所を狙うように連射して猟犬の進路を切り崩した。
だが、奴は怯まない。弾を受けても笑いながら突進してくる。
両腕のギアが電流を帯び、火花を散らした。拳が振り上がる瞬間、空気が焦げた。
「っぶねぇな!」
レクスが寸前で避け、逆に顎下へ拳を突き上げる。金属と骨の衝突。笑い声が喉を震わせ、血混じりの唾が飛んだ。
「随分なおもちゃを貰ったモンだな!」
「ひゃはははははっ! 壊れろ! 壊れろ! 壊れろおおお!!」
レクスの言う通り、あの両腕のギアはやばい。一撃でも喰らえば、こちらがやられてしまう程の高火力を持っている。
あれほどの電流を過剰出力すれば、自身のギアもショートしかねないというのに……猟犬の攻撃は、すべて自爆特攻に近い狂気の代物だった。あんなもの、まともな神経で使えるはずがない。
私も、見ているだけではいられない……ちゃんと役に立たないと……。
そう思って立ち上がると、ちょうどレクスが攻撃を仕掛けていた。右腕をブレードに変形させ、カウンターを狙うが刃は弾かれる。火花が散り、金属のはじける音が視界を白く霞ませる。
周囲では、解放されたヒトたちが一斉に動き出していた。赤い光が点滅し、油と血の臭気が空間を満たしていく。
「レクス、伏せろ!」
叫ぶより早く、腰のツールポーチから小型ボルトを引き抜いた。
先ほどの部屋で分解したコンバットギアの部品──電力供給ラインと誘導コイルを無理やり繋いで仕上げた、即席のパルスボルトだ。普段から愛用しているEMP手榴弾の原理を応用した、いわば改造EMPだ。小さいくせに威力は格段にある。
安全性なんて知ったことか。短時間でも神経信号を焼き切れれば十分だ。
狙いは、レクスの後方にいるヒト。
「……止まれ!!」
これで動きを封じられるはずだと、迷いなく群れの中へ投げ込む。
電磁ノイズが弾け、一体の動きが鈍った。その隙にレクスが背後を振り向き、ブーストの蹴りを叩き込む。
壁がへこみ、金属が裂けた。だが、すぐに別のヒトが這い出してくる。
全身の武装モジュールを過剰展開し、装甲の隙間から赤黒い液体を滲ませながら、それでも奴らは止まらない。理性の欠片もなく、命令だけに従って這い寄ってくる。
くそっ……この人たちも、ちゃんと人だったはずなのに。……やるしか、ないのか。
「ヴィク、無理すんな!」
「わかってる!」
返事をしながら、ツールポーチの中のコンバットギアの残骸を漁る。
もともとコンバットギアの中枢だったパーツだ。出力ラインを繋ぎ替えれば、即席の高出力パルスコアになる。
動きながら配線を噛ませ、手のひらで固定させる。青い火花が指先を走るが、構っていられない。
頭上で、金属の擦れる音がした。猟犬が天井を駆けている。
背のスラスターが唸り、パワーブレードを展開させていた。火花が雨のように降る。レクスは盾で角度を殺し、ブースターで真下へ飛んだ。刃が床を削り、レクスの頬に熱が走った。
「レクス!!」
「問題ねぇ!」
猟犬が再び飛びかかる。過熱した刃が一瞬濁り、レクスが構えを変えた。右腕の装甲がスライドし、内部のプラズマ射出装置が展開される。
私は今がチャンスだと、手のひら大のパルスコアを猟犬の足元へ投げた。
ずっしりとした塊が床に触れ、光が爆ぜ、音が潰れる。猟犬の動きが短く鈍り、その余波が周囲の制御信号へ波及して、ヒト──いや、兵器達の挙動がいくらか乱れた。
「今だ!!」
レクスが撃つ。プラズマの閃光が炸裂し、猟犬の胴を掠めて床を穿つ。だが、猟犬は倒れない。電流が唸り、狂気の笑いが血に混じって響く。
「ひゃはっ……もっとだ、もっと壊し合おうぜぇ!」
狂った笑いがホールに木霊する。周囲では、兵器たちの制御が乱れていた。
赤い光が明滅し、動きがぎこちなくなる。腕を振り上げたまま硬直する個体、脚をもつれさせて壁に激突する個体。正常な指令を受け取れていないのが明らかだった。
──よし、狙い通り。これでレクスは猟犬に集中できる……!
心の中でそう息をついた時、キャットウォークの上で金属を叩く音が聞こえた。白衣の男が制御器を乱暴に操作し、怒声を上げている。
「ゼヴィ! 何をしている!」
一体どうしたと猟犬の方を向くと、猟犬は狂気に任せ、近くの兵器へ殴りかかっていた。肉と金属が弾け、血煙が上がる。
鉄の擦れる音、滴る赤黒い液体。視界は断片だらけになった。
「ひゃはっ! ヒャハハハハハハハハ!!」
「ゼヴィ! やめろ、指示を待て!」
だが猟犬は止まらない。狂気のまま暴れ、近くの兵器を踏み潰してまた笑う。天井の破片が降り注ぎ、赤い警報灯が脈打つ。
「駄犬め……!」
白衣の男が吐き捨てる。レクスは短く息を吐き、低く言った。
「……無茶苦茶な奴だな」
爆音、閃光、鉄の匂い。世界がぐちゃぐちゃに混ざる。それでも、私は震える手を固め、次の攻撃の準備を始めた。
「もっとだ。もっと俺に音を聞かせろおおおおお!」
「ゼヴィ! 味方を巻き込むな!! 出力を絞れ!」
「ひゃはっ……ヒャハハハハハハハハハハハ!!」
猟犬はまた天井へ駆け上がり、真上から奇襲を仕掛けようとする。パワーブレードがレクスと周囲の兵器をまとめて両断しに来る。
「レクス!」
私は叫びながら、猟犬の降下軌道をずらすために掌大のパルスパッチを投げた。
パルスパッチは軽く、指先の弾きで勢いがつく。床をかすめるように飛び、着地と同時に小さな火花が「パチン」と弾けると、猟犬の降下が半拍だけ鈍った。
レクスは半歩だけ内へ寄せ、獣の刃を盾面で逸らす。刃は肩装甲を削り、背後の兵器の首根を深く抉った。
「役立たずが……!」
キャットウォークの上で、白衣の男が低く吐き捨てる。
「制御を乱すな、ゼヴィ。実験体の損耗は計画外だと言っているだろう!」
「壊す! 壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す! ヒャハハハハハハハハ!!」
猟犬は床へ着地すると、掌をレクスと隣の兵器の中間に向け開く。掌に再び圧縮弾を溜め始めた。
「ゼヴィ、やめろと──」
「うるせええええああああ!!」
至近爆。
レクスは盾面で受け流し、肩が焼ける。爆炎の余波でさらに兵器が二体沈黙する。
「くそっ! この不良品め! 不良品め! 不良品めがあああああ!!」
白衣の男の顔色が変わり、怒りのこもった声を上げたが、猟犬は止まらない。
「まだだぁ! まだ足りねぇえええなあああああ!!」
猟犬は命令を無視し、兵器の残骸を蹴り飛ばしてレクスの視界を塞ぎ、背後から跳んだ。
咄嗟に体をひねり、レクスの膝が猟犬の鳩尾へ突き刺さる。衝撃を逃がさず、右肘で側頭を叩き込む。
レクスの苛立った声が聞こえた。
「遊びは終わりだ」
「ひゃは──」
猟犬のスラスターの怒号。レクスの脚部も、最後のブーストを噴いた。
衝突音。閃光。鋼と肉がぶつかり合い、世界が白に塗り潰される。
もう、私の目では捉えられなかった。
視界が戻ったとき、猟犬は白目を剥いて崩れ落ちていた。背のスラスターは黒煙を上げ、焦げた金属の匂いが充満している。
レクスはその体を一瞥し、無言で拳を下ろした。
焼けた空気の中に残るのは──散乱した肉片と、まだ微かに動いている兵器の残骸だけ。
私は息を詰めたまま、立ち尽くしていた。
耳鳴りの中で、唯一はっきりと聞こえるのはレクスの呼吸音。
屍の中、立っているのは彼ひとりだった。
右腕のギアは煙を上げ、脚部のブースターは断続的に火花を散らしている。
……レクスのギアは限界が近い。けれど、まだ終わっていない。
キャットウォークの上。白衣の男は、未だそこに立っていた。
破損した制御器を見下ろし、歯を食いしばる。
「……そうか。やはり、試作品では限界か」
レクスが顔を上げる。その視線が、沈黙の中で白衣の男と交錯した。
── 残る敵は、あと一人。




