コード018 錆びた工具と温かい寝息
改造バンは赤い毒針のシンボルが散らばる路地を抜け、ヴァイパーの区画へと滑り込んだ。
壁の落書きや監視の目は冷たいが、ニックさんの運転は迷いがなく、何本も折れ曲がる裏道を進んでいく。
やがて車は鉄扉の前で停まり、重たい開閉音とともに奥のガレージへ入っていった。
私はミナを抱え、ラグはレクスに任せて車から降りる。
中は武骨な鉄骨と油の匂いが漂っていたが、その奥には扉があり、さらに進むと生活感のある部屋が広がっていた。
壁際には古びたソファや雑に積まれた毛布、場違いにきちんと並んだマグカップまである。外の空気とはまるで別世界の、人間味のある隠れ家だった。
「奥で寝かせろ。そっちなら静かだ」
ニックさんの案内で、私はミナを簡易ベッドの置かれた部屋へ横たえた。ぐっすりと眠っている彼女は、抵抗することなく毛布にくるまれる。
隣では、レクスがラグを腕の中から下ろし、そのまま寝かせていた。ラグも力尽きたように浅い寝息を立てている。
二人の寝顔を確かめて、ほっと息をつけた。けれど、それも束の間だ。まだ気を緩めるわけにはいかない。
アークギアは高性能な分、メンテはほとんど不要だが、その代わり外部からの損傷には脆い。
さっきまで市警や裏の連中に追い回されていたことを思えば、どこかに異常が出ていても不思議ではない。
それに、ラグのギアだって限界を越えている。今夜のうちに状態を確認しておかなければ、明日以降が危うい。このまま放ってはおけない。
私はそっと立ち上がり、ニックさんの方へ歩み寄った。
「ニックさん。あの……」
本格的な修理は後回しにするつもりだが、必要な箇所をピックアップしておけばすぐに手を打てる。
「工具、借りてもいいか? ギア用の……」
けれど、ミドルズに潜り込むために荷物を削ったせいで、持ち歩いているのは最低限の道具だけだ。これでは心許ない。そこで、ニックさんから借りられないかと思い声を掛けた。
言葉を切った私をしばらく見つめていたニックさんは、一瞬だけ眉を上げ、やがて奥を顎で示した。
「そこだ。勝手に持ってけ。……ただし壊すんじゃねぇぞ。ウチのは素人が扱う安物ばかりで繊細なんだ」
「分かった。気をつけるよ、ありがとう」
私はお礼を言ってから棚に手を伸ばした。
油と埃をまとった工具は年季を感じさせた。錆びかけたスパナに、規格の合わないドライバーも混じっている。それでも、どれもまだ現役だ。私の目から見れば、十分に仕事をこなせる道具たちだった。
私はレクスとニックさんが部屋から出ていくのを背中で見送りつつ、工具を手持ちの布でひとつずつ丁寧に拭き上げた。
油と埃が落ちていくたび、指先に馴染む感触が戻ってくる。静まり返った空間に響くのは、ラグとミナの寝息だけだ。
作業用のグローブをはめ直し、深く息を整える。そして、まずはミナのギアへと手を伸ばした。
アークギア──トップスで扱われている最高級のバイオギア。見た目は完全に生身で、触れても人工物だとは分からないほどだ。
私はそっと肩口から指先へなぞり、関節の駆動部と神経インターフェイスの接続部を確認する。
筋肉の収縮も血流のリズムも、生身と変わらない。呼吸に合わせてセンサーがわずかに反応するのも正常だ。内部で自己修復が働いている兆候もなく、損傷の痕跡は見当たらない。
……よかった。ミナは大丈夫そうだ。
「ミナは問題なし、と……」
呟きとともに肩の力を抜く。胸の奥に安堵が広がり、私はそっとミナの髪を直して毛布をかけ直した。
ただ、一つだけ気になる点がある。
カバーの内側に、通常の生活支援用アークギアには搭載されないはずの「ステルス系のモジュール」が組み込まれていたのだ。
信号を拡散させて感知を逃れる機能。軍用か、あるいは諜報用か。どう考えても、一般の少女が持つものじゃない。
その装備に疑問を抱いたが、すぐに首を振った。
今は詮索している場合じゃない。代替パーツもここにはないし、異常がなかっただけで十分だ。
とにかく、次はラグだ。
ほとんど麻酔なしで処置をしたせいで心配は尽きない。
しかも、急拵えの修理のあとに無理して動き回ったのだから、どこかにガタがきているのは明らかだ。それでも、神経ラインと制御系が安定しているのを確かめて、ひとまず胸を撫で下ろす。
だが、膝のサーボに手を当てた瞬間、じんわりと熱が伝わってきた。
明らかに負担がかかりすぎている。軽く触れただけで軋みが返ってくる箇所もあった。
……やっぱり、かなり無理したな。
最低限の応急処置を施し、破断しそうな箇所を固定する。
これで一時的には持つだろう。けれど、本格的な部品交換をしない限り、次に全力を使った時にはもう保たない。
「……今夜はここまでだな」
工具を置いて眠るラグの顔を見る。
せめて今だけは、安心して眠って欲しいと思いながら、起こさないように頭を撫でた。
こうして二人の確認を終えた私は、電気を消し、そっと部屋を出た。
隣の扉を抜ければ、照明の柔らかな光が差す居間。
レクスはソファにだらしなく腰を沈め、足を組んでまるで自分の家のようにくつろいでいた。
市警の制服はすでに脱ぎ捨て、肩の力が抜けたラフな格好。さっきまでの緊張感が嘘のようだった。
「嬢ちゃん」
声をかけようとした私より先に、ニックさんが立ち上がり、布束をこちらへ放った。
「いつまでもその格好じゃ居心地悪いだろ?」
「……いいのか?」
「あぁ。なんだったらシャワーも浴びてきな。その扉を開けて左だ」
「最高。そうします」
思わぬ気遣いに少しだけ緊張が和らぐ。着替えを汚さないように抱えて、私は奥の扉へと歩いた。
◇ ◇ ◇
シャワーの水音に紛れて、汗と一緒に張りついていた重苦しさまで流れていった気がする。
髪を拭きながら部屋へ戻ると、待ってましたと言わんばかりにレクスが手をひらひらさせて呼んだ。
「どうした?」
「見ろ」
見せられたのは、端末に映し出された何かの目録。
「裏オークションの出品リストだ。最後の方、面白い名前があるぜ。……ちなみに、さっき更新されたばかりだそうだ」
「これは……」
レクスが指差した先に並んでいたのは、番号と品目、それに添えられた出品名だった。
「……リカルド・フェルナード、イザベル・フェルナード」
口にした瞬間、吐き気に似た嫌悪がこみ上げた。
その名前を目にするのは初めてだ。だが理解は一瞬だった。
フェルナードはミナとラグのファミリーネームだ。つまり、この出品名は、二人を裏オークションに売り払おうとした最低な親達の事だろう。
おそらく、前金を受け取ったまま肝心の商品を失った。その報いとして、今度は出品者自身が「商品」にされたのだ。冷たいリストの文字列は、その残酷な事実を告げていた。
「このリスト……どこから……」
「俺だ」
そう答えてニックさんが手をあげる。
「コブラに伝手があってな。そいつに頼んで、お前らが喧嘩を売ったオークションのデータを抜かせた」
画面の文字列をしばらく見下ろし、私は小さく吐き捨てる。
「……自業自得だな」
レクスは肩をすくめ、端末をニックに返した。
「ま、これで面倒事は片付きそうだ。ガキ共を探す奴らも消えるだろ。あとはオークションが終わるまで隠れてりゃ、万事完結ってわけだ」
「……そうだな」
同意の言葉を口にしながら、私は拳を握りしめる。
「レクス。ラグたちには──」
「言わねぇよ」
言い切るより早く、レクスは両腕を頭の後ろで組み、ソファに身を預けた。
「どんなにクソ野郎だとしても、親は親だ。……言えるわけねぇ」
「……ありがとう」
画面の光はまだ暗く残っている。私はその画面を見つめながら、ラグ達のこれからについて考えた。
ラグ達は、親のせいでアンダーズに下りてきた。つまり、その親がいなくなれば、ミドルズで二人を脅かす脅威は消えるということだ。
オークションも元のクレジットさえ手に入れば、わざわざラグ達を狙う理由はなくなり、追い手も引くだろう。
けれど、それで解決するのはあくまでも親からの脅威だけだ。
アンダーズに住み続ける限り、それ以上の危険が襲ってくる可能性は常にある。
その時、私の力であの子達を守り抜けるかと問われれば、正直、難しい。レクスだって、ずっと一緒にいてくれるわけではない。
「……レクス」
あの子達の最善を考えるなら、答えはひとつしかなかった。
「相談したいことがある」
余計な感情を混ぜないよう、私は抑揚を削ぎ落として口を開く。
「ラグもミナもミドルズの市民権を持っている。親がどうなろうと、その身分は消えない。今後のことを考えれば、アンダーズよりもミドルズの方が安全だ。識別チップさえあれば、あとは住民票と基本的な手続きを済ませれば、ミドルズに戻れる」
レクスの目が細まった。
「ミドルズか……確かにアンダーズよりは監視が厳しいが、その分だけ法的な盾にもなる。手続きのコネが要るが、ニックならどうにかなるだろ?」
ニックさんは煙草の火をもみ消し、軽く笑った。
「任せとけ。運搬と口利きならいくらでもある。ただし、相応の報酬はもらうがな」
指で輪を作り、クレジットを要求する仕草を見せる。
すぐに払いたくても、私は手元にまとまった資金を持っていなかった。盗難に備えてウォレットチップで小分けにしているが、その多くは修理屋にある。
「今は手持ちがない。でも、クレジットは必ず用意する」
「悪いが後払いは受け付けていない。どっかのロクデナシのせいで、痛い目を見てるんでな」
「そりゃお気の毒に。いったいどんなロクデナシなんだろうな」
レクスの軽口に、ニックさんは笑いながらも右腕を軽く振った。その仕草に視線を引かれ、私は彼の両腕に目を留める。
外装は擦り切れ、冷却ダクトの隙間からは時折細い蒸気が漏れ出していた。関節部のパネルにはひびが走り、肘の付近には焦げ跡が点々と残っている。
「……ギア、調子悪いんじゃないか?」
問いかけると、ニックさんは肩をすくめ、片手でぎこちなく腕を曲げた。動作はわずかに遅れ、指先には震えが走っている。
「ああ。サーボが熱を持ちやすくなってる。インターフェイスも同期ズレを起こすことがあって困ってるな」
私は思わず口角が上がる。
そんな状態で放置する理由は、一つしかない。
「それ、修理するにはいくら掛かる?」
私の問いに、ニックさんは苦笑を浮かべた。
「正規に出せば即日で数万クレジットは吹っ飛ぶ。部品は軍規格だし、暗号化されたファームを扱える技術者も少ない」
数万クレジット。ざっと換算すれば、前世で言うところの数百万円に相当する額だ。軽々と払える金額じゃない。
私は棚に並んだ工具に目を移した。油と埃にまみれた道具の列が、今は少しだけ頼もしく見える。修理屋の目は自然とニックさんの腕の問題点を拾い出していた。
「それなら、前金代わりにそのギアを直してやる」
言い切ると、ニックさんの表情が驚きと興味を混ぜ合わせたものに変わる。
「……ほう?」
「ただし完全なオーバーホールは無理だ。ここで動くようにする応急処置に留める。冷却路の詰まりを抜き、焼けた配線を補修して、サーボの同期を暫定的に合わせる。それだけでも十分持つはずだ。暗号化ファームの復旧は無理だから、神経レスポンスの調整はまた後日になる」
しばし沈黙が落ち、やがてニックさんは小さく笑った。
「……本当にできるなら破格だな。追加で、坊っちゃん達のミドルズでの受け皿も手配してやってもいい」
「交渉成立だな」
そう決まると、私の頭の中では作業プランが回り始めていた。必要なのは冷却パテ、潤滑油、使い古しのサーボ数個、そして時間。時間なら今夜のうちにどうにか捻り出せる。
「じゃあ、道具とスペースを貸してくれ。ここでやる」
「おいおい、冗談だろ? まともな道具なんてここにはないぞ」
「安心しろ。一流は工具を選ばない」
ニックさんは疑いの色を残しながらも、端末をテーブルへ寄せた。外の喧騒が遠のき、室内の空気だけが熱を孕んでいるように感じられた。




