第94話
時が過ぎ、夜の巡回の時間が訪れた。
マグナは左手にランタンを手に持ちながら東の砦から再び畑の中の道を歩いていた。
今度は一人っきりだ。右手には昼間渡された護身用の棍棒が握られている。
しかしミキシイナとのお茶の後、棍棒の話を聞いた司祭はマグナに武器として使う事を禁じた。
「いいですか、マグナ? 不審者が居たらその場から逃げて、砦に知らせるのです。決して戦ってはなりませんよ」
そう釘を刺された。
結局、棍棒は杖代わりにしかならない。
マグナは深夜の田舎道を進む。
今日は満月のはずなのに月は雲に隠れて見えなかった。
マグナは仕方なく畑の前に来ては、ランタンで真っ暗な周囲を照らした。
小さな燈明の光を土の茶色や野菜の緑色に向けると陰陽が強調され得も言われぬ不気味な雰囲気を醸し出す。まるでそれ自体が闇に蠢く魔物か異形の眷属の様だ。
そんな時、マグナはとある畑の中で何かを見つけた。
畝と畔の隙間に黒い塊がある。
畑に踏み入り、慎重の近寄ってみるとそれは生き物の死体だった。
「バーミーラビットだ……」
それは穴掘りウサギとも呼ばれる小動物の一種だった。
バーミーラビットは大陸全土で見掛ける事が出来るほどのポピュラーな生き物で、教会の蔵書の中の図鑑にも載っていた。
個体は昼間は土に掘った穴の中に身を潜め、深夜になると餌となる野菜を漁りに畑の中を飛び回る。
農家に嫌われる害獣ではあったが同時に肉は美味で食用になり狩猟の対象にもなった。
その為、畑の中にはどこかしらバーミーラビットを仕掛ける罠が張り巡らされていた。
そして多くの冒険初心者が最初に手掛ける相手であり、事実、エリッサとスフィーリアの初仕事もバーミーラビットの駆除依頼だった。
マグナは死体に光を当て観察した。
初めて見る穴掘りウサギの死骸。
体を覆う茶色い体毛もドス黒い血で変色していた。
血まみれの死体には首が無い。鋭利な刃物の様な物で斬り落とされた様だ。
罠にかかった際、無理に逃げようとして無惨な最期を迎えたのかもしれない。
マグナは失われた命に手を合わせた。
「彼の者の御霊が主の下に届きますように……」
マグナが見ず知らずの失われた命に向かって祈りを捧げた。
どんな命にも慈悲の心を持つ。
これも日々の教会での教えの賜物だ。
そんな時だった。
背中に凄まじい気配を感じた。
マグナが咄嗟に振り返る。
瞬間、月明かりのない闇夜の中から何がが飛来した。
それをマグナが野性的な勘で咄嗟に察知する。
「危険!」
マグナが棍棒で体を庇いながら左に避けた。
棍棒の先に強い衝撃が走る。
何か鞭の様な物が横殴りに打った様だ。
マグナの体が後ろに飛ばされる。
しかし初手の回避が功を奏し、マグナは跳ねながら無傷のまま着地した。
「何だ?!」
マグナが棍棒を構える……つもりで居たが、直ぐに足元に棒を落とした。
司祭に武器として使う事を禁じられて居る事を思い出したからだ。
しかし今の状況ではおいそれと逃げられそうにない。
「司祭様、お許し下さい……」
マグナは心の中で許しを請うと代わりに拳で身構える。
暗闇の畑の中で神経を目一杯尖らせた。
襲撃者の気配を懸命に手繰り寄せる。
しかしそれまでだった。
周囲から気配は消えており、攻撃もそれ以上なかった。
「逃げられた?!」
攻撃は最初の一回きりだった。
相手も初手を防がれて逃走したらしい。
結局、相手の正体も判らないまま襲撃は終わった。




