第93話
砦の守備隊による野菜泥棒の捜査は続いていた。
守備隊は手分けして捜索し、泥棒の足どりと消えた野菜の行方を追う。
しかし幾ら探しても泥棒と盗まれた大量の野菜の居所は掴めない。
捜査は早速、行き詰るかに思われた。
だがその捜査上で思わぬ人物が網に掛かった。
「ひぃ~。た、助けて! 僕は無実だぁ~。無実なんですってばぁ!」
守備隊に捕まったのはあのレッド・タイタンの回復師ハッタだった。
ハッタの身柄が拘束されたのは、彼が泊まっていた安宿の女将の垂れ込みが原因だ。
彼は先日、足を負傷してから動く事も儘ならず、部屋のベッドの上で痛みに苦しみながらウンウンと日がな呻き声を上げていた。
それを聞いていた宿屋の女将が彼が良からぬ事をして怪我をしたと察し、守備隊に怪しい人物が居ると通報したのだ。
ハッタは捕まった当初から一貫して無罪を主張した。自分は三日前から寝込んでおり、野菜が盗まれた事など知りもしないと言い張ったのだ。
だが宿屋に押し入って最初に守備隊の目を引いたのはハッタの左脚の怪我の具合だった。
ガーズに噛まれた傷口は酷く化膿し、包帯の隙間から腐臭まで漂わせていた。
その傷の深刻さに守備隊はまずハッタを砦に連れていく前に教会に運んだ。
足の傷に治療を施す為だ。
「馬鹿者! どうしてこんなになるまで放っておいた!」
治療に当たったイーサンが傷口を見た途端、ハッタに向かって怒鳴った。
「ご、ごめんなさい……」
イーサンの剣幕の前に処置室のベッドに寝かされたハッタは頭を抱える。
「で、でも……治そうと思って薬は塗ったんです。けど全然、良くならなくて……」
「そんな事は見れば判る! だがこんな素人の付け焼刃で治ると思ったら大間違いだ。最悪、足を斬り落とさねばならんかったかも知れんのだぞ!」
「はわわわわ……」
先生の強い口調にハッタが顔を青くさせながら泡を吹いた。
だが実際、ハッタの傷は酷かった。
傷を悪化させたのはガーズによる噛傷というより、それ以降の処置の不味さから来る細菌による感染症だった。
それがハッタの筋肉を腐らせ、歩行まで困難にさせていたのだ。
やがてイーサンによる処置は完了した。
恐らくこの辺境で受けられる最高の魔法医療をハッタに施された。
足の腐った部分は綺麗に切除され、代わりに再生の為の闇魔法を掛けられた。
お陰で彼の足は根元から切り落とさずに済んだ。
それでもハッタが元通り歩けるのはずっと先になるはずだ。
その後、ハッタはイーサンとマグナの手によって処置室から病室に移された。
マグナはベッドに寝かされているハッタをまじまじと見詰めた。
ここに運ばれた時に比べれば幾分か顔色は良くなっていた。
しかし不安そうな表情はマグナにも見て取れた。
無理もない。つい先日、傷付けようとした二人に取り囲まれているのだ。
おまけにマグナはハッタがここに来た時から強く警戒していた。
マグナの中では彼は危険人物と位置付けられていた。
治療後も何か不穏な動きがあれば一瞬で飛び掛かる腹積もりをしていた。
そんなハッタにイーサンが静かに声を掛けた。
「ところでお前さんに聞きたい事がある」
だがハッタは声を聞いた途端、ベッドの上で平身低頭、頭を下げた。
「ごめんなさい! すみません! 僕が全部悪いんです! 牛筋亭の事は心から反省しています!」
「まだ何も言っとらんよ……」
早合点するハッタにイーサンは溜息を吐く。
「それとマグナ、怪我人の前でそんな怖い顔をするな。殺気立っているのが丸判りだぞ」
「けど先生……」
「もう、彼なら大丈夫だ。悪さはせん。それに牛筋亭の事は素直に謝ったのだ。もう許してやれ……」
そう言ってイーサンはマグナを諭した。
「ところで名前は?」
「ハッタ……、ソリンです」
「ではハッタ・ソリン、この傷はどこで作った? お前さん、犬に噛まれたと言っていたが歯形が違うぞ」
「い、村の林に居た時、犬のガーズに噛まれたんです……」
だがハッタは怪我の事でそれ以上の事は言わなかった。まさか目の前に居るマグナを陥れる最中に出来た傷とは言えまい。
「成程、ガーズか。最近、多いな……」
イーサンもそれ以上は詮索しなかった。
「ところでお前さん、回復師というのは嘘だな」
「それは、その……」
「真面な回復師ならここまで傷を悪化させることはない。なのに安い薬で治そうとした。それはお前さんが偽りの冒険者だという動かぬ証拠だ」
「仰る通りです。魔法なんてこれっぽっちも使えません……」
ハッタは正直に白状した。
「それで生まれはどこだ?」
「生まれ?」
「故郷はどこだ?」
「南方にあったブブリィっていう小さな村です」
「なぜ村を出た? 冒険者になりたかったからか?」
「いいえ、村が地縛竜に滅ぼされたんです。子供の頃……」
「三人とも、その時の生き残りか?」
「はい……」
ハッタの答えに急に病室の空気は重くなった。
悪どい事をしていても彼等も元は被害者なのだ。
イーサンは質問を続ける。
「それで、ここに来る前は何をしていた?」
「色々です」
「色々とは?」
「食堂で皿洗いをしたり、街道の工事で敷石を並べたり、駅馬車の荷物の積み下ろしをしたりで働いて居ました……日干し煉瓦を作ってた事もあります」
「頑張っていたのだな」
「あの頃は皆、真面目だったんです! 周りから家なし孤児だって笑われて馬鹿にされても我慢して、一杯働いて、一杯稼いで三人が住める家を買おうって……。けど、何年か経って、折角貯めたお金をいい儲け話があるからって、悪い奴に騙されて無一文にされたんです」
「成程、それで自暴自棄になってヤクザ稼業に流れて、この村に来たと」
「はい……。でも本当は僕もあの二人もこんな事はしたくないはずなんです。お願いです! 信じて下さい」
「ふむ、信じよう。お前がそこまで熱心に言うのなら」
ハッタの話を聞きながらイーサンはうなずきながら僅かばかり思案に耽った。
そしてゆっくりと語った。
「ところでハッタ・ソリン、また真っ当な仕事で働きたいと思わんか?」
「え?」
「お前がその気なら、手助けしてやって良いと言っている」
「ほ、本当ですか?!」
「本当だ。人間は人生のうちで必ず何度か転ぶ。だが転んだ人間を起き上がらせるのもブルザイ教の使命の一つだ。我等、僧侶はその気があるのなら救いの手を差し伸べる。現にここに居るマグナも、この教会で拾われた口だ。どうする? お前の心掛け次第ではもう一度、日の当たる場所で生きていく事が出来るかもしれんぞ?」
「けど……。それならウィッツとコルダに相談しないと……」
「今はその二人の事は考えなくていい! お前自身がどうしたいかだ!」
イーサンはハッタの言葉を打ち消し、逆に強く迫った。
「そりゃ、やり直したいです! やり直して、本当に真面な暮らしをしたいです!」
ハッタも負けまいと大声で答える。
それを聞いてイーサンも大きくうなづく。
「判った。ならば主に代わってお前を助けよう。もう一度、日の当たる場所に連れ戻す為、全力を尽くそう」
「あ、ありがとうございます、先生!」
イーサンの言葉にハッタはベッドの上で頭を下げた。
平伏す彼の瞳から涙が零れ、その下のシーツを濡らす。
マグナはその光景を横目で見ながら感動に浸っていた。
先生の言っていた人を救う意味が少しだけ判った気がした。
そして目の前に居るハッタ・ソリンがもう敵でない事を理解した。




