第92話
巡回は何事も問題なく終わり、マグナも教会へと帰っていった。
「ああ、おかえり。マグナァ~」
日が西に傾き始めた頃、事務室に入ってみると仕事を終えたミキシイナが椅子に座ったまま大きく伸びをしていた。
「ただいま、ミキシイナ。司祭様は?」
「講堂に居られるわ。もうじきこっちに戻って来ると思うけど」
「じゃあここで待ってる」
「そうしなさい。今、お茶を淹れて上げるわ」
そう言うとミキシイナは自分の分を含めて陶器のカップにお茶を注いだ。
「それでお勤めの方はどうだったの?」
カップを渡しながらミキシイナは気安く訊ねてきた。
「別に何も無かったよ。班長が良い人で色々教えてくれた」
「へえ、良かったじゃない。でも班長って? あの隊長さんじゃないの?」
「うん、ヒヨルドって兵隊さんだよ」
「えっ! ヒヨルドって、あのヒヨルド・ビリン?」
「知ってるの?」
「ええ、村で悪たれヒヨルドって呼ばれた悪童よ」
「悪童? ハッシャムー遊撃隊みたいな?」
「あんな可愛らしいモノだったら、誰もなんとも思わしないわよ。どっちかと言えば私みたいな不良って感じね」
「ミキシイナが不良?」
「そうよ、こう見えても私、昔は結構なワルだったのよ」
そう言ってミキシイナは笑った。
だがマグナにはミキシイナが悪人だったとは信じられない。
多少口の悪い所はあるが、彼女はマグナにもスフィーリアにも頼れる先輩だ。
「ワルって何をしてたの?」
「今は私の事なんでどうだって良いのよ。そんな事よりヒヨルドの事よ。でもあのヒヨルドがね~。班長で教育係とは偉くなったもんだわ」
「そんなにおかしいの」
「昔のアイツを知ってたらお笑い草ね。アイツ、前は冒険者街で博打打ちで稼いでたのよ。イカサマ使ってね。そういや、頬の傷の事で何か言ってなかった?」
「この村に眷属が襲ってきた時に戦って付けた勲章だって」
「そんなの嘘っぱちよ。若い頃、イカサマがバレた時、追いかけられた挙句、転んで付けたカッコ悪い傷よ」
「そうなんだ……」
「それで三年ほど前かな? 司祭様やご両親に迷惑かけておきながら、喧嘩した挙句、こんな田舎に居てられるかぁ! って捨て台詞を残して村から出ていったのよ。でもそこからどこで何をしてたのか判んないだけど、半年ほど前にフラリと出戻って来たわ。その時はもうご両親も二年前の流行り病で二人とも亡くなっててって、酷い話よ」
「そうなんだ。可哀そうに……」
「親孝行したい時に親は無しってね。まあそんなこんなで村でまた暮らす事になった時、司祭様に頼み込んだのよ。もう博打打ちは卒業しました、真面目にがんばりますから砦で働けるようにして下さいってね。今でも覚えているわ」
「けど今は真面目に働いているなら……」
「勿論、甲斐があったってものよ。馬鹿が人並に格上げになったんだからミッケものよ。そうだ、今度会った時に勲章なんてぶっこいた事、揶揄ってやろう……」
そう言ってミキシイナは意地悪そうに笑った。
「けどそんな悪かった人には見えなかったよ……。子供達にもやさしかったし」
「子供達?」
「砦の外でバンダ達に会った」
「外でって、何してたの? あの子達……」
「パカの実を集めた帰りだって」
「パカの実?」
「うん、売って生活の足しにするって……ヒヨルドが頼んだって」
マグナは巡回でのやり取りを一通りミキシイナに説明する。
だがパカの実と聞いた瞬間、ミキシイナが訝しげな表情を浮かべた。
「今の季節、パカの実なんておかしいわ。季節外れも良い所よ」
「そうなの?」
「パカの木が実を付けるのは秋、夏頃はまだ実も青い上に固くて食べられないわ」
「けど、ヒヨルドも確かに言ったよ。パカの実だって。籠の中まで確認したんだ」
「一体、あの子達何の実を……」
「どうしたの?」
「いいえ、何でもないわ。それより早く紅茶、飲みなさい。モタモタしてると冷めちゃうわよ」
「うん……」
「ところで巡回当番、次は何時なの?」
ミキシイナが質問するとマグナは砦で貰った当番表を彼女に渡した。
だが当番表を目にした途端、ミキシイナは驚いた顔をする。
「ゲッ! マグナ、あなた、今日の夜に当番が当たってるわ!」
「そうなの?」
「あの隊長、こっちが下手に出たからって、いい気になってるわね……」
「でも決まり事は守らなきゃ」
「まあ、そうよね。受けたんなら仕方が無いわよね。けどマグナ、こんな仕事、ちゃっちゃと終わらせて帰って来なさい。元々、これは教会にとっては専門外の仕事なんだから
、クソ真面目にがんばる必要なんて無いわよ」
「そうなの?」
「そうよ。向こうだって素人に多くを期待してないでしょうしね。それに野菜だって人の命に比べたら大した値打なんて無いわ」




