第89話
それから三日ほど経った。
昨日まで村は平穏の中にあり、眷属の襲撃も無ければ事件らしい事もない。
お陰で、村の農家はこのまま夏野菜の収穫時期に入れると思われていた。
だがその日の朝、あのイリナ婆さんが朝方になって教会に駆け込んできた。
「司祭様! イーサン先生! 大変だ! 大変なんだよ!」
「イリナさん、とにかく落ち着いた。一体、どうなさいました?」
血相を変えて飛び込んできたイリナを司祭は懸命に宥める。
「どうもこうもないよ! またやられたんだ! 今度はジャガイモが全部、持ってかれたんだ!」
そう答えた瞬間、イリナは講堂のザイーナの像の前で祈りながら号泣した。
「悪い事が起きる! 悪い事が起きるんだよ~!」
「大丈夫、何も心配する事はない」
泣きじゃくるイリナを今度はイーサンが宥めた。
だが気丈なイリナ婆さんがこれほど気を落とすのは、ただ畑を荒らされただけではない。
余程、大規模な被害を受けての事だ。
イーサンは早速、村の畑へと向かった。
畑は村を囲む土塀の向こう側、東の砦を出た所から広がっていた。
「確か、この辺りのはずだ……」
イーサンは記憶を頼りにイリナの畑を探り出す。
そして幾つのも畝が並ぶ新じゃがの畑を見つけた。
だが畑の前に立った途端、イーサンは暫し絶句した。
本来なら収穫前、青々と瑞々しく茂るジャガイモの葉が黄色く変色していた。
しかもイリナの畑だけではない。畑一帯、丸ごと全滅した大被害だった。
「これは酷い……」
イーサンが畑の中の萎びたジャガイモの葉の前に立つ。
そして試しに一本、抜いてみた。
茎は意図も容易く抜けた。
それどころか抜いた手応えすらない。
それもそのはず、抜けた大根は根元を刃物の様な鋭利な物で切られ、あるはずの白い根の部分が丸々消えて無くなっていたのだ。
「何だ、これは?」
状況の異常さにイーサンは唖然とする。
試しに今度は抜いたジャガイモが植えてあった畝の下を調べてみた。
だがそこにジャガイモは無く。縦に抜けた深い穴だけが残っていた。
「この穴は?」
イーサンが低い声で唸る。
縦穴は深く、大根の根の長さを遥かに超えていた。
明らかに何者かによって掘られた穴だが何の為に掘られた穴か見当も付かない。
「イーサン先生ぇ~!」
背後から男の声が聞こえた。
振り向くと数人の男達がイーサン先生の下に駆け寄ってきた。
その中の一人はフラム村の村長のボルト。そして砦の守備隊・隊長のグムカ。更に畑の地主兼耕作者の村人達だった。
「先生も来てくれたのか」
「それより村長。これは一体、どういう事だ?」
「我々も驚いている。今朝方、畑の方が騒ぎになって畑に来てはみたが既にこの有様だ」
「被害はじゃがいも畑だけでは無いのだな」
「うむ、ジャガイモだけでなく大根畑もやられたところもある」
「ウチはニンジンもヤラレタ!」
「かなりの広範囲だな……。昨日の深夜か?」
「恐らく、その時分にヤラレタはずだ……」
「それで目撃者は?」
「いいや、誰も……」
「砦で何か変わった事は?」
イーサンは砦の守備隊長のグムカにも聞いた。砦は共和国軍所属で村の警察組織の役割も負って居り、グムカは警察署長も兼任していた。
だがグムカは溜息を吐きながら首を横に振った。
「前々から畑を荒らす不届き者の話は聞いていたからな。我々も深夜の外の巡回の数を増やして警戒していた所だ。だが大根泥棒はその巡回の合間を縫って犯行に及んだらしい」
「イーサン、やはり犯人は西の村に居る冒険者か?」
そう村長が答えたが、イーサンはすぐに首を横に振る。
「いや、早合点は良くない。考えてもみたまえ、どんな魔法を使おうとも、深夜、誰の目にも触れず、それだけの量の根菜を掘り返しもせず収穫し運び出す事など不可能だ」
「なら我々の知らない何か特別な方法を使ったって事か」
「だが盗んだ方法は今は重要ではない。問題は盗まれた野菜がどこに行ったかだ」
「そりゃ、自分達で食ったんじゃないか?」
「いや、この量だ。自分達が食べる為だけに盗んだとは思えない。売って金に変えるはずだ」
「成程、買った連中から犯人を辿っていくって寸法だな」
「ならやっぱり冒険者街か?」
「恐らく、商店や食堂で捌かれるだろう。最もあれだけの野菜をどう土塀の内側に運ぶかは疑問だが」
「そう易々と売りさばけるものでもないしな……」
「もしかして他の街に運びこむのかもしれん」
「なら昼間は周りの目があって移動は不可能なはずだ。夜に運び込もうと、どこかに隠している可能性の方が高いんじゃないか?」
「あり得るな。では村の周辺で保管場所になりそうな場所を探そう。森の中の近くの洞窟が冒険者街の空き家が怪しいはずだ」




