第8話
その後、少年は処置室から個室の病室に移された。
ベッドの上も少年は寝息を立てながら眠っていた。
それをエリッサが椅子に座って眺めていた。
黒髪の美男子。背は高く痩身。
年齢も自分とそれほど離れていないはずだ。
だがその寝顔は安らかで子供の様に幼くも見える。
「でも……」
エリッサは小さくつぶやく。
目を閉じて思い浮かぶのはコモラ迷宮の最下層で地縛竜と単身、戦い続ける鬼神の様な彼の雄姿だ。
「あら、ここに居ましたのね」
スフィーリアが個室に入って来た。少年への診察の為だ。
スフィーリアはエリッサの結成したパーティチーム「ワイルドキャット団」の回復師で、結成当時からのメンバーでありサブリーダーでもあった。
そして何よりエリッサの親友だった。
彼女は医師としても冒険者としても極めて優秀で司祭やエリッサ双方からの信頼も厚い。
その為、今しがた、この少年の担当医を任される事となった。
「今日は一日、そうするつもりでいますの?」
「そのつもりよ。助けられた恩もあるし……」
「助けられた? 助けたのではなくて?」
「私自身、最下層で地縛竜に焼き殺されそうになったわ。けど彼が盾になってくれたお陰で消し炭にならずに済んだ」
「命の恩人って訳ですわね……」
「だからね。貸し借りは早めに、そして確実に返したいの」
「あなたらしいですわね……」
親友の言葉に尼僧は笑った。
「ロウディとミャールは?」
少年の脈を測り終えたスフィーリアが訊ねる。
「出ていったわ。仕事も終わったし、今日は帰って寝るって。二人とも彼にはそんなに興味無いみたい……」
エリッサはわざとロウディが彼を危険視している事を黙っていた。
スフィーリアに少年の事を不用意に警戒されたくなかったからだ。
「……熱は無い様ですわね」
スフィーリアは寝ている少年の額に掌を当て熱を測っていた。
「でも、不思議ですわね。包帯を解いた途端、体中の傷が完治していたなんて……」
「私だって驚いてるわよ。こんな事あり得ない……」」
「見間違いだったという事は?」
スフィーリアの言葉にエリッサは首を横に振る。
「そんなことないわ! だって、本当に酷い怪我だったのよ! 地縛竜と追い返した事だって本当なんだから!」
「そんなにムキにならないで。別にあなたを信じていない訳ではありませんわ」
「まあ、何にしても常軌を逸していたわ。この傷の治り方、それとあの戦闘力……。人間とは思えない……」
深刻そうにエリッサはつぶやく。
だがそんな彼女に向かってスフィーリアが溜息を吐く。
「人間とは思えないって……。エリッサ、そういう悪い言葉は此処では使わない様に」
「ごめん。そうよね、ここは教会だもんね……」
スフィーリアが窘めるとエリッサは素直に謝った。
しかしエリッサにはあの最下層で見た戦いが忘れられない。
最下層で見た彼は当に恐れを知らぬ超戦士だった。
しかし今のベッドの上の彼の寝顔はまるで無垢な子供の様に穏やかだ。
「なら、取り合えず彼が起きてくれるまでこちらは手出し出来ませんわね。それと司祭様が記録に残したいので後で彼を発見した時の事をもう少し詳しく聞かせてほしいと仰ってましたわ」
スフィーリアの言葉にエリッサも頷く。
「そんな事より貴女、今日の報告をギルドにしなければならないのでしょ? 多分、支部長のスパイドさん、お待ちだと思いますわ」
「いけない! 忘れてた!」
スフィーリアに言われてエリッサが慌てて椅子から立ち上がった。
「まだギルドは開いてるわよね……」
コモラ迷宮探索は村の冒険者ギルドからの依頼だった。
冒険が終わればその結果を報告する義務があるし、しなければ報酬も貰えない。
しかし立ち上がった途端、エリッサは名残り惜しそうに少年の寝顔を見詰める。
せめて彼が起きるまでここに居たいのだが……。
「お行きなさい。彼の事なら大丈夫。ここは病院ですもの」
「ありがとう、スフィーリア。用事を済ませたらすぐに帰って来るから」
そう言ってエリッサは慌てて病室から出ていった。
「やれやれ、騒々しい事……」
エリッサの背中を追いながらスフィーリアは苦笑した。
「ご執心ですわね。眠りの王子さまに……」
残されたスフィーリアが少年の顔を眺める。
血色は良いし肌艶も良い。体内に異常は無い様だ。
それによく見れば、目鼻立ちのはっきりし、痩身で端整な面立ちをしている。
ありきたりな言葉で言えば黒髪の美少年。
「可愛らしい寝顔ですこと……」
スフィーリアは思わず内に秘めた本音をつぶやいた。
その瞬間、彼女はハッと我に返り、白い頬を紅色に染めた。
「はしたない! 私ったら、何て心にも無い事を……。これではエリッサと変わりありありませんわ!」
柄にもなく尼僧は慌てふためく。
そして手にしていたカルテで赤くなった顔を隠しながら小走りに病室を出ていった。