第77話
やがてマグナはメリーナと別れ、彼女の家を出るとその足で教会へと向かった。
東の村から教会までは大した距離ではない。
城塞に囲まれたの田舎道を暫く歩くだけだ。
だがその帰り道、マグナは道端でうずくまる人影を見つけた。
人影は背が低かった。
そして初夏だというのに灰色の古びた厚手のコートを纏って居り、頭からフードを被って顔も見えない。
しかしうつむいたまま苦しそうにうめき声を上げていた。
「そうだ、こんな時には……」
以前、マグナはハリカ先生やスフィーリアから苦しんでいる人が居れば声を掛け、出来るなら助けて上げなさいと教えられた事を思い出す。
「大丈夫?」
マグナが人影に近付くと声を掛けた。
「うう、苦しい……」
辛そうなしゃがれた男の声が返って来る。
声の様子からどうやら体の具合を悪くして、この場で動けない様だ。
「教会まで送ろうか? 行けば病気も怪我も直してもらえるよ」
マグナは男に教会で治療を受けるよう勧める。
「いえ、それには及びません……。代わりに私の手を引いて下さりませんか?」
そう言ってフードの男はマグナに向かって手を延ばした。
「そこまで送り届けて下されば仲間が居ますので……」
どうやらその仲間の所まで手を引いて連れて行ってほしいらしい。
マグナは男との会話からそう理解した。
「判った。連れていけば良いんだね」
マグナは男の手を掴むと力を込めてグイっと引いた。
「痛たたた……」
マグナの引きの強さに男が思わず呻く。
「駄目だよ、そんなに強く引いちゃあ。こっちは年寄りなんだから……」
「ごめん……」
「出来れば、その……負ぶって下さりませんか? どうも足を挫いた様で……」
「うん、いいよ」
男が願い出るとマグナは言われるままに彼の小さな体を背中に乗せた。
マグナは男を背負ったまま歩き出す。
そして教会に通じる田舎道から脇道に逸れると、そのまま少し南へと下っていった。
村の南側には小さな雑木林が広がっていた。
雑木林はハルトーネの森の先端に相当していたが、村を囲む城塞で分断され、村の領域の内側にあった。
「ああ、ここ。ここで仲間と待ち合わせする様に言われたんですよ……」
雑木林の中でフードの男がマグナに答える。
だが周囲を見渡しても人影はなかった。以前はこの辺りにも村から森に入る為の入り口だったらしいが、防衛上の観点から閉鎖され、人工物であるとしたら古びた土着の森神を祀る小さな祠があるだけの寂しい場所だった。
「暫くそこで動かないでおくれ……」
男が負ぶされたまま、マグナに指示を出す。
マグナは言われた通りその場に立ち尽くした。
だがその時だった。
背後から一本のロープがマグナの首を巻き込み、そのまま輪になって収縮した。
一瞬でマグナの首が締め上げられる。
「!!」
突然の出来事にマグナが困惑して身動きが取れない。
その間にも縄は更に力が込められ、マグナは途端に息苦しくなる。
「ウィッツ! 今だー!」
突然、背負っていた小男が叫んだ。
だが先ほどまでのしゃがれた声ではなく、力のこもった若々しい声だ。
その直後、喬木の隙間を縫って、何者がマグナに向かって急接近してきた。
それは背後のフードの男とは違う別の気配。
だがそれに気付いた時には既に相手はマグナの眼前にまで迫って来た。
その正体を知った途端、マグナは驚愕した。
「野犬……? いや、違う……ランタン?」
首を締め上げられ息も絶え絶えの中、マグナは声を上げる。
何故ならそれは犬の体に古びたランタンの首を持つ奇怪な生物だったからだ。
しかも生物はマグナに向かって吠えながら襲い掛かる。
「!!」
飛び掛かって来た奇怪な野犬の攻撃をマグナは首を絞められたまま咄嗟に避けた。
ランタンの割れたガラス部分が大顎となり、剥き出しになったガラスの牙がマグナのすぐ脇を通り過ぎていく。
跳躍から地表に降りた野犬はマグナと再び向き合った。
ランタンの頭からうめき声を上げ姿勢を低くしながらマグナを威嚇する。
正体が掴めない。その事実に戸惑いを覚える。
だが相手はこちらの都合など関係なく襲い掛かった。
マグナは両手の拳を固めると本能のまま戦闘態勢に入った。
ランタンの野犬が再び飛び掛かった。
マグナが反射的に拳を固めた。
後は野犬に向け内角をえぐる様に打ち込む。
鉄拳は横っ面に命中し、野犬は鳴き声を上げながら弾き飛ばされた。
だが地面に突っ伏した瞬間、再び目を疑う様な光景が浮かんだ。
打ちのめされた野犬が金色の光の粒となって霧散したのだ。
野犬の胴体は消え、壊れた古いランタンだけになった。
「……」
マグナはその事実に茫然とする。
一体、これは何なのだ?




