第76話
二人は村の中にあるメリーナの家に辿り着いた。
メリーナの家は村の中ではどこにでもありふれた一軒家で、マグナも午前中、無人のこの家の前をイーサンと共に通った事を思い出した。
「入って、お茶くらい御馳走させて」
メリーナの誘いにマグナは言われるがまま家の中に入っていた。
家の中は整理されていたが置かれている家具類や調度品は少ない。
明らかに家の大きさに比べて住人が少ない様に感じた。
「さあ、座って。今からお茶を淹れるわ」
食堂兼居間のテーブルの横の椅子にマグナは座らされた。
メリーナは手慣れた手つきで竈に火を起こすと、水の入った小さなポットを火に掛けた。
「他の家族は?……」
マグナが思わず声を掛けた。
家の中の寂しさがマグナに興味を湧かせたのだ。
「居ないわ。私と弟のふたり暮らし」
「お父さんとお母さんは?……」
「とっくの昔に亡くなったわ」
「そうなんだ……」
会話は一瞬で終わってしまった。
流暢な会話術を持たないマグナにとって、話の膨らませ様が無いのは致しがたない。
「マグナの家族は?」
今度はメリーナが聞き返す。
「司祭様とスフィーリアと……」
「そうじゃなくって。それってワリカット教会で一緒に暮らしている人でしょ。私が聞きたいのは血の繋がってる人」
「判らない……。目が覚めたら一人だった」
「ひとり?」
「司祭様はそう言ってた。ここに来る前の事は何も覚えていない……」
「そうなのね……」
会話が途切れる。メリーナはマグナの生い立ちに踏み込んで気まずくなった。
暫くしてメリーナがお茶の入ったティー・カップをマグナの前に差し出す。
マグナは壁に目をやっていた。
壁には一本の長大な大剣が飾ってあった。
そしてその下にはかつての家族の小さな肖像画の他に額縁に入った銅版画が飾られてた。
銅版画は横に長く緻密で、とある大型パーティの集団肖像画だった。
画の横には今から二十五年前の日付とパーティ名「アイアン・ハーケン」とそのメンバー全員が記されたプレートが一緒に飾られていた。
メンバーは100人を超え全員が武装していた。今現在、このフラム村でも単体でこの人数に達するパーティが無い事を考えるとかなりの大所帯だ。
「その版画に興味ある?」
メリーナが銅版画の下に歩みより紙の上を指差した。
「これがお父さん。この壁に掛かっている大きな剣を持っているでしょ? その隣の回復士がイーサン先生……」
メリーナが説明を始めた。
それを聞きながらマグナが銅版画を見詰める。
確かに集団の中にはバンダによく似た顔立ちの青年が大剣を背に立っていた。
その横では若かりし頃と思われる今より体の締まったイーサン先生が並んでいる。
二人は肩を組んで並ぶと嬉しそうに笑っていた。
マグナの知る無口で不愛想な先生とは大違いだった。
「前のコモラの地縛竜を討伐した時の大規模パーティですって。この画は、その討伐を記念して造られた銅版画よ。先生と友達になったのも、この討伐からだって」
「じゃあ、メリーナのお父さんと先生は屠龍なの?」
「そうよ。お父さんの生涯の自慢だったわ……」
「すごいんだね……」
「本当にそう思う?」
「うん……」
聞き返すメリーナの前でイーサンは頷いた。
「確かに今でも村の人は言ってくれるよ。お父さんは村の誇りだったて」
「うん、そうだろうね……」
「でも冒険者の人達は冷たいわ。お父さんが死んで、未だに顔を出してくれるのは先生だけだもん……」
そう答えるメリーナの表情は一転、今度はマグナの目に寂しく映る。
「それに冒険者なんて長くやるもんじゃ無いわ。付き合ってる家族が大変だもの。お父さんが居ない間、家の中をお母さん一人で支えてた。それに難しい冒険に出たって収入が約束されてる訳じゃ無いのよ。高価な武具や装備を買い揃えても迷宮の中はからっぽって事も珍しく無いんだから……」
そんな時、メリーナの母は重い病気を患った。薬は教会に行けば処方してくれた。だが薬は大変高価な上、何より希少で、一介の冒険者の家庭がおいそれと手に入れられる代物ではなかった。
姉弟は父の一刻も早い帰還を神に祈りながら待ち望んだ。
だが祈りも空しく母は父の不在の間に亡くなった。
そして母が亡くなった時には家の貯えはほとんど底を着いていた。
屠龍と呼ばれた冒険者ですらそんな状況だった。
このオーディア大陸に居る冒険者の内、羽振りの良いのは僅かな者だけ。
そのほとんどが命を賭けながらも貧窮に喘いでいる。
だがそれでも多くの冒険者が希望と名声を胸に果ての無い冒険の旅に身を捧げている
「結局、お父さんも母さんが死んだ後、最後の冒険に出てそのまま還ってこなかったわ。最期は迷宮の地割れに落ちたんだって……」
そう言ってメリーナは最後に溜息を吐いた。
そんな彼女を思うとマグナは心苦しくなった。
彼女の悲しみを取り去るにはどうしたら良いのか考えた。
しかし何度考えても今のマグナの頭の中には何も浮かばなかった。




