第71話
二人は教会に戻ると一旦、食堂に向かった。
「あら、おかえり。イーサン先生、マグナ」
食堂では寺務僧のミキシイナ・ステンが手作りの昼食を摂っていた。
彼女の昼食はサンドイッチだ。
手作りなのか街で買って来たのはマグナには判らない。
イーサンがミキシイナの前に婆さんから貰った杏子を置いた。
「あら、アプリコットじゃない」
「イリナ婆さんの畑でとれた物を貰い受けた。皆で摘まんでくれ」
「そう、有難く頂くわ。二人はこれからどうすんの? お昼にする?」
チーズと野菜を挟んだパンにかぶりつきながらミキシイナが聞く。
「いいや、ここには器具を換えに帰っただけだ。これから冒険者街に行って、そこで食事にする」
「冒険者街で食事ならいつもの牛筋亭?」
「ああ、そうだ」
「飽きないわねぇ~」
ミキシイナが笑った。だがイーサンは何も言わなかった。
午後の準備が終わると二人は教会を出て橋を渡り西へと向かった。
教会の壁はまだ修理の途中だ。
一方、付け火を受けた桜の木は枝葉の多くが焼け爛れていた。
教会の玄関を覆う桜並木は村の憩いの場だった。
その景色が焼けて傷付いた様は眺めているだけで胸が詰まる。
だが残った枝からは葉の新芽が出ていた。
それは火炎に耐え抜いた桜本来の生命力と樹木の治療に尽力した村人の愛情と技術の賜物だった。
恐らく来年も残った枝葉から美しい桜花を開花させてくれるに違いない。
二人は冒険者街に入った。
街は教会とは一転、ガギーマが放った付け火の修復はほとんど終わっていた。
そして通りには大勢の冒険者と彼等を支える村人や商人が行き交い、活気に満ちている。
もう誰もここで眷属との血なまぐさい戦闘が遭った事など忘れた様な有様だ。
イーサンがマグナに聞いた。
「こっちの街に入るのは何回目だ?」
「今日が初めてです」
「そうか。スフィーリアに言われてか?」
イーサンの問いにマグナは頷く。
「では最初に一言、言っておく。街の中では何があっても不用意に動くなよ」
「不用意?」
「まあ、理由は追々、教えてやる。それよりも、まずは飯だ。奢ってやる」
それだけ言うとイーサンは大通りの一番東端にある食堂に入っていった。
食堂の看板には「牛筋亭」という看板が掲げられていた。
マグナも中に入るとすぐにウェイトレスが前に現れた。
女給は小柄で茶色い髪を三つ編みに束ねたかわいらしい少女だった。
年齢はスフィーリアやエリッサと同い年が少し上に見える。
「いらっしゃいませ! あ、イーサン先生」
「ああ、メリーナ」
「空いている席にどうぞ」
イーサンは女給と挨拶を交わした。
どうやら二人は知り合いで店もイーサンの行き着けの様だった。
イーサンはマグナを連れ窓際の席に座った。
メリーナがテーブルに近付くと水の入った陶器のグラスを差し出した。
「何に致しましょう」
「ランチを二つ」
イーサンはマグナの分も勝手に頼んだ。
それにマグナは黙って従う。
「ランチ二つですね。マスター、ランチ二つ」
メリーナは注文を受けると席から離れていった。
だが去り際にマグナの顔をジッと見詰める瞬間があった。
それにマグナは気付かない。
店はメリーナと年老いた店主の二人で切り盛りしていた。
店内は昼食時のピークが過ぎていた為、狭い店内は閑散としていた。
暫くしてメリーナがランチを運んできてくれた。
ランチは魚の塩漬けの乗った黒くて固いパンと野菜のスープだった。
マグナが黒パンにかぶりつく目の前でイーサンがパンを千切ってスープに浸す。
食堂の中ではメリーナが後片付けの終わったテーブルを拭いて回っていた。
そして時折、マグナ達の方を見る。
イーサンが食べながら仕事中のメリーナに話しかける。
「最近、変わりないか?」
「別に何も無いかな。あったとしたらこの前、弟が額に大きなタンコブを作って帰ってきた事くらい……」
「タンコブ? 学校で喧嘩でもしたのか?」
「それがアイツ、何も言わないのよ。心配して聞いても、姉ちゃんには関係ない事だって突っぱねるだけだし」
「そうか……子供なのに口先だけは一丁前だな」
「本当ね。それだけ口が回るのなら勉強にも身を入れてくれたら良いのに……」
メリーナは笑った。暖かな日の光の様な明るい笑顔だ。
「ありがとね、先生。いつもいつも、私達に気を揉んでくれて……」
「別に気にする事は無い。ただ前にも言ったが、若い頃、お前の親父さんには良く世話になった。それだけだ……」
「でも父さんの仲間だった人で未だにそうしてくれるのは先生だけよ」
イーサンの言葉にメリーナの表情は申し訳なさそうに答えた。
暫くしてマグナがグラスの中の水を飲み干してしまった。
「待ってて、水のお代わりを持って来るから……」
メリーナが二人の前から暫く離れる。
そして水差しを持って来ると空のグラスに水を注いだ。
だがその時、マグナは何か視線を感じた。
それはメリーナからの熱い視線だった。
メリーナは水が入ったグラスを置いても一向にマグナから目を離さない。
だがマグナにはメリーナがこちらを見詰める理由が判らない。
何とも訳の判らないふわふわした居心地だ。
そんな時だった、メリーナが突然、弾ける様に声を上げた。
「やっぱりそうだ! お客さん、あの時の人だよね!」
それに驚いたマグナが口の中の黒パンを思わず飲み込む。
「私の事、覚えてない? 覚えてないというか知らないか。お客さん、一心不乱って感じだったからね」
メリーナがつらつらと語り出す。
どうやらマグナは知らなくともメリーナの方はマグナを知っているらしかった。
だが当のマグナには身に覚えが無く、彼女の言動に戸惑うばかりだ。
「けど、強かったわよね。教会を襲ったガギーマを素手でやっつけちゃうんだもん」
その一言でマグナはメリーナの会話の趣旨を何となく理解した。
メリーナは一ヶ月前、村を襲った眷属の群れから逃げてきた避難民のひとりだった。
あの時、ブロタウロの猛突に轢かれれそうになったり、ガギーマに襲われりと、幾つもの災難に見舞われた少女が居たのだが、それがこのメリーナだった。
その後、スフィーリアに逃げる様に促されたものの、流石に一人で逃げるのには気が引けたのか引き返して桜の木の影から様子を覗った。
そこでガギーマ達を駆逐するマグナを目撃したのだ。
マグナは村人の誰もにとって恩人だった。
「ありがとうね。あなたのお陰で命拾いしたわ」
メリーナは感謝の言葉を述べた。
その表情には災厄を乗り切った者が見せる明るさに満ち溢れている。
「う、うん……」
だがそんな彼女の態度にマグナは生返事を返しながら困惑する。
「どうした。褒められているんだ。もっと喜んだらどうだ?」
イーサンが珍しく揶揄う様に促す。
しかしイーサンの言い方にも正直、どう反応して良いの判らない。
身に覚えのない人に感謝をされても、自分の行為の成否に実感が湧かない為、戸惑うばかりだった。




