第69話
イーサンとマグナは二人は揃って教会を出ていった。
マグナは医療器具の納められた大きな医療箱を背負うとイーサンの後を付いて行く。
イーサンは色黒で隆々たる体格をした元冒険者の男で回復士だった。
イーサンの年齢は中年の域に達した、頭は禿げ、多少太り気味で腹も出ていた。
そんな彼は普段は不愛想で必要以上の事は喋らないし、マグナもこの一ヶ月間、彼と真面に会話をした記憶はない。
そもそもマグナは会話の種になる様な記憶も経験もない、本当に空っぽの人間なのだ。
お陰で口下手なマグナが二人並んで歩くと、途端に会話がなくなり、まるで葬送の行進の様に静かになった。
「……」
マグナはイーサンの後ろを黙々と付き従った。
太り気味で腰が痛む割には僧医の足取りは機敏で、かなりの速足だった。
しかし常人離れしたマグナの健脚ならば荷物を背負いながらでもイーサンの後を楽に追えた。
マグナは村の周囲を見渡した。
普段は教会の敷地からだけしか見る事の出来ない遠くの風景。
だが今は、それが徐々に近付いていき現実味を帯びていく。
村には木桁と土壁の上に杮葺の屋根を乗せた民家が立ち並んでいた。
どの民家もこの地方で見られる平凡な木造建築だ。
だが村内を初めて訪れたマグナにはどれもが物珍しく、ただ田舎道を歩いて居ても飽きる事は無かった。
フラム村は中央に流れる川を境に西と東に分かれていた。
今、マグナが歩いて居るには教会のある東地区、元からあったフラム村だ。
そこは旧村とも言われ二百戸ほどの戸数と千人ほどの村人が住んでいた。
かつて村の生活を支えていたのはハルトーネの森の木々の伐採による林業とそれに伴う製材業か炭焼きが中心で、もしくは開墾した田畑による農業だった。
だが今の村の食い扶持を支えていたのは西の冒険者街での商売だった。
村は冒険者相手の商売で繁盛し好景気を迎えていた。
通りで露店を開いて食料や雑貨を売る者、店を構えて外から仕入れた装備品を売る者、人を雇って宿屋や食堂を経営する者、時には定住用のアパートや長屋の大家も居た。
中には冒険者になる者も居たが、森の恐ろしさを子供の頃から肌身で知ってか専門の戦闘職に就く者は稀で、ポーターと呼ばれる荷物持ちか道案内をするガイド職がほとんどだった。
そんな事もあって村人にとって冒険者は商売相手であって憧れや尊敬の対象ではない。
羨むのはせいぜい教会の学校に通う男の子達ぐらいだ。
村の中では人通りはほとんど見当たらなかった。
多くが西の冒険者街へ働きに行っているせいだ。
時折すれ違ってもほとんどが腰の曲がった老人か学校に上がる前の小さな子供達だった。
村人達はイーサンの顔を見るなり愛想良く挨拶をした。
時には話しかけて来る者も居た。
それは教会の善行が村の中で浸透している証だ。
イーサンは村人達に口少なげに対応した。
そして老人達は後ろに居るマグナを見ると誰かと訊ねる。
その度にイーサンは新しく入った掃夫だと答えた。
そんな老人達にマグナも「こんにちわ」と小さな声で挨拶する。
だがマグナは一ヶ月前の教会前の戦闘での英雄だ。
村人の中にも彼に見覚えが居る者も大勢居るはずだった。
しかし目の前の物静かで温厚な少年がガギーマ相手に鬼神の様に戦った彼とはどうしても結びつかず両者が同一人物だと気付く者は居なかったし、その事を当人のマグナもイーサンも言わなかった。
イーサンは回診の家々を一軒一軒、丁寧に巡回した。
マグナはイーサンに箱の中の薬を言われた分だけ渡すと外で待たされた。
家の中に居る患者に新顔の姿を見せ、余計な気遣いをさせない為だ。
外で待って居る間、マグナが外を見上げた。
上空ではハイヘロと呼ばれるトンビによく似た鳥が口笛の様な鳴き声を響かせながら空に大きな円を描いて飛んでいた。
暫くしてイーサンが戻って来ると、手にしていた蓋付のゴミバケツを渡わたされ、マグナは処理した。
「ここで午前中の回診は終わりだ。一旦、教会に戻った後、今度は冒険者街の方に行く」
珍しくイーサンが口を開いてマグナに今後の予定を説明した。
マグナが頷くと二人は何事も無く、ワリカット教会に戻ろうとした。




