第66話
一方、エリッサ達の会話を遠くから盗み聞きする一団が存在した。
その総勢三名の小さな一団は年端もいかぬ少年ばかりパーティで、少し離れた所にある大樹に上るとその枝葉の茂みの隙間から五人を観察していた。
彼等は自称「ハッシャーム遊撃隊」教会付属の学校に通う仲良し三人組の男の子達のパーティ……、と言うよりグループだった。
無論、冒険者ギルドにも登録されていない。
「ちぇ、何だってんだよ……」
リーダー格の少年が面白くなさそうに舌打ちした。
少年の名はバンダ・マイセン。彼等の中でリーダー的な存在、いわゆるガキ大将で、周りの子達より幾何か体も大きかった。
そして先ほど姉妹達の口から話題に上がっていた女の子達を虐めたり、マグナに暴言を吐いている悪童集団の張本人でもあった。
バンダは彼女達と親し気に語り合うマグナを眺めながら苦々しくつぶやく。
「あいつ、今度はスフィーリアお姉ちゃんといちゃついてやがる……。さっきはエリッサ姉ちゃんといちゃついていやがったのに!」
バンダが憎々しく罵る。
三人が彼女達を監視し出したのは今からほんの十数分前、エリッサの悲鳴が聞こえた時からだった。
空気を切り裂く顔見知り乙女の叫び声、すわ一大事と仲間を引き攣れて駆け付けてみれば、エリッサが何やら新参者の“どもり”と言い合っている。
「さてはエリッサお姉ちゃんに不逞を働いたな!」
意外な事にバンダの予測は的中していた。
伊達にフラム村でガキ大将を張っている訳ではない。
「ゆるすまじ! この手で天誅!」
そこで啖呵を切って押し掛けようとしたのだが、矢先、仲間の二人に止められた。
「止めるな、お前ら! 今日という今日はあのどもり野郎にここの仁義って奴を教え込んで……」
「そんな事よりバンちゃん。見てよ。レイジーとスイミーの告げ口姉妹もやってきたよ」
「それにスフィーリア姉ちゃんも一緒に居るよ」
「今は乗り込むのは不味いって!」
そう友達の二人にバンダは諭される。
友達の名はクベッチとヤンマ。クベッチがウリナリ顔の痩せ細った少年でヤンマが猿顔の少年で三人の中で一番、体が小さい。
二人に言われバンダも思い直す。
そうだ。確かに不味い。ここであのどもり野郎を懲らしめる事は簡単だ。
だがその後、姉妹がある事無い事、ハリカ先生に言いふらすに違いない。
ハリカ先生はああ見えて厳しい。
怒る時は自分達は元より、自分の娘達でさえ容赦なく雷とゲンコツを目一杯落とす。
仕方なく一旦、ここは押し掛けを変更。傍にあった大樹によじ登り枝葉の中へと身を隠し様子を見る事にした。
森の側の村で生れ育っただけあって皆、木登りは上手だ。
三人はスルスルと大樹に上ると、枝の中に身を隠しながら暫く五人の様子を窺った。
するとベンチに座っていたエリッサが立ち上がり、マグナの横に立つといきなり色目を使って体を摺り寄せた。
だがそれを見たスフィーリアも後から立ち上がって怒った顔で二人を引き離そうとする。
何やらエリッサとスフィーリアが言い争っている。だがハッシャーム遊撃隊の居る所からは二人の会話は聞き取れない。
「なに喧嘩してるんだ?」
バンダは首をかしげる。
「さあ? ここからじゃ聞こえないね」
「だったらもうちょっと、近付いてみる?」
ヤンマが同調しクベッチから提案される。
しかしバンダは首を横に振った。
下手に近付けば自分達の所在が姉妹にバレてしまう。
そうなってはエリッサやスフィーリア達からは盗み聞きされていたと思われかねない。
結局、三人は大樹の上から各々で三人の会話を推測するしかなかった。
実際、エリッサ達の会話は大した話ではなかった。
姉妹の話が一区切り付いた後、エリッサがマグナのパーティ入隊の勧誘を勧めようとしたので、それを察したスフィーリアが必死に止めているだけのいつもの言い争いだった。
だが三人にはもっと重大な別の口論に見えて来る。
「あれって、もしかしてエリッサお姉ちゃんがアイツに言い寄ってるんだけど、それがスフィーリアお姉ちゃんが面白くないから怒ってるんじゃ?」
「いわゆる恋の鞘当て?」
そうヤンマとクベッチが可笑しそうに掛け合う。
「ちょっと、エリッサ! 彼から離れなさい! 彼は私のダーリンですわよ!」
と、クベッチがスフィーリアの口の動きに合わせてアテレコする。
「何よ! 彼に最初に目を付けたのはこの私よ! あなたこそ彼から離れなさいな!」
と、今度はヤンマがクベッチのアテレコを受けてエリッサの声真似をする。
「おあいにく様! きちんと主の前で愛を誓い合ったのはこの私ですわ!」
「いいえ、こっちが居ぬ間に勝手に彼を礼拝堂に引き摺り込んだくせに! この泥棒猫!」
「泥棒猫ですって! 言うに事、欠いて! あなたと言う人は!」
「何よ! 本当の事じゃない!」
「こうなったらあなたとは絶交ですわ!」
「ふん! こっちだって清々するわ!」
そして最後に「むむむむむ……」と声を揃える。
もう二人とも自分達の小芝居がおかしくて爆笑寸前だ。
だが噴き出した途端、突然、二人の頭にポカポカとゲンコツが飛んだ。
「あ、痛た!」
「たたたた……」
「バカか! 詰まんねえ小芝居してるんじゃんねぇ!」
二人を殴ったバンダが怒りを露わにする。
「でもバンちゃん……お似合いだと思わない?」
「そうだよ。どっちがくっついてもいい感じのカップル……」
ボカボカ!
「うぎゃ!」
さっきより力の籠ったゲンコツが二人の頭上に降り注ぐ。
「うるさい! 黙ってその減らず口を閉じやがれ!」
二人の心無い言葉にバンダのイライラが止まらない。
しかしバンダの怒りには一分の理があった。
何故ならエリッサとスフィーリアは生徒達のアイドル的な存在だった。
少し年上で社会的に自立し頭も良く村の外の情報をもたらしてくれる。
そして二人とも飛び切りの美人で誰にも分け隔てなく優しいのなら人気が出ない訳が無い。
そんなバンダの推しはエリッサだった。
彼は度々、教会に顔を見せる彼女の溌溂とした美しさに惹かれていた。
それは珍しい事ではない。少年時代に誰もが体験する初恋の様な通過儀礼だ。
だが最近、純真な少年の心を掻き乱す者が現れた。
他ならぬマグナ・グライプだ。
マグナは常にエリッサから執拗に気に掛けられていた。
時にはエリッサが色仕掛けを仕掛ける様にさえ見える。
その様子がバンダには気が気でならない。
だがそれに反応したのは何もバンダだけではない。
レイジーとスイミーを含む、学校の女の子達もあの少し大人なエリッサの動向に夢中になっていた。
それどころかそこにスフィーリアの存在も絡んでくる。
お陰で女の子達の没入感はバンダ達、男の子たちよりも根深い。
マグナは長身で美男子であり、尼僧と精霊師は誰もが焦がれる美人なお姉さん。
村の中の女の子達は三人が繰り広げる男女の語らいの中におとぎ話の恋愛物語と重ね、その光景に魅了され酔いしれていた。
そして少女達の近況の話題はマグナが将来、どちらのお姉さんを選ぶかという事だった。
だがそんな状況がバンダ少年には面白い訳がない。
大好きなエリッサが取られるかもしれないという危機感と、色めき立つ女の子達の陶酔する様が何とも言えず癪に障る。
だからバンダはその憂さ払しの為に、友達と一緒にマグナを気に掛ける女の子達やマグナ本人に意地悪をしたりに心無い罵声をあびせたりして悪態を繰り返していたのだ。
だがそれでエリッサが振り向く訳も無く日々の悪評だけが蓄積されていく。




