第62話
フラム村の冒険者達が火焔竜を撃退して一ヶ月ほどが過ぎた。
あれから村では火焔竜とその眷属の襲撃を一切、受けていない。
お陰で村の中は戦いとは無縁の穏やかな日常を送っていた。
その一方で眷属に侵入された村の復興は芳しくなく、今も村内の方々で戦いの傷痕が残ったままになっていた。
理由は防衛拠点である西の砦や城壁の修復が優先された事と、損害の規模に対して修繕を請け負える大工の数が少ない為だ。
故に破壊を受けた壁や屋根は幌などで覆うだけで穴が開いたままの所が至る所にある。
それは村の中にある唯一の宗教施設、ワリカット教会も例外ではなく、ブロタウロによって開けられた礼拝堂の壁も瓦礫の処理と幌が掛けられている以外はそのままになっていた。
ただ襲撃の際、炎に晒された五本の桜の生存は確認された。
火事の損傷も有志の村人達の懸命な治療により何とか乗り切り、数年後にはまた前と同じ様に満開の花びらを咲かせるようになるという。
そんな状況の中、マグナ・グライプは教会の中で住み込み掃夫として働いていた。
掃夫とは簡単に言えば雑用係だ。
そして今日も日々の仕事に励んでいる。
今も先ほどまで行っていた薪割りの道具を作業場の倉庫に片付けている最中だった。
掃夫としての役職は身寄りのないマグナを思ってこその教会側の配慮だった。
そして毎日、教会の雑役に汗を流す傍ら、学僧のハリカとスフィーリア、そしてエリッサによる教育を受けるといった生活を送っていた。
「は~い、マグナ?」
倉庫の扉を閉めた頃、弾むような声でマグナに呼び掛ける者が居た。
友達の冒険者、エリッサ・ブンダドールだった。
「おかえり、エリッサ……」
エリッサをマグナ。グライプがたどたどしい口調で出迎えた。
彼女は自身がリーダーを勤める冒険者パーティ「ワイルドキャット団」の精霊師だった。
そして今から一ヶ月前、コモラ迷宮の最下層で彼を見つけた発見者でもあった。
「元気? 今、何してたの?」
「ええっと、薪割りが終わったから……。道具を片付けた……今、終わった」
訊ねて来たエリッサにマグナが懸命に説明した。
それをうんうんと嬉しそうにエリッサも相槌を打つ。
一ヶ月前から始まったマグナの社会復帰プログラムは順調に進んだ。
まだぎこちなさが残るものの今では他人との意思疎通が出来る程度の能力と思考を手に入れていた。
先ほどの何気ない挨拶や会話のやり取りも教育者三人の努力の賜物だ。
だがそれだけにマグナの学習能力も驚異的なものだった。
彼はここに来てから初歩的な会話と文字の読み書き、基礎的な算術を早々に会得した。
その物覚えの良さにハリカ先生は彼の成長を見てこう推論した事がある。
「彼は記憶が無いのではなく、記憶を失ったのではないかしら」
もし記憶が無い、まっ白な状態ならば、彼の思考の成長は赤ん坊が幼児になるのと同じだけの時間が必要なはずだった。
だがこの短期間で会話や行動を展開させられるのは本来、それが出来るだけの基礎が元から備わっていたのではないか。
そして現在、再教育によってその基礎を埋もれた記憶から再び呼び起こしている状態なのだと……。
ならば教育を続けるうちに忘れていた過去の記憶を呼び戻す可能性がある。
しかし一ヶ月経っても彼が昔の自分の事を思い出した形跡は何一つ無い。
「よっこいしょ……」
エリッサが傍にあったベンチに腰掛けた。
そして大きく溜息を吐く。
「どうしたの?」
マグナが不思議そうに訊ねた。
「う~ん……。流石に疲れたかな。森の中を一日中、歩き通しだったんだもの」
エリッサがぼやきながら肩を竦めた。
彼女は村と隣接するハルトーネの森での冒険からの帰りだった。
目的は森内の歩哨、村への襲撃以降の地縛竜の動きを警戒しての事だった。
とは言え、襲撃から既に一ヶ月が経過していた。
何処を見渡しても森の中で眷属達を見つける事は出来ない。
だが地縛竜とその眷属達は狡猾だ。
撃退したといっても森の中に潜んで次の報復の機会を伺っているかもしれない。
その備えの為に砦の守備隊からギルドを通して歩哨の依頼が常時、寄せられていた。
ワイルドキャット団も一ヶ月前からその依頼に付いていた。
最近は留守の多いスフィーリアも交えての4人揃っての冒険が多い。
だが先行する人狼族のロウディと人描族のミャールとは違って、エリッサとスフィーリアはマグナの教育係の掛け持ちの関係から幾らか出遅れての参加だった。
「何だよ、まだあいつの御守りを続けるのかよ……」
教育活動の事を知ったロウディは露骨に嫌な顔をした。
彼はまだ迷宮の最下層で発見されたマグナの事を信用していなかった。
だがエリッサはそんな彼等の前でいつの日かマグナをワイルドキャット団の正式なメンバーとして迎え入れる事を発表した。
当然、ロウディは強く反対した。
「冗談じゃ無ぇ! どこの誰かも判らない奴に背中を任せられるか!」
そしてメンバーの中でもう一人、反対者が居た。
回復の要でもある僧侶のスフィーリアだ。
しかしスフィーリアの反対理由はロウディとは全く違っていた。
「彼の様な心優しい人を戦いに巻き込むなんて私が許しません!」
スフィーリアは教会所属の尼僧であり、マグナの教育者のひとりでもあった。
マグナには平穏無事な生活を送ってもらう。それはスフィーリアの強い信念でもあった。
冒険に誘おうとするエリッサと意見が合う訳が無い。
そんな中、斥候で人描族のミャールは「どっちでもいいニャ」といったどっち付かずの態度を取っている。
結局、理由は違えと二人の強固な反対のせいで未だにマグナのパーティ加入は認められていない。
だがエリッサにも考えはある。
「冒険者は自分の見た物しか信じない」
それは冒険者なら誰もが知っている格言であり、危険に身を置く者はリアリストであれという戒めでもあった。
だが逆に言えば見る事さえすれば信じるという訳だ。
ならロウディもマグナの強さを目の当たりにすれば考えを改めるはず。
「そうなるとロウディにどう見せるかだけど、問題はスフィーリアよね……」
何故なら現在、マグナは教会からの外出許可がほとんど出されていない。
スフィーリアが頑なに外に出さない様に仕向けて居るのだ。
原因は二つ。メガグラーデとの戦闘の際、マグナが負傷した事。更に同日、教会内で起きた二人のガギーマによる不意打ちの件。
その二つの事件でマグナは相手を敵だと判断すると攻撃行動を起こしてしまっていた。
それをスフィーリアは問題視し、司祭様にもマグナの外出許可は時期早々と二の足を踏ませているのだ。
「さてどうしたものかしらか……」
エリッサは頭を抱える。
「何にしてもマグナには外に出て戦って貰わなきゃ話にならないんだけど……」
だが最近、眷属の影が村の周りで発見されていない。
これではまた教会が眷属に襲われでもしない限り、ロウディがマグナの戦う様を見る事はないではないか。
だが何より最も重要な問題が残っている。




