第6話
そんな時、迷宮全体が左右に大きく揺れた。
「地震ニャ!」
ミャールが叫んだ。既に大空洞以外も崩落が始まっているのだ。
「こりゃ、ヤバいな……。ここに長居してたら圧し潰されるかも」
「脱出しましょう。ロウディ、彼を背負って」
「背負うって、こんな何処の誰かも判らない奴をか?」
「そうよ、怪我人だもの。放って置けないわ」
「けどよ……。そんな海の者とも山の者とも……」
「もしかしたら迷宮に隠れてた犯罪者かもしれないニャ」
「四の五の言わない! 早く背負う!」
「やれやれ……」
仕方なくロウディはエリッサの代わりに少年の体に腕を回した。
人狼族の少年の怪力は軽々と負傷者の体を担ぎ上げる。
「ミャールは先行して。後ろは私が固めるわ。まだ眷属が残っているでしょうし」
「了解ニャ!」
パーティはロウディを挟んで動き出した。
最下層からの坂道を抜けると、通路は地上へと続く螺旋階段となっていた。
三人は駆け足で階段を上っていく。
だが上の階に近付くにつれ地震の揺れは更に激しさを増していった。
「ミャール、後、どれくらいで外に出られそう?」
「この辺りのマッピングは終わってるから、早ければ2時間くらいかニャ」
「出来るだけ急ぎましょう。さっきから迷宮の崩壊速度が早まってるわ」
「ならここも一巻の終わりって事か。俺達の調査も無駄骨だったって訳だな……」
「みんな急ぐニャ。ぐずぐずしてたらぺしゃんこニャ」
パーティは上へ上へと目指した。
しかし上に行けば更なる問題が待っていた。
何故なら迷宮の最下層より上の階層はひとつひとつが地下の町になっていた。
当然、迷宮の中で天変地異が起きれば町に居た眷属達も通路に向かって溢れ出す。
そうなれば三人は敵である眷属の群衆を掻き分けながら出口まで登り切らなければならない。
しかしこの迷宮だけでもおびただしい数の眷属達が住んでいる。
そんな数を三人だけで振り切る事など到底、不可能だ。
だがその前に三人にはやっかいな困難が待ち構えていた。
上へと続く螺旋階段の通路が巨大な落石で既に塞がれた後だったからだ。
「チキショー、行き止まりだぁ! これじゃあ、上に上がれない!」
少年を担いだままロウディが怒りと嘆きが混ざり合った声を上げる。
「ミャール、落石は壊せそう?」
「岩が大きすぎて、ちょっと無理ニャ」
「他に上に行く通路は?」
「無いニャ! ここが一本道ニャ」
万事休す。四人はこの迷宮で完全に閉じ込められた事になる。
だがこんな中でもエリッサは頭を巡らせる。
何とか脱出する方法を探さなくては……。
そんな時、ある事を思い出した。
「ミャール、ここって二十五年前にも人類側の大規模な冒険があった所よね」
「そうニャ。その時も前の主の地縛竜の討伐が目的だっただったはずニャ。今更、それがどうしたニャ?」
「あなたの持っている地図にその時の道は記されてない?」
「確かにあの時の地図を元にして修正しているから描いてあるニャ」
「だったら昔の通路を使いましょう。そこからでも外へ脱出出来るはずよ」
「成程、先人の知恵を借りるって訳だな」
「でも流石に迷宮の造りは昔とは変わってるニャ。使わない通路も埋め戻されて通れない所も多いニャ」
「むしろそこが狙い目よ。ここは今の地縛竜が住み着いて日も浅いわ。多分、所々が突貫工事で閉鎖した出入口も表向きなだけで、完全には埋め戻されてないと思うの」
「うみゅ~。そんな都合の良い様になっているかニャ~」
「とにかく行ってみましょう。今はそれに賭けるしかないわ」
エリッサの発案にミャールは手にしていた地図を拡げると、直ぐに目当ての通路を見つけた。
「あったニャ! この近くに上に続く通路が!」
「本当?!」
「やったぜ!」
「でも、そっちも埋まってニャければ良いけどニャ……」
ミャールの心配は尽きない。
それでも一向は古い通路のある方へと向かった。
通路は階段沿いの少し下に降りた岩壁の向こうにあった。
ミャールが岩の壁に手を置きながらエリッサに言った。
「ここニャ! この壁の向こうに外に通じる通路があるはずニャ」
「判ったわ。みんな退いてて。これから壁を突き破る!」
そうエリッサが答えると彼女は壁に両手を翳しながら土の精霊魔法を詠唱し始めた。
「ああ、偉大なる土の精霊ドグラよ。我に大地をも裂く強大な力を授け給え……」
グランバスター! 最後に呪文の名前を唱えた途端、エリッサの両掌から凄まじい爆発がほとばしり壁の岩盤を一撃で砕いた。
土煙の後に上の階へと続く古びた通路が姿を現す。
「やったニャア!」
「まだ埋まってなかった!」
歓喜する二人の声にエリッサの気持ちも昂る。
「さあ、ぐずぐずしれられないわ。このまま脱出よ!」
「了解!」
一行は再び開いた古い通路に乗り込むと、一気に駆け上った。
幸い古い通路も狭い螺旋階段となっており、地上まで真っ直ぐに続いている。
脱出の最中、恐らく地下三階まで来た所で足元から強い揺れが伝わった。
下層が完全に崩落した振動だった。
「ふう、間一髪だったニャ」
だが一行が居る階段も安全ではない。
「こりゃ、いけねぇ……。早く脱出しないとペチャンコだ」
「でも勿体ないニャ。まだ迷宮の中には置きっぱなしの宝箱が一杯あるはずニャ……」
「そうだよな。脱出前に回収する手筈だったのに……」
「それも命あっての物種よ。上の階層もこのまま持つとは限らないし、何より眷属とまた鉢合わせでもしたらそれこそ大変よ」
だが幸いな事に、どんなに上っても帰りの通路内でエリッサが心配していた様な眷属との遭遇は無かった。
「さっきまであんなにいっぱい居たのに変だニャ」
「多分、こっちの通路は本当に閉鎖されてたんだな」
「なら好都合よ。このまま一気に登り切るわ!」
やがてパーティはコモラ迷宮からの脱出に成功した。
通路の出口は草木に覆われた深い森の中にあった。
だが今のコモラ迷宮の出入口とは離れた場所にあった様で、周囲に脱出して来た眷属の姿も見えない。
その後、すぐに迷宮から凄まじい振動が地面から伝わって来た。
本来の迷宮の出入口の付近からは長大な土煙が上がり、地盤も周囲の森の木々を巻き込みながら広範囲で大きく陥没していった。
迷宮は完全に崩壊し、地下世界へと誘う道は永久に閉ざされた。
そしてあの少年が乗っていた謎の黒い樽の事も……。
三人は遠くの土煙を眺めながら安堵する。
「ひゅう~。危ない所だったぜ」
「一時はどうなるかと思ったニャ~」
「これで歴史あるコモラ迷宮もオシマイだな」
「残っていたお宝もオジャンだニャ……」
「嘆くのは後回しよ。すぐにここから離れましょう。せっかく脱出出来たのに、ここで眷属と遭遇戦なんて御免だわ」
「了解」
三人は崩壊した迷宮から離れるとそのまま森の中を進んだ。
森はハルトーネの森と言われる大陸の8分の1を覆う広大な大森林地帯だっだ。
広葉樹が生い茂る自然林で多種多様な動植物で溢れている自然の楽園でもあったが、同時に敵対する地縛竜と眷属だけでなく、他の獰猛な野獣や魔獣も徘徊する危険地帯でもあった。
更に森と言っても標高2000mに達する山岳地帯を内包し、地形の起伏は激しく平坦も少ない。要はここでの移動は登山のそれで、進むも戻るも難儀な道が果てしなく続いていた。
それでも森の中を三人は慣れた足並みで進んでいく。
皆、健脚で迷宮を出た後にも関わらず野山を駆けるヤマネコの様に疲れを知らない。
ワイルドキャット団。それが三人の冒険者パーティの名前だった。
メンバーは斥候一人、剣士一人、精霊師一人の構成で、遠出が可能な、ほぼ最少人数の編制だった。
だが正規の人員は四人で、実際はこの中に回復師が加わるはずだったが、今回は他の用事で作戦には不参加だった。
エリッサはロウディの背に担がれた包帯捲きの少年をしきりに心配していた。
「気になるのか?」
エリッサの視線を感じてかロウディが訊ねる。
「うん、村まで持ってくれればいいけど……」
エリッサが正直につぶやく。
エリッサはこのワイルドキャット団のリーダーでもあった。
「それで? 最下層で何があった?」
「判ってる。私が見たままの事を話すわ。最も、聞いたところで信じられないでしょうけど……」
エリッサは二人に最下層で起きた事をありのまま話した。
地縛竜に追われていた時に樽に乗った少年が突然、現れた事、地縛竜と単身で戦った事、光の槍で撃退した事の全てを語った。
「どうかしら? これで全部よ……」
エリッサは二人に向かって全てを話した。
しかしそれを聞いた二人はしばらくぽかんと口を開けながら唖然としていた。
「信じられ無いニャ……」
「地縛竜を一人で追っ払ったなんて……」
明らかに突拍子が無さ過ぎて信じられないといった感じだ。
最も二人の関心は地縛竜との戦いに集中し、少年が乗って来た黒い樽の方には興味が無い様だった。
「二人がそう思うのも無理ないわ。私だって自分で見た事をまだ信じられないで居るんだもん……」
二人の反応にエリッサは溜息を吐く。
だがそんなリーダーの前でロウディは意外な言葉をつぶやいた。
「俺は……。逆にこのまま森の奥にでも捨ててきた方が良いと思うな」
「え?」
「連れて帰ると良くない事が起きる様な気がしてならない……」
「ロウディ……」
「だって、そうだろ? こいつ、名前も素性も判らない、得体の知れない野郎だろ。だいたい迷宮に突然現れ、一人で地縛竜と戦ったってのが最高に変だ。村に入れるのは危なすぎる」
人狼族の少年の言葉にエリッサは困惑する。
だが彼の正直な気持ちでもあった。
ロウディの性格は粗野で物事は、はっきりと言う質だった。
そして用心深い。
その分、彼の言葉には充分に理がある。
包帯に巻かれた少年の事については不明な事だらけだ。
それどころか真面な精神の持ち主かすら判っていない。
碌な装備も無いまま迷宮の最下層で地縛竜と戦う様な人物だ。
目覚めた瞬間、狂乱し暴れる可能性もある。
しかしそんなロウディの懸念をエリッサは否定した。
「大丈夫よ。彼は地縛竜の火焔から私を守る為に盾になってくれたんだから。話したでしょ?」
「けどそれは偶然、偶々そう見えただけかもしれないし……」
走りながらロウディが返す。
「いいえ、間違いないわ。そんな事、強い意志が無ければ出来ない事よ。それに、これって確実に味方って事の証明でしょ?」
「まあ、そうかもしれないけど……そうかなぁ?」
「そうよ、間違いないわ。彼は敵じゃない。ミャールもそう思うでしょ?」
「そんな事、判んニャいニャ。そもそもコイツとはしゃべった事も無ければ起きている所も見てないニャ。ただリーダーが連れてくって言うから別に反対もしないだけニャ」
「そうだな、エリッサが全部責任取ってくれるってなら俺も別に構わないぜ」
「もう、二人とも冷たいわね……。私達、仲間でしょ?」
二人のつれない態度にエリッサは溜息を吐く。
何にしても、パーティ内の方針は決まった。
三人はこのまま少年を伴って村への道を急ぐ事になる。
だがその後、ロウディの予感が的中するどころか、将来、この少年を巡って、世界を巻き込む大波乱が起きる事になろうとは、この時、ここに居る誰もが知る由もなかった。