第56話
教会から離れたシシリーはその足で傍を流れる小川へと向かうと、そのまま上流へと登っていった。
「あぶねぇ、あぶねぇ……。危うくあの野郎に見つかる所だったぜ……」
そうつぶやきながらひとり胸を撫で下ろす。
シシリーはマグナの恐ろしさを充分に理解していた。
仲間達が素手で殺されていくのをこの目で見ていたのだ。
真面にやりあって勝てる相手ではない。
だからこそが恐らく奴が今回の計画の最大の障害になるはずだ。
「だったらこっちにも策を練らなきゃな……」
シシリーがそのまま川沿いの土手を歩いていくと昆虫の体液で汚れた跡が見つかった。
そこは数時間前、マグナがグラーデと戦った場所だった。
シシリーは更にその先へと進む。
すると一本の木の橋が川に掛かっていた。
「多分、この辺りのはずだと思うが……」
シシリーが橋の下を覗き込むと何やら蠢いている黒い影が見えた。
「やっぱり居やがった……。おい! 出てこい、ベニズ!」
シシリーが橋の下でうずくまる黒い影を蹴った。
「あ、痛ぁ!」
橋の下から悲鳴が上がった。そしてシシリーの方を覗き込む。
現れたのは一人のガギーマだった。
「シ、シシリー?」
「やっぱりここに隠れてやがったか……。さっさと出てこい!」
シシリーに呼ばれてガギーマが橋の下から這い出て来た。
ガギーマは半裸で装備品らしい物は何も持って居なかった。
代わりに千切れたグラーデの脚を持ちながらくちゃくちゃと口から汚らしい咀嚼音を立てていた。
「虫遣いが商売道具を喰ってちゃ、オシマイだな……」
「うるさい! こっちにだって理由ってもんがあるんだよ!」
シシリーの皮肉にガギーマが嫌そうに返す。
橋の下から現れたガギーマの名はベニズ・ケルシー。シシリーと同じ様に村を襲ったガギーマの一人だった。
「でも、良くオラが隠れているのが判ったなぁ……」
「ギルドの掲示板にこの辺りでグラーデが暴れてたって出てたからな。それにお前、普段から暗くてジメジメしたところが好きだったろ? まるで虫みてぇによ。そこでピンと来たって寸法さ」
「ふん!」
シシリーの蔑んだ指摘にベニズは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
ベニズの職業は虫遣い。ガギーマでは珍しい職能だった。
先日の冒険者街を襲ったグラーデも先ほど土手に出現したグラーデも彼の仕業だった。
あの日、ベニズはシシリー達、仲間と共に砦の間隙を縫って冒険者街に潜入した。
彼等が潜入に使ったのは村を覆う土塀の城塞に開けられた秘密のトンネルだった。
だがトンネルは眷属達が空けた侵入口ではない。
いちいち砦を通る煩わしさから逃れる為にこのフラム村の村人が極秘裏に開けた出入口でそんな穴が村を囲う長い城塞の何ヶ所かに外から見えない様に作られていた。
そのひとつが事前の偵察活動で眷属側が特定されており、ベニズとグラーデを含むガギーマの一団がそこから村へと侵入したのだ。
無論、グラーデの群れの中にはあのメガグラーデも居た。
因みに教会を襲ったブロタウロは彼等とは別の部隊の闘士で、砦の防御線を単独で突破した豪傑だった。
ベニズは作戦の指示通り百匹ほどのグラーデを連れていくと、部隊を大小の二つに分け、その大半を仲間の援護の為に冒険者街へと放った。
しかし彼のグラーデはエリッサ達、居残り組によって瞬く間に全滅させられた。
仕方なくベニズは街を後にすると残ったグラーデを連れ、今度はブロタウロと仲間が暴れる教会へと向かった。
だが移動途中に教会前で仲間達が全滅した事を知ると慌てて転進。そのまま小川沿いに北上しこの橋を発見すると、桁下にグラーデの群れを押し込み一緒に身を潜めた。
後はほとぼりが冷めるのを待って脱出するだけだが、何時までもここに留まってはいられない。
戦闘が終了すれば、直ぐに眷属狩りが始まり、近いうちにここも発見されてしまう。
村からの脱出は性急な問題だ。
しかし秘密のトンネルに辿り着くにはまだ村の中を移動しなければならない。
それもグラーデの群れを引き連れての移動など見つけてくれと言わんばかりだ。
仕方なくベニズは二日間、橋の下に潜伏し人通りが減るのを待った。
だがここでグラーデの一部が突然、橋から飛び出し、南からやってきたマグナ達と遭遇し戦い出した。
戦いはグラーデ側の全滅で終了した。
ベニズは何も出来ず、ただグラーデやメガグラーデが殺されていく様を隠れて見ている他なかった。
だがグラーデ達が全滅してくれた事にベニズは内心、ホッとしていた。
自分を縛る存在が消えてくれたので気が楽になったのだ。
蟲使いにとってグラーデは道具でしかない。愛も無ければ情も無く、死んでしまえばまた増やせばいい位の価値しかない。
今まで残していたのは脱出の際の揺動に使う為なのだが、正直な所、あまりの数の多さに持て余し気味だった。
一方、グラーデ発見の報を受けた村側は警戒体勢を強めてしまった。
この事はベニズが村から脱出するチャンスを完全に失った事を意味する。
結局、橋の下で身を潜め震える他なかった。
そんな所を仲間のシシリーに発見された。




