第55話
エリッサと別れたスフィーリアはマグナは供に教会の礼拝堂の中に居た。
そして朝と同じ様に壁に掲げられたザイーナを象徴する太陽のモニュメントの前で夕方の祈りを捧げていた。
しかしスフィーリアは祈りに身が入らない。
代わりに隣に居るマグナの横顔を時折、チラチラ眺めていた。
「まだ彼の中に主は居られないのでしょうね……」
そして溜息混じりにつぶやく。
スフィーリアの心の中では、まだあの小川での出来事が離れずに居た。
マグナはその手でメガグラーデを倒した。
同時にマグナは少なからず負傷を負ったがスフィーリアとレムリアの治癒魔法と彼が本来持つ驚異的な回復力によりすっかり元通りになった。
だがそれ自体は些細な事だった。
問題はこちらが指示を出す前にマグナが動いた事だ。
あの行動には明らかにマグナの意志があった。
自分で感じ、自分で考え、自分で動いた。
本人にどれほどの考えがあったのかは不明だがそれは事実だった。
同時にそれはスフィーリアがマグナの意志を制御しきれなかった事を意味する。
マグナの戦いを制止出来なかった。
その事実はこの尼僧に少なからずショックを与えた。
治療の後、スフィーリアはマグナを叱りつけた。
そして出来るだけ多くの言葉を使って戦ってはならない理由を説明した。
今のマグナに自分勝手な行動を取らせてはならない。
感情の赴くまま、あの光の槍を振るってはならない。
しかし幾ら説明してもマグナは困った顔をするばかりで、こちらが窘める理由をほとんど理解できていない様だった。
結局、スフィーリアは自分の説得が失敗に終わった事を認める他なかった。
ならば、この先もマグナは自らの本能の赴くままに戦い出すかもしれない。
しかし問題はそれだけではない。
その矛先が一体、誰に向くか……。
もしかしたらマグナの敵意が地縛竜とその眷属だけに向けられるとは限らない。
それを思うとスフィーリアは背筋が寒くなる。
「私は……彼を上手く導く事が出来るのでしょうか……」
自信が揺らぐ、問題の困難さにスフィーリアは頭を抱えざる得ない。
そんな時、背後の大扉の方から呼び鈴代わりの小さな鐘の音が鳴った。
スフィーリアが出迎えると玄関の外では四十二人の冒険者が立っていた。
彼等はこれから森へと出発する大所帯の冒険者達だった。
「やぁ、シスター・スフィーリア」
先頭に立っていたパーティのリーダーらしき男が挨拶代わりに声を掛けて来た。
男は日に焼けた大柄の人間で鎧の上から獣の毛皮を纏った戦士だった。
「まあ、マコリさん、ごきげんよう。これから夜戦ですか?」
スフィーリアも知り合いらしく気軽に挨拶を交わす。
「ああ、これから森で追撃戦だよ」
男の名はマコリ・イラーグ。総勢二十五名の冒険者パーティ「スレンブルの蹄団」のリーダだ。
「なら、礼拝でしょうか?」
「そうだよ。安全祈願を願いたい」
スフィーリアが聞くとマコリは答えた。
敬虔の深い冒険者なら作戦の安全祈願の為、出発前に教会に立ち寄る事はごく普通の事だった。
「頼めるかい? 四十二人分、五つのパーティの混成だ」
「随分と大所帯で御座いますね」
「これでもウチは半分休ませているんだ。昨日、今日とで戦闘が続いているから」
「承知、致しました。ですが申し訳ございません。生憎、今、司祭は外出しており私が執り行う事となりますが……」
「それは願ったりだ」
「美人の尼さんの祈願ならこちらこそ大歓迎だよ」
リーダの後ろから他のメンバーの声が上がる。
「まあ、そんな言い方をされては流石に恥ずかしいですわ」
そう言ってスフィーリアははにかんでみせた。
「まあ、よろしく頼むよ」
「判りましたわ。皆様……」
どうぞ奥へ、とスフィーリアは言いかけた。
だが直ぐに考えを改める。
訪れたパーティの中には人間以外にも、あらゆる種族が加わっていた。
人猫族に人馬族に人羊族の戦士。トカゲ人間の回復師に土竜人間の精霊遣い。
獣の種族だけではない。人間の子供程度の身長しかないが列記とした成人の小人族に皮膚が鋼で出来た鋼人族の剣士までいた。
人間とは明らかに違う人々、だが彼等は人間と同種、同じ人類だ。
神が生み出した素晴らしき多様性。
だがこの世界の者でない限り、間違いなく魔獣の群れか眷属の集団と勘違いするはずだ。
そしてこの世界の人間であっても、唯一、その勘違いを起こすであろう人物がこの礼拝堂の中に居た。
マグナだった。
マグナが彼等の人間とは違う姿を見て、眷属と判断する可能性がある。今の彼に人間以外の種族と接触させる事は時期尚早、何かが起きてからでは遅いのだ。
スフィーリアは慌てて祭壇の傍に居たマグナの姿を探した。
マグナは背を向け元の場所で祈りを捧げたままだった。
スフィーリアはマグナに言った。
「マグナ、お祈りはもうよろしいですわ。部屋の方へ戻って休んで下さいまし」
そう指示するとマグナは素直に従って礼拝堂から離れていった。
スフィーリアは安堵すると今度は外に待たせていたパーティの面々を礼拝堂の中へと導いた。
そしてスフィーリアの後に続いて礼拝堂の中に入ると、全員が神前でパーティごとに整列した。
「では少々お待ちください。今すぐ準備致しますわ」
スフィーリアが準備の為に一旦、彼等から離れていく。
「よかった……。何事もなくて……」
マグナが素直にここから離れてくれた事でスフィーリアは密かに安堵した。
しかし思い返せばマグナがここに来た日、ミャールとロウディ達を目の当たりにしていたではないか。
「よくよく考えてみれば、私の思い過ごしかも……」
過ぎたるは及ばざるが如し。
結局は自分の老婆心か。
スフィーリアはひとり苦笑いを浮かべる。
暫くしてスフィーリアによる安全祈願の拝礼が始まった。
「ここに居る勇ましき勇者に主のご加護を……」
スフィーリアが教典を片手に言葉を唱えた。
そして右手の持った鈴が幾つも付けられた神具を頭を垂れる冒険者達の前で鳴らした。
シャリン、シャリン、シャリン……。
心地よい鈴鳴りの音が礼拝堂の中で響き渡る。
教典の言葉にも振り翳された鈴の音にも神聖魔法の霊力が込めらていた。
ザイーナは現世利益の神でもあった。
祈って神に寄進すれば光陰の加護が今すぐに受けられる。世俗的で打算的ではあるが、同時に旧大陸で生きる人々の間で、この神が急速に広まった理由でもあった
礼拝堂の中で四十二人分の視線が一人の尼僧に集まっていた。
誰もがこの若すぎる尼僧に敬意や情愛の念を抱いている。
だがそんな中、一度、礼拝堂の外に目を移せば唯一人、強い憎悪と邪淫な視線を向ける者が居た。
それは窓際から中を窺っていたガギーマの眷属の視線だった。
「ギヒヒヒ。あの尼ぁ、ちゃんと居やがるな。名前はスフィーリアか……」
シシリー・ズデークスは卑しい薄ら笑いを浮かべながら儀式の最中の尼僧を見詰めていた。
そして囁き声で言い放つ。
「そんな澄ました顔をしてられるのも今のうちだ。今夜にでもオラの肉壺にしてやるからな。その面と股の間を洗って待って居やがれ……」
ガギーマの魔の手はすぐ傍まで迫っていた。
だがその危険にスフィーリアは気付いて居ない。
一方、シシリーが発する邪悪な気配に気付いた者が居た。
礼拝堂の外に居たマグナだった。
マグナは礼拝堂の外からピリピリと嫌な気配を感じると、建物の外観を確かめた。
しかしマグナが探していた時には既にシシリーは教会から脱出した後だった。




