第5話
やがて最下層では崩落の速度が徐々に早まっていった。
崩落の規模も広がっていき、エリッサの頭上からも馬鹿にならない量の土砂が降り注ぐ。
「いけない! ここも長くは持たないわ……」
脱出だ。恐らく、時を待たずしてこの迷宮は崩壊し、最下層は地の底に埋没する。
エリッサは動かなくなった少年の体に腕を回すと全身に力を込めながら立ち上がった。
「重い……」
少年の体を担ぎながらエリッサは眉を歪める。
痩身でありながら意外に重量のある。
冒険者とはいえ女一人の細腕では文字通り荷が重い。
しかしここで捨てては置けない。
エリッサは彼が火焔竜の火焔の前に立ち塞がり自分を救ってくれた事を覚えている。
「そうよ、見殺しになんて出来ないわ。彼は命の恩人。助けられたんだもの……」
恩義ある者を見捨てる事は冒険者の仁義に反する。
エリッサは両脚に力を込めながら一歩一歩歩き出す。
そして男一人を何とか担ぎ上げながら最下層から脱し、上の階層へと続く坂道を上った。
だが地上までの道はまだまだ遠い。
恐らくこの足どりでは時間も掛かるし自分の体力も持たない。
それ以上に心配なのが上の階層にいるはずの眷属達と落盤による階層の崩壊だ。
せっかく地縛竜との戦いから生還出来たのに。
「これは流石に詰んだかしら……」
エリッサは待ち受ける困難を前に苦笑いを浮かべる。
そんな時……。
「エリッサ~!」
上層へと坂道の上の方から聞き覚えのある女の声が聞こえた。
「ミャールなの?!」
エリッサがその場で返す。
それは上層で離れ離れになっていたパーティメンバーの声だった。
坂道から新しい人影が現れた。
人影は斥候用の戦闘服を身に纏っていた。
斥候とは冒険者パーティの先頭を歩き、仲間の安全の為、偵察等、あらゆる情報収集を行う重要な職種で、仲間の血路を切り開く為に身を挺して戦う事もあった。
装備も特殊で一定以上の戦闘能力を有しながら他の冒険者が使わない様な様々な道具を使いこなす。
「良かった、無事だったのね……」
エリッサは仲間との再会に胸を撫で下ろした。
助かった。先ほどまでの絶望を皮肉る苦笑いが安堵の笑みに変わる。
「ロウディは居る?」
「ああ、ミャールの後ろに居るぜ!」
斥候の後ろからもう一人分の声が聞こえた。
大人びいた物言いだが、声色は少年の様に齢若い。
「それより、どうしたエリッサ? 何かあったか?」
「私は大丈夫。それより怪我人がいるわ」
「怪我人? こんな所に?」
「説明は後よ。いいから早く、こっちに来て運ぶのを手伝って!」
エリッサの呼び掛けに応えようと、暫くして武装した二人組が彼女の下に辿り着いた。
「二人とも大丈夫だった? 怪我はない?」
「ニャ、大丈夫ニャ!」
「ああ、ピンピンしてるぜ」
仲間達の受け答えにエリッサは安堵する。
仲間の二人は若い男女だった。
一人が女の斥候で、もう一人が男の剣士だった。
だが二人の面差しは面妖で人間のものとはかけ離れていた。
斥候の女には頭から猫の様な耳が生え、腰から長い尻尾が伸びていた。
彼女の名前はミャール・チップス。
人猫族と呼ばれる種族の女性で、体格は小柄、銀色のフワリとしたショートボブの髪と赤い瞳をした美人だった。
そんなミャールがエリッサが背負う包帯捲きの人間を見て叫んだ。
「ニャ! 本当に怪我人ニャ! 一体、何処の誰ニャ?」
「それが私にもさっぱり、最下層で見つけたの」
ミャールの質問にエリッサもそう答えるので精一杯だ。
「ところでエリッサ、この坂の下が最下層で良いんだよな?」
周囲を見渡しながら剣士の男が訊ねる。
男の名前はハン・ロウディ。
体が人間で頭が灰色狼の獣頭人身の屈強な少年で、その特徴的な容姿は精悍そのものだった。
そして剣士職の証であるかの様に、腰には狼の牙の様な反りの入った二本の短刀が下がっていた。
二人とも純粋な人間ではない。太古に獣の血が混ざって生まれたとも言われている獣人族の系譜だった。
だがこの世界では獣人や亜人という言葉は使われない。
細かく人描族や人狼族と言った種族名で区分していた。
そしてエリッサの種族名は人間で、それら全ての種族を纏めてヒト族や人類と呼んでいた。
それはこの世界では種族間の差別がない事を意味し、差別そのものを禁忌とする事を意味する。
禁じたのは彼等が崇拝する神の意志で即ち教義だからだ。
「そうよ、ここから下はコモラ迷宮の深淵。私達の目的地よ。もうこの崩落でほとんど埋まっちゃったけどね」
「それで? そのミイラは何だ?」
ロウディが今度は指差す。
指の先には全身を魔法の包帯でぐるぐる巻きに巻かれた少年がエリッサに担がれたままになっていた。
だが仲間の問い掛けにエリッサは、今度は首を横に振る。
「判らないわ。何ていうか……爆発と一緒に出て来たの」
「爆発と一緒に?」
「出て来た……だと?!」
エリッサが正直に答えると二人は首をかしげる。
そして後になって笑い出した。
「はははは、そんなぁ、まさか……」
「エリッサは冗談が下手ニャ」
「もしかして手品か何かか?」
「本当よ! 私、この目で見たんだから!」
エリッサは力を込めて言い放った。
「それに二人も知ってるでしょ。さっきの大爆発は!」
「確かにデカい揺れだったよな。火山の大爆発の様な……」
「そのせいで迷宮に縦穴が開いて大騒ぎニャ」
二人は先ほどの大きな振動を思い出しながらエリッサの顔を改めて見る。
エリッサは瞳は真剣だった。
二人は彼女が怒ったと思い、苦笑いを浮かべながら肩を竦める。
「そんな、怒るなよ……。別にリーダーの事を疑っちゃ居ないよ」
「でもニャ、突拍子もないニャ……」
やはり俄かに信じがたい。
人間が最下層で爆発と共に出現するなんて……。